第31 猿田毘古神の登場

 

猿田彦大神だけが降臨場所を知っているという第1の一書の大矛盾

 さて次に,猿田毘古神の問題に進みましょう。リライトされた古事記を読んでいても,問題点すらわかりません。だから,古事記だけを読んでいては駄目なのです。古事記の下敷きとなった,日本書紀第9段第1の一書をまず理解しなければなりません。

 第1の一書を読んでいて驚くのは,天孫がどこに降臨するのか決まっていないということです。突如登場する猿田彦大神だけが知っているという大矛盾です。

 皇孫は,五部神を従えて出発しました。ところが突如,猿田彦大神が出現します。天鈿女命(あめのうずめのみこと)は猿田彦大神に,「皇孫何処に到りましまさむぞや」と問います。猿田彦大神は,「天神の子は,当に(まさに)筑紫の日向の高千穂のクジ触峯に到りますべし」と答えます。そうして猿田彦大神は,「先の期(ちぎり)の如くに」,すなわち先ほどの約束のとおり,そこに降臨させるのです。
 天照大神は,すでに「さきくませ。宝祚(あまつひつぎ)の隆え(さかえ)まさむこと,当に天壌(あめつち)と窮り(きわまり)無けむ」と述べて,皇孫を送り出しているのです。いわゆる天壌無窮の神勅です。葦原中国で永久に栄えよという,激励の言葉です。ですから,常識で考えれば,天孫降臨の地はすでに決まっているはずです。あそこへ行って永久に栄えよという「あそこ」が決まっていないなんて,あり得ないですよね。どこへ行くかわからないまま皇孫を送り出すことなど,到底考えられません。

 でも,叙述はそうなっていません。皇孫は,どこへ行くか知らないまま旅に出たのです。翻って考えると,天壌無窮の神勅も,メッキがはげてしまうのです。


ある1つの解決

 これを,いったいどのように考えたらよいのでしょうか。

 猿田彦大神は伊勢周辺で勢力のある大神でした。それは国つ神でした。古事記では,「僕は国つ神」と名乗っています。
 そこに天照大神がやって来て,五十鈴川の川上に鎮座しました。何度か述べた,日本書紀垂仁紀の鎮座物語です。だからこそ猿田彦大神は,時の支配者が皇祖と讃える天照大神の孫が降ると聞けば,何をおいても迎えに行かなければなりません。神武天皇に対する珍彦(うづひこ)のように,忠臣を自ら演じて,たとえ故郷と正反対の地であろうとも,かいがいしく案内しなければなりません。
 猿田彦大神の物語は,そうした創作物語にすぎないのです。伊勢の国つ神がわざわざ降臨地の九州まで案内して,伊勢に戻ってくるのは,そうした事情があるのです。

 伊勢の大神天照大神の孫を丁重に案内することこそ,忠臣たるべき伊勢の国つ大神猿田彦大神に求められたのです。それは,主君の幼い子や孫を旅に連れて行く忠実な家臣の役割です。雅な方々は,現代でも,自分で旅のスケジュールなどたてません。そんな雑事は,下々の者,卑しき「臣(やっこ)」(天皇の前で臣下が自分を指していう,日本書紀によく出てくる表現)がすることです。

 だからこそ皇孫は行き先を知りません。行き先は,案内役を割り当てられた忠臣,猿田彦大神が知っていればよいのです。


古事記ライターは矛盾を解決するために降臨前に猿田毘古神を登場させた

 ですが,やはりおかしい。私は上記したように考えて解決したけれども,それでもやはり一応の説明にすぎません。1つの物語として第1の一書を評価すれば,しこりが残るのは否めません。それが,物語読者としての率直な感想でしょう。

 古事記ライターはどのように解決したか。これがまた,泣けてくるほど素晴らしいのです。

 天鈿女命の「皇孫何処に到りましまさむぞや」という問いと,これに対する猿田彦大神の回答はネグって,降臨地を知らないという点は隠しました。そして,純粋なる道案内役,神武天皇に対する珍彦(うずひこ)の立場になぞらえて設定を変更し,しかも,天孫降臨が実際に始まる前に猿田毘古神を叙述してしまうことで解決したのです。

 古事記の猿田毘古神は,単なる道案内役です。第1の一書では,出発しようとした皇孫に立ちはだかるように出現しますが,古事記の猿田毘古神は,そんな国つ神としての威厳もへったくれもありません。「天つ神の御子天降りますと聞きつる故に,御前に仕へ奉らむとして,参向へ(むかえ)侍ふぞ」という神です。アッシー君(死語かもしれない。)みたいなもんです。そして,道案内役も揃ったところで降臨が始まるのです。国つ神猿田毘古神の神秘性など,微塵もありません。読み比べてみてください。

 古事記の猿田毘古神など,愚の骨頂です。ここまで内容スカスカにするか。

 その際,猿女の君の由縁話は,切り離さざるを得ませんでした。これは,道行き途中の猿田彦大神と天鈿女命とのやりとりから成り立っているので,天孫降臨の前にもってくるわけにはいきません。だからこれを切り離し,天孫降臨後に置いたのです。

 このように,第1の一書と古事記とを読み比べると,古事記ライターが第1の一書をリライトしたという確信がわいてきます。


古事記における猿田毘古神は天皇万歳の思想に取り込まれて光り輝く神になっている

 さて,その古事記の猿田毘古神が,またなんとも面白い。

 猿田毘古神は,「天降りまさむとする時に」登場する神です。この神が登場してから,「ここに……天降したまひき」となるのです。古事記においては,その独自性を失い,天孫降臨の準備段階に組み込まれてしまった神にすぎません。
 だからこそ猿田毘古神は,「上は高天の原を光し(てらし),下は葦原中国を光す神」なのです。一言で言えば,光り輝く高貴な神です。神聖な天孫降臨を汚してはならないのです。

 古事記だけを読む限り,猿田毘古神は高貴な神になっています。

 しかし第1の一書は,まったく違います。この異伝自体が,天照大神中心主義から作られた新しい伝承なのですが,それでも,まだまだ国つ神の風格をもっています。
 猿田彦大神は,鼻が長く座高も高く身長があり,口とお尻が光り,眼は八咫鏡のように照り輝き,まるで赤いほおずきのようです。八岐大蛇を思い出します。醜怪な顔をもつ異形の存在です。それはそれで,力強いという褒め言葉ともとれます。悪太郎という呼び名が,力強いという褒め言葉のように。
 思えば日本書紀の編纂者は,天つ神や天皇については,眉目秀麗であることに異様なまでにこだわっていました。登場する女性ひとつ取ってみても,顔良し,ですませるような感覚でした。性格は基本的に問題となっていません。一方,国つ神については,たとえ大神であろうとも,眉目秀麗か否かという関心さえありません。決して褒めません。描写しようとさえしません。

 そうした意味で猿田彦大神は,やはり貶められているのかもしれません。少なくとも,決して天上界の神ではありません。古事記では,はっきりと国つ神であると名乗っています。ここで思い出すのは,葦原中国の神々を「邪神」「邪鬼」と呼んだ第9段本文です。猿田彦大神は,明らかに葦原中国の神です。しかも描写がここまで具体的であるからには,元来,こうした異形の神として信仰されていたのかもしれません。そして,「大神」という称号を与えられているからには,多くの人がいつき祭っていた,勢力の強い神だったのでしょう。

 ところが古事記は,こうした猿田彦大神の描写を,ばっさりと切り捨てます。そして,まったく逆に,光り輝く高貴な神だと言うのです。

 この落差。

 なぜこんな描写をしたのでしょうか。それはもはや明らかでしょう。栄光ある天皇の先導役。栄えある役割を仰せつかる神。そうした神は,やはり光り輝いているべきなのです。

 ここにも,リライトの痕跡があります。


天宇受賣命が神になり勅を受ける

 あとは付け足しです。

 高御産巣日神と天照大御神は,「天宇受賣神(あめのうずめのかみ)」に,我が御子が天降ろうとする道にいるのは誰か聞いてこいと命じます。
 「天宇受賣神」は,後の猿女の君の縁起話の場面では,「天宇受賣命」,すなわち「命」です。ついでに言うと,「猿田毘古神」も,「大神」になっています。

 また,第1の一書での天照大神は,「往きて問ふべし」と命令するだけです。すなわち,第1の一書での天鈿女命(あめのうずめのみこと)の質問が,古事記では,高御産巣日神と天照大御神の命令に取り込まれているのです。これもまた,長い文章をまとめてリライトした結果なのでしょう。


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