第5 その他の問題
 
 
神功記が仲哀記の中にあるわけ

 今まで筆者は,神功記と言ってきたが,正確には仲哀記である。いわゆる神功記は,仲哀記の中にある。そしてその分量は,仲哀記と言っても,じつは神功皇后のことしか書いてないくらいの分量だ。
 日本書紀は,仲哀紀のあとに,神功皇后を別に章立てている。

 なぜだろうか。

 古事記ライターは,殺したとは言わないが,仲哀天皇殺しの証拠をたくさん残してくれた。古事記ライターは,真実(あるいは正しい伝承)を知っていたのだろう。しかし,天皇の系譜と正統性を重視する古事記ライターにとって,神功皇后を別に章立てることはできない。だから,仲哀記の中に取り込む。仲哀記と言ったって,じつは神功皇后が大活躍した時代だった。


日本書紀との関係

 これで,日本書紀の神功紀も,すっきりと読める。話の筋と,それを装飾する神懸かりの部分とを,腑分けして読める。神功紀は,古事記に比べ,さらに手が込んでいるのと,朝鮮の文献を使っているので,叙述を混迷させているのだ。

 古事記の神功記は,日本書紀に比べて,非常に洗練されている。日本書紀のような,晦渋なところがない。要点を,たんたんたんと述べていく。そして,大祓(おおはらえ)という古事記独特の叙述をいれて,叙述の意味を際だたせようとしている。

 日本書紀のリライト版なのか?

 少なくとも古事記ライターは,日本書紀編纂者が見ていたのと同じ伝承を知っていた。しかし,資料を机上に置くこともなく,参照することもなく,頭の中にある要点だけを,書き流したように見える。


日本国という意識

 蛇足だが,神功紀には,新羅に対して「日本国」(神功皇后摂政前紀)という意識が明瞭に出ている。日本列島内の一地方の名称にすぎないヤマト=倭ではなく,日本という国号を使用しているのだ。

 この国家意識があるからこそ,新羅のみならず高麗(高句麗),百済も降伏してきたとし,「故(かれ),因りて,内官家屯倉(うちつみやけ)を定(さだ)む。是(これ)所謂(いはゆる)三韓(みつのからくに)なり。」として,3国が朝貢してくる歴史的根拠としている(神功皇后摂政前紀)。

 朝鮮の百済国系の資料を参照しつつも,干支2運繰り上げてまで,配置したのは,そのためだろう。


神功皇后は卑弥呼か

 さて,神功皇后は卑弥呼か,という問題に触れておこう。

 古事記自体に,直接的な手がかりはない。しかし日本書紀は,神功皇后摂政39年以下で,いわゆる「魏志倭人伝」を引いて,神功皇后が卑弥呼だったかのような叙述をしている。

 ここから,日本書紀編纂者は,神功皇后を卑弥呼だと考えていたという学説が出てきた。

 しかし,誤りである。
 文献の読み方としては,むしろ逆になる。これについては,叙述と文言に着目した,武光誠の指摘が鋭い(「邪馬台国と大和朝廷」・平凡社・255頁以下)。

 日本書紀編纂者は,いわゆる「魏志倭人伝」を読んで知っていたのに,決して,「邪馬台国」とか「卑弥呼」という言葉を使っていない。「倭国」「倭の女王」という用語を使っている。

 これは,「邪馬台国」が発展して大和朝廷になったことを,日本書紀編纂者が知らなかったことを示している。天皇の祖先に,「卑弥呼」という女王がいたことを,日本書紀編纂者が知らなかったことを示している。

 日本書紀編纂者は,自信をもって,「卑弥呼」こそが神功皇后であり,「邪馬台国」こそが大和朝廷であると,断定できなかったのだ。「そこで,神功皇后の記事のなかに,きわめてあいまいな形で,『魏志倭人伝』を引いておいたのだろう」(上記)。

 だから,日本書紀は,邪馬台国ヤマト説を否定している。上記した武光誠は,考古学的知見をも駆使して,邪馬台国九州説を主張している。
 邪馬台国がどこだったかという問題は,考古学的知見,その他の知見を総合して判断する問題であろうが,日本書紀という文献を見る限り,ヤマト説は取れない。


神功皇后にまつわりつく神の話の意味

 最後に,神功皇后伝説に頻出する,神の話の意味をまとめておこう。

 武光誠は,卑弥呼はシャーマンではなかったとして,こう指摘している(「邪馬台国と大和朝廷」・平凡社・214頁以下)。

 「卑弥呼を巫女(シャーマン)とする説は,彼女が女性の身でありながら支配者になったとする点から安易に出されてきた。・・・確かに未開の民族には,精霊のお告げにもとづく支配を行う者が多い。しかし,他の部族との交渉が生ずると,そのような精霊信仰は政治の表面から姿を消す」。

 「隣の部族との戦争が起こった。部族の巫女は,戦いの前に自軍が勝つとお告げを下す。ところが,戦いでは,味方はさんざんに打ち破られてしまった。一度でもこういった経験をした部族は,巫女を重んじなくなる。それゆえ,中国や朝鮮の諸国との交渉が開かれ,小国どうしの争いが頻発した卑弥呼の時代には,精霊のお告げだけでは人々を動かせなくなっていたのだ」。

 これは,卑弥呼に関する記述だが,神功皇后にもそのまま当てはまるだろう。神のお告げなど信じていない時代のはずなのに,神が重用された神功紀と神功記。

 神,神,神で埋め尽くされた古事記はもちろん,日本書紀も,神に頼りすぎている。それは,神により神功皇后の正統性を権威付けたかったからだ。だから,神に関する記述は,すべて,除外して考えるべきなのである。

 ただ,神功皇后の勝利は,あまりにも劇的だった。それは,壬申の乱における天武天皇の勝利以上に劇的だったろう。だから,神功皇后に関する伝承が,初めから神に彩られていたことは考えられるだろう。

 
 
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