第29 出雲侵略 |
人々の誤解と叙述上の矛盾が集中している古事記の国譲り さて,いよいよ,出雲侵略が始まります。しかしここには,誤解や矛盾が山積みされています。 @ 国譲りではなく国譲りという名の侵略である。 これはすでに述べました。文章をきちんと読めば,剣の神が,雷を轟かせながら降っていく様子が目に浮かびます。そして,「十拳劔を抜きて,逆(さかしま)に浪の穂に刺し立て,その劔の前に趺み坐して(あぐみまして)」,国を譲るかどうか迫ったのです。これを恫喝と言わずして何と言うのでしょうか。 A 侵略の対象は出雲国だけでなく広く葦原中国である。 これについてもすでに詳細に述べました。 B 高御産巣日神はいったい何なんだ。 建御雷之男神ら2神の言葉はこうです。「天照大御神,高木神の命もちて,問ひに使はせり。汝がうしはける葦原中国は,我が御子の知らす國ぞと言依さしたまひき」。 C 言依さしはやはり天照大御神なのか。 ところが古事記ライターは,「天照大御神,高木神の命もちて」,「葦原中国は,我が御子の知らす國ぞと言依さしたまひき」としてしまいます。何度も言いますが,高木神は「我が御子」の親でも祖父でもないのです。 古事記ライターの頭の中は,明らかに混乱しています。
さて,出雲侵略は,大国主神がその子事代主神に国を譲るか否か意見を聞くことから始まります。話を事代主神に振ってしまうのです。なぜ自分で答えないのでしょうか。 学者さんは,事代主神が神託を伝える役割の神であり,その口から出る言葉が決定的に重要だからであると説明します。しかし,叙述と文言をきちんと把握していない戯言(たわごと)です。古事記をよく読んでいないだけです。 事代主神は,父大国主神に対してこう答えます。「恐し(かしこし)。この國は,天つ神の御子に立奉らむ」。見てのとおり,自分の意見を述べているだけであり,神託など伝えていません。事代主神に神が降ったとか,神のお告げがあったなどという叙述は,まったくどこにもありません。 そもそも,いったい誰の神託を聞こうというのでしょうか。事代主神は神です。神が神の神託を伝えるというのでしょうか。また事代主神は国つ神です。事代主神の上にいて神託を下すのは,葦原中国のドン,大国主神以外にいないじゃありませんか。でなければ出雲の祖,速須佐之男命でしょうか。 まったく不可解です。 しかも,その後の展開をたどると,国をどうするのか答えるのは事代主神だけではないことがわかります。 叙述自体からわかるとおり,神話的解釈のかけらも必要のない展開になっています。事代主神が神託を伝える役割の神であり,その口から出る言葉が決定的に重要だとかどうとかは,まったく関係ありません。余計なお勉強は,眼を濁らせるだけです。
ところがこの誤解は,古事記ライター自身が広めているようです。文言の使い方がちゃらんぽらんなのです。 事代主神の呼び名は,この国譲りという名の侵略の場面だけでも,八重言代主神 → 八重事代主神 → 事代主神 → 八重事代主神と,転々とします。大国主神が,国をどうするか我が子に話させようという場面では,「八重言代主神」として登場します。 しかし実際は,それらしく書こうとした古事記ライターの気まぐれにすぎません。その証拠に,用字がちゃらんぽらんです。こうした重要な場面で託宣をするのであれば,一貫して「八重言代主神」とすべきではないでしょうか。 文言に対する古事記ライターのいい加減さは,すでに見てきました。場面場面によって呼び名を変えることなど朝飯前でした。まったく,古事記ライターの気まぐれにつきあっていたら,100年あっても足りません。適当な書き方をした適当な書物なのですから,まじめに考えちゃ駄目です。
侵略が始まったとき事代主神は,御大(みほ)の前(さき)で「鳥遊(とりのあそび)をし,魚取りて」過ごしていました。すなわち,鳥を捕まえたり魚を捕ったりして平和に暮らしていたのです。 葦原中国は,「いたく騒ぎてありなり」,「道速振る荒振る(ちはやぶるあらぶる)国つ神等の多なり(さわなり)」と描写されていました。これは嘘です。 考えてみれば,これ以前に派遣された天菩比神も天若日子も,高天原に帰ってきませんでした。天若日子などは,大国主神の娘下照比賣を娶って,葦原中国の主になろうとしていました。それほど葦原中国は,居心地のよいところだったのです。
ここで,事代主神の性格を考えておきましょう。「魚取りて」という叙述からすると,海洋神のようです。 日本書紀第8段第6の一書は,大己貴神が大和の三輪山に行って宮を構え,「大三輪の神」となり,その子「姫蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)」が神武天皇の后になったといいます。これには異伝があり,「事代主神」が「八尋熊鰐(やひろわに)」になって「三嶋のミゾクイヒメ」またの名「玉櫛姫」に通って産んだ子が「姫蹈鞴五十鈴姫命」だとしています。神武天皇即位前紀庚申8月は,この異伝を採用しています。ですから,むしろこちらが日本書紀の公定解釈ということになります。 海神の娘の豊玉姫は,出産の時に「八尋の大熊鰐」になりました(第1の一書)。事代主神は,女の所に通った時,すなわち性交の時に「八尋熊鰐」になったのです。生殖にかかわるとき,忘我の時に,本来の姿に戻るのです。事代主神もまた,海にかかわる神だったのではないでしょうか。そして神武天皇は,その娘を皇后にしているのです。 さて,そうすると,事代主神は豊玉姫と同等の海神だったとしなければなりません。「八尋熊鰐」は,「八尋」もあるほど大きく,「熊」という尊称がつくほどに獰猛な鮫です。これこそ海の王者です。
事代主神は,国を奉ると言い残して隠れます。建御雷之男神は,「また白すべき子ありや」と大国主神に問います。大国主神は,「また我が子,建御名方神あり。これを除(お)きては無し」と述べます。 これもまったく不可解な展開です。 古事記ライターは,大国主神の神裔をたくさん並べ立てていたはずです。 例の童話的部分,すなわち稲羽の素兎,八十神の迫害,根国訪問,高志國の沼河比賣への求婚,須勢理比売の嫉妬に続いて,古事記ライターは大国主神の神裔をほぼ網羅的に列挙していました。かなりのスペースを割いていました。そうして,大国主神の王朝物語を締めくくっていました。 そこに建御名方神が出てこない。
ここに大国主神の子供として列挙されているのは,味耜高彦根神,下光比賣命,事代主神,鳥鳴海神です。このうち味耜高彦根神については,特に「迦毛大御神(かものおおみかみ)と謂うぞ」と,押しつけがましく大書されています。 事代主神以外のこれらの神が,出雲侵略の場面でなぜ登場しないのでしょうか。大国主神が「また我が子,建御名方神あり。これを除(お)きては無し」というのは,真っ赤な嘘じゃありませんか。そして,ここに記載されていない建御名方神が登場するのはなぜでしょうか。 下照比賣は,女だから無視されているのでしょう。しかし,迦毛大御神である味耜高彦根神はなぜ無視されたのでしょうか。鳥鳴海神はなぜ無視されたのでしょうか。この神は,日名照額田毘道男伊許知邇神を娶って国忍富神をもうけていますから,男神です。無視してよいはずがありません。そして,肝心の男神,建御名方神は,どこにもいません。 結構いい加減ですね。 大国主神の神裔に関する叙述が正しいのであれば,建御名方神に関する伝承は嘘です。建御名方神に関する伝承が正しいのであれば,大国主神の神裔に関する叙述全体の信憑性が問われます。古事記の叙述上これほど重要な役割を担う建御名方神が,大国主神の神裔という系譜に登場しないのですから。 建御名方神は,904年頃までに書物として成ったとされる先代旧事本紀に登場するほか,延喜式神名帳にも出てきます。しかし日本書紀はまったく無視しています。先代旧事本紀や延喜式神名帳が成立した時代の神ではないでしょうか。それを載せている古事記は,いったいいかなる書物なのでしょうか。
日本神話には矛盾があり曖昧模糊としているものだと居直る人,すなわち今までの日本神話を語ってきた人は,こう言うでしょう。建御名方神の伝承は確かにあった。一方で,建御名方神が登場しない大国主神の神裔に関する伝承も確かにあった。矛盾はあるが,そのまま後世に残した。それが日本神話というものだ。古来の伝承をそのまま残しているからこそ,矛盾があるのだ。それが神話である。 こんなことを言っているから,日本神話はいつまでたっても進歩しないのです。結局,曖昧模糊としたところに逃げ込んでしまうのです。それは,科学でも学問でもありません。 じつは,日本神話は,日本書紀,古事記を始めとした文献が豊富です。ギリシャ神話の比ではありません。ただ,その中に矛盾があります。それに疑問をもたず,いろいろあったのさで終わらせてしまうのは,学問の放棄でしょう。矛盾を矛盾として受け止めて,なぜそうした矛盾が生じたのかを突き詰めていくのが学問だと考えます。
さて,いよいよ,いわゆる大国主神の国譲りの場面になります。この場面は,以下の3段落から成っています。 @ 事代主神も建御名方神も去り,大国主神もまた「この葦原中国は,命の随に既に献らむ」と述べる。 従来は,これこそが大国主神の国譲りだとされてきました。大国主神は,葦原中国を譲る代わりに自分が住む宮殿を作ってもらったというのです。それが「天の御舎」であり,現在の杵築大社だというのです。それが,日本書紀第9段第2の一書に出てくる,「天日隅宮(あまのひすみのみや)」だというのです。 めちゃくちゃです。本当にめちゃくちゃ。古事記にそんなことは書いてありません。日本書紀の異伝とごっちゃにしてはいけません。
謙虚に読めばわかるとおり,「天の御舎」を造ったのは,明らかに大国主神です。大国主神は,私は永久に隠れるし,我が子孫たちも背くことはあるまいと述べます。そして,「かく白して,出雲国の多藝志の小濱に,天の御舎を造りて」と続くのです。「天の御舎」を造ったのは,大国主神自身です。 これは,大国主神の住みかではありません。そして,「天の御舎」であり「国の御舎」ではありません。明らかに,天つ神のための「御舎」です。出雲大社などではありません。 ここには,神が神をいつき祭るお話しがあります。それがどれほど屈辱的なことであるか,学者さんは考えたことがあるのでしょうか。御饗献る(みあえたてまつる)というのは,神武紀以降にたくさん出てきます。天皇が行幸したり巡狩したときに,土地の土豪が出てきて服属を誓うのが,御饗献るです。一番おいしいとびきりのご馳走を供することで,服属の意思を示すのです。 大国主神が立派な宮殿を作ってもらったなんて,どこにも書かれていないじゃありませんか。単に,大国主神がそう望んだというだけです。それが実現したかどうかは知ったこっちゃない。それが古事記ライターの立場です。古事記ライターは,大国主神の天つ神に対する服属儀礼を述べているだけです。葦原中国を天つ神に献上するだけでなく,わざわざ天つ神を祭る殿舎を建てて御饗を行い,服属を誓ったのです。 古事記における大国主神は,ここまで貶められています。大国主神の権威や出雲国の権威など,何も語られていません。「天の御舎」は日本書紀第9段第2の一書に出てくる,「天日隅宮」であり,現在の杵築大社(出雲大社)であるという学者さんがいます。全体をまとめてボーッと観察すれば,そうした見方もできるでしょう。しかし,古事記には,そんなことは書かれていないのです。日本書紀第9段第2の一書を無視して,逆に,大国主神が天つ神を祭るための「天の御舎」を作ったと,書き換えられているのです。
では,日本書紀第9段第2の一書はどうなっているのでしょうか。まとめると,以下のとおりです。 @ 国譲りという名の侵略ではなく文字どおりの国譲り,交渉と妥協による国譲りです。剣を突き立てるという恫喝がありません。国を奉れと,口で要求するだけです。要求された大己貴神はこれを拒否し,交渉に持ち込みます。その理由は,遣わされた経津主神や武甕槌神など格下だという点にあります。高皇産霊尊は,大己貴神の抗弁に深い理由があると納得し,国譲りの条件を提示します。大己貴神はこれを受け入れて隠れます。 A 高皇産霊尊が提案した国譲りの条件は破格でした。現実の政治は皇孫が支配し,大己貴神は神事を支配する代わりに,大己貴神のために「天日隅宮」を造り,そのほかに「田」,「高橋(たかはし)」,「浮橋」,「天鳥船(あまのとりふね)」,「打橋(うちはし)」,「白楯(しろたて)」を造ると約束します。すなわち,天上界に天日隅宮をつくって,大己貴神を高天原に迎え入れるというわけです。 B それだけではありません。大己貴神の祭祠を司る者として,天穂日命を任命するのです。天穂日命は,高皇産霊尊を裏切って大国主神側についてしまった裏切り者です。その神が復権して,大己貴神の祭祀を司るのです。それは,裏切り者を罰せずに,裏切りをそのまま認めようというものです。 C こうした約束を確認したうえで,大己貴神(大国主神)は隠れます。 D 大己貴神という神は,破格の待遇をしたうえで,天つ神の仲間に入れざるを得ないほどの,偉大なる神でした。 E 一方,この伝承は,降臨する天忍穂耳尊を心配する,世話焼きの母天照大神を描いています。「宝鏡(たからのかがみ)」を天忍穂耳尊に授けて,天照大神を見るがごとくこの鏡を見て,あなたがいる同じ床,同じ大殿に置きなさいと指示します。一緒に降ることになった天児屋命と太玉命に対し,大殿に侍り仕えて,天忍穂耳尊をきちんと護りなさいと命令します。さらに,食事の心配をして,高天原で育てていた「斎庭の穂(ゆにわのいなのほ)」を天忍穂耳尊に与えます。そして,それでも心配だったのか,高皇産霊尊の娘万幡姫(よろずはたひめ)を「妃(みめ)」にして,結婚させてしまいました。 F こうした出来の悪い小説的装飾が加えられていることも,第2の一書が新しいことを示しています。
小説的装飾が過多の,新しい伝承である第2の一書でさえ,偉大なる大国主神の姿を伝えていました。「天日隅宮」は,そうした大国主神が,交渉の末に勝ち取った成果です。いわゆる「大国主神の国譲り」というイメージは,むしろ第2の一書に残されています。日本書紀本文でも古事記でもありません。「大国主神の国譲り」など,異伝中の異伝なのです。 ところが古事記は,第2の一書が伝えている偉大なる大国主神のイメージさえ,ばっさりと削除してしまいました。立派な宮殿を造ってくれれば永久に隠れましょうという,大国主神の願望ないし要求を残しただけで,それでどうなったのかは一切記述しません。希望どおり宮殿が造られたのかどうかは,一切わかりません。それどころか逆に,大国主神が天つ神のために殿舎を造り,天つ神をいつき祭ったことが書かれているのです。 この,古事記ライターの悪意がわかりますか。 立派な宮殿を造ってくれとの要求があったことは,削るに削れません。そこまで削ると嘘になるからです。第2の一書として残されている伝承に反するからです。ですから,最小限だけ残して,後は大国主神を貶める記事を書いたのです。 そんな古事記と,日本書紀第9段第2の一書と,どちらが新しいのでしょうか。 いわゆる「大国主神の国譲り」の原型となった第2の一書の方が古いに決まっています。立派な宮殿がほしいと要求したという,物語の本質的部分だけを残し,他のディテールを削ってしまいました。そして逆に,天つ神をいつき祭る大国主神を描くことにより,古事記ライターの信念を貫き通しました。 ここに,悪意に基づくリファインがあります。古事記は,返す返すも不思議な書物です。
ただ,古事記の叙述は,むしろ日本書紀第9段第1の一書に基づいています。 天照大神1人が命令者となり,天孫ではなく天子の降臨にこだわるのが第1の一書でした。天子を降臨させようとしたまさにその時,天孫が生まれ,降臨者が天孫に交代してしまうのでした。またそこには,他のいずれの異伝にも登場しない,猿田彦大神が登場しました。これも古事記と同じです。 古事記は,この第1の一書を下敷きにしています。その第1の一書の国譲りの描写は,あっさりしたものです。剣を突き立てた恫喝はありません。そのかわり,立派な宮殿が欲しいという大己貴神(大国主神)の要求もありません。大己貴神は,事代主の意見を聞いて,あっさりと国を譲ります。 古事記は,第1の一書を基本にしてできています。しかし古事記ライターは,第2の一書をも参照しています。ですから,日本神話の神髄は,日本書紀を読めばわかるのです。古事記を読んではいけません。
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