第4 古事記ライターの評価 |
愚かで可愛い古事記ライター くどいようだが,古事記ライターの叙述を振り返ってみよう。 @ 仲哀天皇の死。 A なぜ死んだかは知らないが,その死を祓い清め流す大祓(おおはらえ)。 B 仲哀天皇は死すべきだと宣言した神の,意思の確認。 C 同じ場での,品陀和氣命こそ,新たなる支配者だとの託宣。 D それが,栄(は)えある天照大神や住吉三神,すなわち大神の意思だという,誇らしい叙述。 物語としての流れはいいけれど,文字どおり,語るに落ちている。
ここまで良くまとまっていると,読み手も,迷わなくてすむ。ここらが,愚かな古事記ライターの可愛いところである。 日本書紀は,古事記と異なり,仲哀天皇の死を病死,異伝によれば戦死としている。病死と戦死の双方の説を挙げたところが,日本書紀編纂者らしいし,真実らしく見える。
さて,話を変えよう。 上記Cの,「『凡そ此の國は,汝命(いましみこと)の御腹に坐す御子の知らさむ國なり。』とさとしたまひき」の次はどうか。 「爾(ここ)に建内宿禰,『恐(かしこ)し,我が大神,其の神の腹に坐す御子は,何(いづ)れの御子ぞや。』と白(もう)せば,『男子(をのこご)ぞ。』と答へて詔りたまひき。爾に具(つぶ)さに請ひけらく,『今(いま)如此言(かくこと)教へたまふ大神は,其の御名を知らまく欲(ほ)し。』とこへば,即ち答へて詔りたまひしく,『是(こ)は天照大神の御心ぞ。亦底筒男(そこつつのを),中筒男,上筒男の三柱の大神ぞ。此の時に其の三柱の大神の御名は顯(あらは)れき』」。 まとめてみます。 @ この国は,あんたの胎内にいる子が支配するんだよ。 A えっ?その子は男の子ですか?女の子ですか? B 立派な男の子ですよ。 C (ああ,よかった)。ところで,あなた様大神のお名前は? D これは,天照大神のご意思であるぞ。また,住吉の三神のご意思でもあるぞ。心してよく聞けい(と,居丈高になる)。
まず,「是(こ)は天照大神の御心ぞ。亦底筒男(そこつつのを),中筒男,上筒男の三柱の大神ぞ。」というのが,いただけませんね。 前掲の引用文を,再度ご覧ください。 これは,託宣をした神の名前を教えてほしいという問いかけに対して,託宣をした神自身が答えた「セリフ」なのです。セリフとしては,普通は,「俺は天照大神だ,住吉の三神だ」と,答えるはずです。ところが,「是(こ)は天照大神の御心ぞ。亦底筒男(そこつつのを),中筒男,上筒男の三柱の大神ぞ。」です。 神自身のセリフなのに,古事記ライターの説明になっています。 ここでは,建内宿禰(たけしうちのすくね)が審神者(さにわ)になっている。審神者には神が降臨しているから,質問もするが,神が答えもする。一人二役である。 かくのごとく,古事記ライターのライター技量は,稚拙である。仮に古事記が偽書でないとしても,こんな書き方をする本は,それだけで信用できない。
次に指摘したいのは,叙述が,極端に都合よくできていることだ。 仲哀天皇殺し,大祓(おおはらえ),神の意思の確認,胎児である品陀和氣命(ほむだわけのみこと)への託宣,ときて,ここで初めて,神の名前を聞く。 するとそれは,ありがたくも尊い,天照大神と住吉の三神だった。 この大神の権威により,仲哀天皇「殺し」,あるいはその「死」の真相は,吹っ飛んでしまう。品陀和氣命(ほむだわけのみこと)の正統性に疑いがなくなる。 そうした展開になっている。 これは,古来の伝承であろうか。古来の伝承は,ここまでうまいこと叙述できていたのだろうか。筆者には,伝承の素朴さが感じられない。 筆者には,古来の伝承をある程度知っていた古事記ライターが,文献等を参照することなく,書き流したとしか思えない。だから,古事記ライターの頭の中で再構成された文章が,するすると流れている。
印象だけで論ずるわけにもいくまい。日本書紀の神功紀を読んでみよう。 古事記の展開は,以下のとおりだった。 @ 仲哀天皇の死。 A 大祓(おおはらえ)。 B 神の意思の確認。 C 神が品陀和氣命を支配者に指名。 D 大神の名が天照大神と住吉の三神だと明かされる。 E (こうして古事記読者は,仲哀天皇を忘れ,応神天皇の即位に何の疑問ももたなくなる) ところが日本書紀では,解へ(はらえ)をするところまでは同様だが,Bの,神の意思の確認がない。そして,Cもない。 つまり,日本書紀は,神のご託宣で,応神天皇を権威付けていない。 日本書紀,神功皇后摂政前紀12月に残っている一書には,神の託宣がある。しかしこれは,あくまでも,これから征服しようとする宝の国は,品陀和氣命(ほむだわけのみこと)が支配するだろう,と言っているだけのことである。 神により支配者であることが保証されたというのは,古事記独特の説なのだ。
それだけではない。 日本書紀で登場する神は,@天照大神,A事代主神(ことしろぬしのかみ),B住吉の三神,の3神である。ところが古事記では,注意深く,Aの事代主神が削除されている。 これが,古事記ライターの癖だ。 事代主神は,出雲の神である。ところで,出雲の神,大己貴神(おおなむちのかみ)は,ヤマトを含む大八洲国すべてを支配していた。その一部であるヤマトに入り込んだのが,神武天皇にすぎない。これについては,「日本書紀を読んで古事記神話を笑う」で,すでに論じ尽くした。 詳しくは,「第21 大八洲国と偉大なる出雲神話(@の部分)」を読んで,「第39 三種の宝物の意味するもの」の「大和三輪山の大己貴神との出会い」を読まれたい。 さて,これも「日本書紀を読んで古事記神話を笑う」で論じたが,古事記ライターは,天照大神信仰が定着した後の時代の,天照大神中心主義の人だった。それは,天照大神を「天照大御神」と,わざわざ「御」の字をいれて呼んでいることに,端的に表れている。 こうした人は,ヤマトに出雲の神がいることを,理解できなかったのだろう。または,その歴史的事情は知っていたが,許せなかったのではないだろうか。 だからこそ,出雲の神,事代主神を,きちんと削除している。伝承上は,事代主神もいたはずだ。日本書紀はそれをきちんと残している。
さて,神功皇后は,神の教えのまにまに,新羅を撃つ。 撃つと言っても,奇跡的大勝利だから,戦いの描写など,ない。海の魚と波が,神功皇后の乗った軍船を,新羅国に怒濤のように乗り上げさせたところ,たちまち,国王がひれ伏したという展開である。 笑うような展開である。 歴史家や古事記読者を,あまりにも馬鹿にした展開だ。これを基に,新羅征討が本当にあったと言う人はいないだろう。ま,日本書紀も同じようなものだが。 百済国が,突然ひれ伏すのも,理解できない。百済国は,古事記では,征服の対象になっていない。しかしこれも,日本書紀を読むと,すぐわかる。古事記ライターは,日本書紀の叙述,もしくはその基になった伝承を基にして,はしょって書いているのだ。だから,百済国が突然出てくる。 いずれにせよ,ライター能力が欠如していることは明らかだ。 それはともかく,全体の中で,この新羅征討譚が占める意味は大きい。この次に,すぐ,忍熊王との戦いがある。 @ 品陀和氣命(ほむだわけのみこと)は,大神の託宣があった次期支配者であり, A その母,神功皇后は,新羅を撃った絶大なる権力者だった, と,ホラを2つ吹いてから,戦いの叙述になだれ込む,という展開になっているのだ。 新羅征討譚がなければ,忍熊王との戦いが,薄っぺらになるところだ。神の託宣だけじゃ,どうしてもネ。
いよいよ,忍熊王(おしくまのおう)との戦いだ。 学者さんは,性懲りもなく,「忍熊王の反逆」という表題をつける。 学者さんは,テキストを読む以前から,「反逆」「反乱」だと決めつけているらしい。もちろん,原テキストにそんな表題はない。 私は,テキストを厳密に読むのなら,表題を与えるのはおかしいと思う。 学者さんは,理解の便宜を考えたのであろうが,余計なお世話というものである。と言うより,テキストの理解を誤るので,表題など,ない方がよい。 この問題については,いわゆる「出雲の国譲り」について,「日本書紀を読んで古事記神話を笑う」の,「第25 国譲りという名の侵略を考える前提問題」「鈍感な人たちがいまだに国譲りと言う」「学者さんたちはイケナイ」で,論じ尽くした。
話が先に進まない。 それはともかく,ヤマトを目指した神功皇后は,1つの策略を実行する。 ヤマトに帰ろうとしたが,人心に疑わしいものがあったので,皇子を喪船に乗せて,すでに死んだという噂を流して,欺いたというのである。 これもおかしなものである。読み流すと,神功皇后がヤマトに帰るのは当然だが,もしやと疑わしく思って,こうした用心をした,と読めるようになっている。皆さん,そう思うでしょう。それが,通説的受け取り方です。 もっと,よく考えてみよう。神功皇后が「大后」で,子の品陀和気命が「太子」あれば,そんな小細工,する必要がない。でも,小細工せざるを得なかったわけだ。 しかもその小細工。「御子は既に崩りましぬ。」なんてのが,なぜ,小細工=戦略になるのか? 筆者は,そう思う。
さて,香坂王と忍熊王は,神功皇后がヤマトを目指していると聞いて,誓約(うけい)狩りをする。 誓約狩りとは,事の正否や吉凶を,狩りの結果で占う,誓約の一種である。 誓約については,「日本書紀を読んで古事記神話を笑う」のうち,特に「第14 誓約による神々の生成」の「素戔鳴尊の気持ちを試すのだから天照大神が神々を生む必要はない(本来の誓約ではない)」で,詳しく論じた。 速須佐之男命(すさのをのみこと)と天照大御神との誓約と同じく,ここでも,誓約の前提問題,例えば,狩りが成功したら戦いに勝つ,不猟だったら戦いに負ける,という前提問題が提示されていない。その理由は,古事記ライターが誓約の意味を理解していないからだ。 これについても,「日本書紀を読んで古事記神話を笑う」で論じた。
それはともかく,じつはそんなこと,どうでもよい。神功皇后との戦いの前に,なぜ誓約狩りの叙述が来るのか。それが問題だ。 とにかく,2人の敵の1人,香坂王は,戦う前から,誓約狩りの途中で凶暴なイノシシに食い殺されてしまう。 それが神の思し召しなのであろう。古事記ライターは,これが誓約の結果だと言っている。そして忍熊王は,「其の弟(いろと)忍熊王(おしくまのおう),其の態(わざ)を畏(かしこ)まずて,軍(いくさ)を興して待ち向へし時」となる。 要するに,忍熊王(おしくまのおう)は,誓約の結果が凶と出たのに,畏まることなく,神を畏れることなく,神功皇后に刃向かったと言いたいのだ。仲哀天皇と同様,神の言葉を聞かなかったと言いたいのだ。 神に刃向かったのは忍熊王。お前はすでに死んでいる,と宣言しているのだ。 皆さん,この叙述の意味が,わかりますか? ここまでの展開は,くどいようだが,以下のとおり。 @ 仲哀天皇は神に刃向かって死んだ。 A 品陀和氣命(ほむだわけのみこと)は,大神の託宣があった次期支配者である。 B その母神功皇后は,新羅征討で神懸かり的な勝利を収めた偉大な支配者だ。 ところが,戦いの前に,さらにまた,神の意思を前面に押し出す。念には念を入れた展開。 神功皇后が勝利するには,神頼みしかなかったのだ。神の権威で塗りたくろうという叙述精神。すごいもんです。 日本書紀も誓約狩りを叙述しているから,古事記ライターだけの責任ではない。しかし,叙述自体は,変な言い方だが,古事記の方が神の勢いが感じられて,洗練されている。
さて,最後に,建内宿禰(たけしうちのすくね)が品陀和氣命(ほむだわけのみこと)を率いて,角鹿(つぬが,今の福井県敦賀市)にいた大神に参った話がある。 この意味についても,「日本書紀を読んで古事記神話を笑う」で,論じ尽くした。「第7 黄泉国巡り」の「共食の思想と日本書紀・神功皇后摂政13年2月の歌謡」で,すでに述べた。 簡単にまとめると,政権を獲得したあとに大神に参り,報告し,その後少彦名命と共に酒を飲むのは,共食の思想だということだ。大神,少彦名命と一体となり,あるいは,一体であることを確かめたということだ。それは,朝鮮系の神であった。 ただ,古事記は,ちょっと違う。「故,建内宿禰命(たけしうちのすくねのみこと),その太子(ひつぎのみこ)を率(い)て,禊(みそぎ)せむとして,淡海また若狹の國を經歴(へ)し時,高志(こし)の前(みちのくち)の角鹿(つぬが)に假宮を造りて坐しき」とある。 日本書紀とは異なり,初めから大神がいる角鹿を目指したのではない。あくまでも,「禊(みそぎ)せむとして」が目的だったのだ。
建内宿禰(たけしうちのすくね)は,なぜ「太子」を率いて,禊ぎをする場所を求めてさまよったのか。 その理由は明らかである。 テキストの1行前を見るがよい。「すなはち海に入りて共に死にき」。死んだのは,神功皇后に敗れた忍熊王(おしくまのおう)と,その将軍伊佐比宿禰(いさひのすくね)だ。 だから,禊ぎが必要だった理由は,すんなりとわかる。本来ならば皇位を継承したはずの皇子を,理不尽にも殺してしまったからなのだ。 仲哀天皇の死には,大祓(おおはらえ)が必要だった。古事記では,殺人と禊ぎ,祓禊(はらえ)とが,緊密な関係にある。
学者さんの見解を見ておこう。 小学館の新編日本古典文学全集版古事記(山口佳紀,神野志隆光)は,品陀和氣命(ほむだわけのみこと)が「死んだと言いふらして喪船に乗った穢れをはらうためのミソギか」と言う。 申し訳ないけれど,筆者は笑ってしまった。 仲哀天皇他殺死説は,もはやどうでもよい。それよりも,テキストの当該箇所の,たった1行前を見れば,殺人の事実が書いてあるではないか。 なぜ,これらを無視するのだろうか。叙述と文言を,尊重していないのだろうか。「忍熊王の反乱」という表題を,テキストを無視してつける人は,こうなるのだろうか? 「太子」は,その母が仲哀天皇殺人にかかわり,自らも,忍熊王(おしくまのおう)らの殺人にかかわった。すべてに正統性はなく,神を持ち出すしかない,ごり押しの連続だった。だからこそ,晴れて天皇位につく前に,禊ぎをする必要があったのだ。自らが反逆者だったからこそ,禊ぎが必要だったのだ。 古事記ライターの叙述は,極めて明快だ。
禊ぎの場はいくらでもある。伊邪那岐命(いざなきのみこと)は,「竺紫(ちくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはきはら)」で禊ぎをした。 なぜ淡海や若狹の國をさまよったのか。 これは,理解しやすい。
さて,角鹿にいた大神との対話の内容はどうだろうか。 これに関する古事記ライターの叙述の適当ぶりについても,「日本書紀を読んで古事記神話を笑う」の,「第3 修理固成の命令」,「応神天皇即位前紀『然れども見ゆる所無くして,未だ詳ならず』」以下で,詳細に論じた。 角鹿の大神の名は,伊奢沙和気大神(いざさわけのおおかみ)といった。しかし古事記ライターは,「伊奢沙和気大神の命」などと,「大神の命」という矛盾した呼び名をつけている。品陀和氣命(ほむだわけのみこと)賛美のため,「大神」にさらに「命」をつけて,貶めているのだ。 とにかく古事記ライターの叙述をまとめると,以下のとおりである。 @ 奢沙和気大神(いざさわけのおおかみ)までも品陀和氣命(ほむだわけのみこと)の名前を欲しがった。 A だからこそ名前を交換してほしいと申し出た。 B 伊奢沙和気大神は,名前交換のお礼に,「(まい),獻(たてまつ)るべし」と述べた。「幣」を奉るのは,天皇に服従する者がすることである。 C その幣とは,イルカだった。 D 品陀和氣命(ほむだわけのみこと)は,神が「御食(みけ)の魚」をくださったと言って讃え,その後大神は,「御食津(みけつ)の大~」と名付けられた。 一貫して,応神天皇賛美の叙述である。それが読み取れない人は,ものを読んでいない証拠だ。 「御食津(みけつ)の大~」なんて言われたからって,誇ってちゃいけない。大神が誇るべきものじゃない。「御食津」なんて,天皇に食料を奉るという意味だ。天皇に対する食料供給地だった淡路島と同じだ。天皇に服従したことを,天皇が讃えた,というお話しなのだ。
注意すべきことは,日本書紀がああでもないこうでもないと言っている,どのような名前を交換したのかという点には,一切注意が払われていないという点だ。 この点,日本書紀の叙述には,伝承を詳細に残そうという姿勢が感じられる。伝承の矛盾に対する編纂者の悩みが,ストレートに出ている。しかし,古事記はまったく違う。上記したとおり,応神天皇礼賛のセンで,まるっきり書き改められている。 事実関係,あるいは伝承の正確さについては,日本書紀の方が信頼できる。古事記は,あくまでも,大神が天皇に服従したという点に叙述の焦点があるし,それ以外,余計なことは一切書いていない。 こんなところにも,文献としての日本書紀と古事記の価値の違いが出ている。
さて,神功記の最後に,神功皇后は酒を造り,品陀和氣命(ほむだわけのみこと)に奉る。 その意味は,前述したとおり,「日本書紀を読んで古事記神話を笑う」,「第7 黄泉国巡り」の「共食の思想と日本書紀・神功皇后摂政13年2月の歌謡」で,すでに述べた。 簡単に言うと,日本書紀や古事記の神話には,共食の思想が頻繁に顔を出す。ヨモツヘグイはその一種であり,食事を共にすることにより,異界の者と一体化する儀式である。崇神紀,崇神天皇8年12月の歌謡も,まったく同じである。 ここもそれで,政権を安泰にした神功皇后は,朝鮮と関係の深い少彦名命が造った酒を飲むことにより,これまた朝鮮に縁がある敦賀の気比の大神(けひのおおかみ)と共食するのである。 |
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