第34 天孫降臨の問題点と猿女の君

 

天と地を結ぶ天浮橋が降臨後に登場する日本書紀第9段本文の矛盾

 天孫がどこに降臨したかについては,既に詳しく論じました。ここでは,「天の浮橋」について検討しましょう。じつは,日本書紀第9段本文には,よくわからない部分があるのです。

(第9段本文)
@ 「日向の襲の高千穂峯」に天下る。
A そこからの様子は,「クシ日の二上(ふたがみ)の天浮橋」から,「浮渚在平処」に立たして(浮島の平らなところに降りたって),
B 「膂宍の空国を頓丘から国まぎ」とおって,「吾田の長屋の笠狭碕」に至る。

 「天浮橋」は,天上界と地上とをつないでいる橋です。伊奘諾尊と伊奘再尊は,「天浮橋の上に立たして」,「天之瓊矛(あめのぬほこ)」を指しおろして海をかき回し,オノゴロシマを造ったのでした(第4段本文)。日本書紀の叙述と文言上,「天浮橋」は,明らかに天上界と地上界とをつなぐ浮き橋です。ところがここでは,天孫は既に「日向の襲の高千穂峯」に天下っています。もはや天浮橋はいりません。ところが,地上にある「クシ日の二上」には,天浮橋がかかっているというのです。その「天浮橋」から,浮島の平らなところに降りたって「膂宍の空国を頓丘から国まぎ」とおるというのですから,わけがわからなくなるのです。

 同じく「天浮橋」が登場する第4の一書はどうでしょうか。これは,「日向の襲の高千穂のクシ日の二上峯(ふたがみのたけ)の天浮橋」に至って,「浮渚在平地」に立たして(浮島の平らなところに降りたって),とあります。「天浮橋」の一方が,地上にある「日向の襲の高千穂のクシ日の二上峯」につながっているという描写です。ですから問題はありません。


古事記は矛盾を解消している

 古事記は,日本書紀第9段本文の矛盾を,きれいにぬぐい去っています。

 天八重雲を押し分けて,稜威の道別に道別きて(いつのちわきにちわきて),「天の浮橋にうきじまり,そり立たして,筑紫の日向の高千穂のくじふる嶺」に天降った。

 空から降りてきて,空中にある天浮橋に「うきじまり,そり立たして」,すなわちすっくと立って,という展開です。地上に降り立つ前に,空中から葦原中国を睥睨したという,王者の風格を描きたいのがよくわかります。


「くじふる峯」に立って「此地は韓国(からくに)に向ひ」という感慨を述べるのが変だ

 さて,古事記にはもう一つ問題があります。

「筑紫の日向の高千穂のくじふる峯」に「天降りまさしめき」。ここで天忍日命と天津久米命の2武神の話が入り,「ここに詔りたまひしく」として,「此地は韓国に向ひ,笠沙の御前を眞来通りて……此地は甚吉き地」と宣言する点です。

 天孫は,天降ったその地で,「笠沙の御前を眞来通りて」と評価し,褒めているのです。当たり前のことですが,目的地に来て,その様子を見てから,その地を褒めるのが常識です。国見とか国褒めは,そういった行為です。吾田にある「笠沙の御前」を見てもいないのにそれを褒めるとは何事でしょうか。


「くじふる峯」の近くに宮を造ったくせに突然吾田に出現する

 さらに,天孫がどこに宮を造って住んだのかがさっぱりわからないのです。

 古事記によれば,「此地は甚吉き地」と宣言して,直ちに,「底つ石根に宮柱ふとしり,高天の原に氷椽(ひぎ)たかしりて坐しき。」となります。降臨した山の上か,またはその周辺が良き地だというので,そこに宮を作ったというのです。
 ところがその後天孫は,突然,吾田の笠沙の御前に出現して,神阿多都比賣と恋愛し,その地で子供をもうけます。宮を作った地とまったく関係のない地で家庭を作るのです。

 古事記は,こんなにもちゃらんぽらんな展開になっているのです。はっきり言って,物語として読めません。誰か読めた人がいるでしょうか。読めたと言う人は,日本書紀本文や一書とごっちゃにして,ぼんやりと読んでいる人です。私はこれを,日本神話の全体的把握といいます。

 なぜこうなったのでしょうか。原因は明らかです。古事記ライターが,栄えある天孫降臨にとって不名誉な部分を削除したからです。人っ子一人いない荒野に降臨して,国まぎ(国を求めること)して,やっと吾田に着いたという部分。これはおかしい。それが嫌だった古事記ライターは,降臨した地を「甚吉き地」といって褒め,あろうことか,宮を作ったという話をくっつけてしまいました。そして,国まぎを省略したので,突然吾田に出現し,そこで神阿多都比賣と結婚することになったのです。

 天照大御神万歳。天孫降臨万歳。永遠なる栄光を。物語の筋を考えない,うっかり者の古事記ライター。そのリライトの結果がこれです。


最後に猿女の君と猿田毘古神の後日談が語られる

 さて,天孫降臨の最後に,猿女の君の由縁話がくっつけられています。しかもこれは,猿田毘古神の後日談と一緒になっています。

 日本書紀第9段第1の一書は,天孫降臨中に,突然猿田彦大神が現れ,強烈な光を放つ猿田彦大神と個性の強い猿女の君の描写の中に,肝心の天孫降臨が埋もれてしまうのでした。それを整理して,天孫降臨の描写を堂々と語った上で,最後に後日談としてもってきたのが古事記でした。
 その内容には,猿田毘古神の後日談もつけく加えられています。これは,日本書紀本文にも異伝である一書にもないものです。稲羽の素兎のお話しと同じくらい,お伽噺的になっています。


天孫自身が猿田毘古大神を送っていくよう命令する

 猿田毘古神は,「御前に仕へ奉らむとして」登場した神であり,天孫降臨の先導役でしかありません。しかも,自称「国つ神」です。ところが天孫は,天宇受賣神に対して,「この御前に立ちて仕へ奉りし猿田毘古大神は,専ら顯(あら)はし申せし汝送り奉れ」と命令するのです。

 天孫自ら,猿田毘古神に対して,故郷に送っていくよう命令するのです。しかもここでは,例によって古事記ライターの悪い癖が出ています。「猿田毘古神」ではなく,天孫自らが「大神」と呼んでいるのです。

 すごいなあ。本当にすごい。天降った天孫が,国つ神を「大神」と呼ぶ。

 神武天皇が,「東征」の途上出会った珍彦を「大神」と呼んだだろうか。お送り申し上げただろうか。むしろ,それを機縁に家来にしたのではなかったか。

 神の国を説明しようとする古事記ライターは,どうやら,猿田毘古神の真実を知っていたようです。
 猿田毘古神は,じつは,天孫に仕えるような小さな神ではなかったのです。日本書紀や古事記に取り込まれ,天孫降臨の道案内役を買って出るという役どころになってはいますが,それを機縁に天孫に仕えるような神ではありませんでした。古事記ライターもまた,「大神」と呼ばざるをえない神だったのです。

 日本書紀第9段第1の一書はどうでしょうか。猿田彦大神は,天鈿女命に対し,自分の名を名乗らせたのは天鈿女命だから,自分を送り届けてくれと頼みます。天鈿女命は,その要求に従って伊勢に送り届けます。天孫は,ことの顛末を聞いて,その神の名をもってお前の氏とせよ,と述べるだけです。天孫は,猿田彦大神など,畏敬していません。


天孫に真っ先に仕えた猿田毘古神をだしに海鼠の童話を語っている

 天孫は,なぜ猿田毘古神を送るよう命じたのでしょうか。国つ神のうちでも大神としていつき祭られていた猿田毘古神さえ,いの一番に駆けつけて天孫に仕えた。それを強調したかったのでしょう。だからこそ天孫は,猿田毘古神という神を畏敬して,お送り申し上げることになったのです。

 だからこそ,仕えると答えなかった海鼠は,天宇受賣神によって口を切られました。

 猿田毘古神を送って戻ってきた天宇受賣神は,魚を集めて,天つ神の御子に仕えるか否かと問います。皆,仕えると即答しますが,海鼠(ナマコ)だけは返事をしませんでした。そこで天宇受賣神は,「この口や答へぬ口」と言って,小刀でその口を裂きます。だから海鼠は,今でも口が裂けているのだというお伽噺です。
 こうして,天孫降臨の一連の話は締めくくられる。

 この締めくくり方。これは神話でしょうか。童話でしょうか。私には子供相手に教訓話を語る童話だとしか思えません。ですから,日本書紀の神話と対等に考えてはいけないというのです。

 天子から天孫が誕生し,天降ろうとしたその時に,「上は高天の原を光し(てらし),下は葦原中国を光す神」,高貴な神,猿田毘古神が真っ先に駆けつけ,先導役を申し出ました。その猿田毘古神は,降臨後に宮を構えた天孫が,故郷に送っていくように命令するほどの,勢力強大な国つ神でした。天宇受賣神は,その送り届け役を仰せつかります。戻ってきた天宇受賣神は,愚民ならぬ魚たちを相手に,お前たちもあのように天つ神の御子に仕えるかどうかと問います。それが,海鼠のエピソードなのです。

 ここでの魚たちは,日向の吾田地方にいた海人(あま,漁民)を指しているのかもしれません。いずれにせよ,海洋漁労民であることは間違いありません。


猿田彦大神がなぜ海で溺れるのか

 じつは猿田毘古神と天宇受賣神のお話は,3つの部分に分かれています。

@ 猿女の君の由縁話
A 猿田毘古神が海で溺れた話
B 海鼠の話

 猿田毘古神が伊勢の阿邪訶(あざか)にいたとき,漁をしていて比良夫貝(ひらぶがい)に手を挟まれて溺れました。その時,底に沈んでいたときの名を「底どく御魂」といい,海水が泡だったときの名を「つぶたつ御魂」といい,泡がはじけるときの名を「あわさく御魂」というのです。
 こうした童話が,@とBの間に挟まっています。

 Aの話は,一見唐突です。これがなくても,@とBはつながります。全体として,天つ神の御子に仕えるべし,という教訓話として筋が通っています。なぜAが挟まっているのでしょうか。

 この@からBまでのお話の締めくくりは,「ここをもちて御世,島(しま)の速贄(はやにえ)献る時に,猿女君等に給ふなり」となっています。すなわち,こうしたわけで代々,志摩の国から海産物を献上してきたときには,猿女の君に与えるのだ,という締めくくりになっているのです。

 猿田毘古神は,天孫を「筑紫の日向の高千穂のくじふる嶺」まで先導し,天宇受賣神に送られて伊勢に戻ります。その猿田毘古神は,じつは海に潜って漁をする海人の神でした(A)。天宇受賣神は,降臨の地に戻って,すべての魚を天つ神の御子に服属させます(B)。だからこそ,伊勢に近い志摩地方から貢上される魚は,猿女の君に与えられるのです。


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