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G4 父の著作 (鈴木文史朗) 父のペンネームはである。新聞記者であったから、原稿を書くのが職業であったのだが、それとは別に身辺のことや自分の考えを、頼まれてかどうか判らないが、書いていたのであろう。
戦後は2冊であるが、文史朗随筆は戦前書いたものの中から選んで、纏めたもので、書き下ろしではない。またここには挙げていないが「文史朗文集」、これは父が亡くなったあと講談社の尾張専務の計らいで過去の著作から選んで発行された。 ? このHPを書くに当たって本棚から著作を出して、驚いたことがあった。それは父の第一作「東西話行」の扉に「弘に贈る 昭和九年三月誌 父より」と書いてある、前述の通りこの本が発行されたのは大正15年、昭和9年と言えば出版後10年たっているときで、私は10歳、父が何を思って私にこの本を残してくれたのか、それにこの本はその後何処にあって戦災を免れたのか、判らないことばかりなのである。しかし70年以上も前に父が署名した本は今も私の目の前にある。 「カイゼルに会見せよ」という電報がパリ取引所前の朝日新聞事務室に舞い込んで来た時、僕はくすっと笑わざるを得なかった。 本社に於けるこの電報発案者の思い付きが可笑しいのではない。欧米数十の新聞編集者は、カイゼルが去年ドイツを逃げ出した瞬間からこの事を謀んでいる。そうして皆失敗している。可笑しいのは、この事務的な電文そのものと、その蔭にひそんでいる運命の皮肉である。壮麗なベルリンの宮殿に、ローマの昔の皇帝のような豪奢な生活をしていた、当時のカイゼルに謁見した日本人は沢山いるだろうが、誰もその時、自分の国の一新聞社特派員がこんな電報を受け取るような日が来ようとは、夢にも思わなかったろう。思わないほうが尤もだ。特派員自身もこの電報を受け取るまでは、夢にもそんなことは考えなかった。「カイゼルに会見」如何に今日のカイゼルは、昨日のカイゼルではないにせよ、如何に職業柄会見に慣れているにせよ、また如何に欧米の同業者が生真面目に目論んでいるにせよ、カイゼルに会見しようということは、ちょっと僕の頭に上らなかった。第一それが今のところ「出来ない相談」であることは分かりきっていた。電報発案者もその点よく心得たもので「不可能ならば、最近の消息を実地に見聞し報道せよ」と、最後に付け加えてある。これなら一層初めから「カイゼルの最近の消息を報道せよ。可能なれば会見せよ」とした方が、人騒がせでなくてどんなによいか知れやしない。(「東西話行」より) 序章の一部にすぎないが、ご紹介した。これが書かれたのは大正年代であること、もう80年も前の文章なのだが、これをどうみるか、今の人達にもこれなら抵抗なく読めると思ったのだが、それは私のひいき目だろうか。 余談になるが、この時どのルートを使ってパリにまで辿り着いたのか、飛行機はないし船ならば印度洋まわりだし、それともシベリア鉄道を利用したのか、それは判らないが、当時パリにまで行っているのである。その旅行記録はどこかにあるのかも知れないが、今の私には謎である。英語は通訳ができるくらい堪能であったが、ドイツ語、フランス語が話せるとは思えない。やはりその頃の父は若かったのだな、と思う。 ? ここでもう一つ、今度は戦後に書いたものを紹介しよう。「大臣はおかしい」という表題で雑誌に書いたものと記憶する。この頃書かれたものは、時にはわが家の話題になったこともあって、私はこの「大臣はおかしい」について父から聞かされた覚えがある。その時「ではどんな名前ならいいのか」と質問したら、答えは「まあ長官かな」だった。 時世はあっけないほどの短期間に再変転した。天皇統治の対象であった人民に、国の主権が移った。天皇の意思一つで任免することが出来た総理大臣は、今度は国会が指名することになった。その他なにもかも、いやな流行語だが「無血民主革命」により変革され始めたのである。 こうなって来ると、「大臣」という名称も再検討の論議が、さしずめ左翼陣営あたりから出て来ても不思議はない筈だが、筆者はまだ聞いていない。この民族の美質として保存し強化すべき制度、慣習、情誼も、古いものはことごとく「封建的」として排斥するのを一つの仕事としている諸君が、はるかに「封建的」以上の「大臣」を見逃し、あるいは問題にしないのは千慮の一失というものだろうか。(随筆より) このあと大臣の名称を変えるべきとの論理を展開しているが、この名称は蘇我の時代に遡るとあり、藤原鎌足が内大臣になったときから、宮廷の官名になったとある。大臣の名というか言葉が、如何に古くからあったのを承知で、父はこの名称を変えるべきと述べたのである。まだ参議院に立候補する以前に書いたと思うが、文の中で左翼の人達を「諸君」と呼んでいるが、その時父はまだ60歳にはなっていない。何か早くから老成しているのを感ずるが、大正時代に書いた文章とどのくらい違うだろうか。何かこの文に貫禄を感ずることができる、その程度だろうか。 (2006.5.5.) |