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A15
書き残してみたこと 誰方から伺ったか古いことで忘れたが、毎年正月に遺言書を書いているとお聞きした。自分の亡きあとのことを残った人たちに伝えるためであろうし、法律的にも裏付けされていることは承知しているが、私には無縁なことに思えてこの話を聞いた時も、面倒なことをよくされているものとしか考えなかった。だから私は一生そのようなものは書かないだろうと思っていた。ところが手元の書類を整理していたら、自分の気持ちを残してみたいと思って書いたらしいものが出てきた。それは胃癌の手術をして、何とかこの世に生き残ることが出来たと思った頃、今から10年も前に書いたものであった。生きている喜びを改めて知ったとの心境からであったと思う。 「まず、妻登代に感謝する。りよ夫婦とその子供たち、ゆり夫婦に感謝する 匡、彰とその家族に感謝する。鈴木家、増田家の親族皆様に感謝する。 この他に仕事の上でお世話になった方たちはとても数え切れないが、こうして書いたものをみると、実に沢山の方たちのお蔭で生きてきたことが、よく判ったとともに、多くの友人、知人、仲間に恵まれたことの幸せを、しみじみと感じた。 母から生前よく「人に感謝の気持ちを忘れてはいけない」と教えられた。この気持ちを持っていれば、人を憎んだり、恨んだり、傷つけたりする心が小さくなるという。今この年齢になってそれを思い出し、やっとその心が僅かだろうが持てるようになったと思う。残された人生があとどのくらいかは知る由もないが、この「感謝の気持ち」は忘れずにこれからも生きていこうと思う。 10年前に書いた一文はこれで終わっている。 付言しておくと、「いわな」とは正式には「いわな同人会」、この会は昭和18年12月の学徒出.陣のとき、当時の青山学院山岳部に在籍していた12名でつくられた。その頃は我々も何れは戦争に駆り出されるから、自分の後継者を入れてよい、とのことで、更に何人かが入ったが、結局戦争で亡くなったのは横瀬君ひとりであった。戦後になって結婚すればその夫人も会員としたので、家族ぐるみの会になり、今日では特に何もしていないが続いている。 重ねてお断りするが、この一文は10年前に生き返ったことを喜んで書いたものである。感謝の気持ち忘れるな、は母の言葉であったが、何故その言葉が10年前に頭に浮かんだのか、それは今となっては判らないが、10年前その気持ちであったことに間違いはない。 |