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A 01 生きる 古希の祝いを、媒酌をした方たちが開いて下さったのは、もう10年も前のことになった。還暦のときは全く何もしなかったし、そのうなお祝いは年寄り臭い気がしていたのに、それを古希の時にその話をお受けする気になったのは、胃癌の手術をしてまだ2年目で、当時は何時まで生きていられるのか判らなかったからであろう。 私の両親はともに胃癌になり、ともに手術を受けたが、父は胆石症を併発して61歳で亡くなった。母は手術には成功したが、その5年後に肺に転移して亡くなった。62歳だった。その私が胃癌と言われたとき、これは宿命と感じたことを覚えている。その時は68歳だったから、両親よりは既に長生きはしていたが、母のことを思って、あと5年の命であると勝手に悟っていた。古希のお祝いが励ましになったのか、元気にその5年も通り過ぎ、とうとう80歳になろうとしている。 私が所属しているゴルフ倶楽部は霞ヶ関カンツリー倶楽部で、ここには数え年80歳以上の有志のメンバーによる会がある事は、以前から承知していた。しかしその入会案内が届いたときには、判っていた積もりでも、やはりショックであった。80歳まで生きたことを素直に喜ぶ前に、老人の烙印を押された気分であったからだ。 これは自分が80歳になったとの意識が薄いから驚いたり、嘆いたりするのだから、これからは80歳をしっかりと意識することにすればよいのだ。年寄りには年寄りにしか出来ない仕事がある筈、これからはいままでと違った生き方、まず身体を労わり、精神的に老け込まず、出来るかぎり若い人達との間に壁を作らず、話あって生活していく。この心掛けを忘れずに自然のうちに次第に消えていく道を歩むことにしたいと考えた。 所詮自分の持つ余命を自分では知ることは出来ない。そうであるなら生きる目標を持ち、努力はすべきと思った。80年の間に私の周囲にいて支えてく下さった人はとても数え切れるものではない。それを思えば自分勝手な気持ちで、漫然と時を過ごすべきではない。まだ誰かの役に立つことが出来るかもしれない。このささやかな希望だけは、矢張り旅立つその時まで持ち続けるべきであろう。 もう一つは目である。小さな字が読み難くなったのは、はるか昔のことであるが、ゴルフしていて打った球が判らなくなる、パターの距離が合わなくなる、入らなくなる、ということが最近では当り前になってきている。これまたどうしょうも無いことらしい。どんなに気持ちばかりは老人になりたくないと努めても、身体の方はそうは行かない現実はきびしい。しかも同年輩の人達との体力差は個人的にはっきりしてくるし、私のように病気をした者はその差が更に大きくなる。これをどう悔やんでみてもどうにもならず、その現状を甘受する他はない。 |