「おい、」
「何?」
「お前、明日俺様の為にランチを作れ」
「……は?」
何ですと?
Battle of the lunchtime
「……あのね、長太郎」
「はい?何ですか?」
「例えばの話ね」
「はい」
「人生で一度だけ、一人だけぶっ殺していいっていうライセンスが発行されるとするじゃない?」
「…………な、何だか、随分物騒な例え話ですね」
「今それが発行されたら、私、わき目も振らずに跡部のところにダッシュすると思うわ」
「……………………」
うん自信が持てる、と確信して頷く私の隣で、長太郎はライ麦ブレッドにカラシバターを塗っていた手を止めて、しばらく無言だった。 切り仕損じたローストポークの切れ端をあげようとして、それに気付く。
「長太郎?」
「……あ、は、はい!」
「どうしたの」
「……いえ、あの……」
「あ!やーだなーもう、さっきのは冗談だからね、冗談」
「えっ、あ、あはは、そうですよね。冗談ですよね!」
「うん。まぁ半分くらいは本気だったけど」
「………………………………」
「ホイ、口開けて。あーん」
「え?え?えっ?」
「あーん!!」
最後の一声は私じゃなく、長太郎と私の間から聞こえた。
狭い隙間に無理やり割り込んできた、ハチミツ色の頭がぐりんと上を向いて。
「ジロちゃん、練習終わったの?」
「うん、オレはね!てゆーか長太郎ばっかずるい!、オレにもあーんてやって」
「……はい、あーん」
「いえーい!」
当初は長太郎の口に入るはずだったローストポークの切れ端に、遠慮なくぱっくり噛み付いたジロちゃんが、きゅっと目を細めて嬉しそうに笑った。
もう一切れを長太郎の口元に差し出すと、こちらはちょっと赤くなりながら、遠慮がちにパクリと噛みつく。
二人してもごもご口を動かしている、その様子がたまらなく可愛い。
「どーですか、お味は」
「んまーい!」
「すごく美味しいです!」
「よしよしよし」
期待通りの反応に満足して、一旦止めてた作業を再開する。
パンと具を交互に重ねて積み上げて、ある程度の高さになったら乾燥防止にラップをかけて、重石代わりのお皿を乗せて冷蔵庫へ、を繰り返すこと数回。
9人分って思ってた以上に大変だわ……しかも、並みの9人分じゃないし。
ジロちゃんが私が持ち上げたボウルの中身を覗き込んで、物珍しそうな顔をする。
「、コレ何?」
「ん?アボカドのディップだよ。エビと一緒にサンドするの」
「何かまずそう……」
「好き嫌い言ってると大きくなれないよ、ジロちゃん」
「美味しいですよ、アボカド」
「うえーマジー?」
疑わしそうな声を上げるジロちゃんに、もう一切れローストポークをかじらせて皆を呼んできてと頼むと、賄賂が功を奏したらしく、金色の後頭部は瞬く間に家庭科室から消えた。
問題は呼びに行く途中、どっかで寝てしまわないかってことだけだな。
念の為、予防線を張ってからシンクの前に戻って、長太郎に指示を出しながら、ライ麦サンドの仕上げに入った。
「あとはスープ温めてー……あ、コーヒーと紅茶。アイスはもう用意できてんだけど、温かいのもあった方がいいよね」
「コーヒー、俺が入れましょうか?」
「お願い。ゴメンね、何かいろいろやらせちゃって。午前の練習早めに切り上げたこと、宍戸怒ってなかった?」
「大丈夫ですよ。それにこの量を一人で作るのは、さすがの先輩でも厳しいでしょう?」
「まーね……それもこれも、どっかのバカボンがワガママ言い出したからよ!食堂のメニューに飽きたからお前が作れって、私はお前専属の料理人じゃないっつーの!あーもー、ホントに発行されないかな、マーダーライセンス!」
「……何の話しとん」
「うわっ」
前触れなく耳元で囁かれて、危うく手に持っていたスプーンを落っことしそうになる。
左の肩にかかる重みを振り払うように身をよじると、声の主が笑って一歩後ろに退いた。
声の主はいつの間にか部屋に入ってきていた忍足で。
その後ろには、まだサンドしてないさっきのローストポークを前に、涎を垂らしそうな顔をした岳人。
「一声掛けてから入ってきてよ!あーびっくりした!」
「そらスマンかったね。で、マーダーライセンスて何やねん」
「ええ?だからそれはー……て、岳人!つまみ食いするんじゃない!」
「何だよケチくせーなー。一切れくらいイイじゃん!」
「ダメ!ところで、あんたたち二人だけ?ジロちゃんが呼びに行ったにしては来るのが早いけど、他の皆は?」
「ジロー?いや、知らんけど。俺らは自分らの練習メニューが終わったんで先にこっち来ただけやし」
「ああ、そういうこと」
「何かやることあんなら手伝うで?」
「そう?じゃあね、えーと…………岳人。手出したら最後、あんたの分の昼ご飯はないと思え」
「は!?何だよケチケチ!クソクソクソ!」
さっきの私の牽制にもめげずに、こっそりお皿に手を伸ばしていた岳人に釘を刺す。
て言うか、食べ物に向かって唾飛ばすなっつーの。
喚く岳人の目の前から具の乗ったお皿を自分の方に引き寄せて、まだ手付かずのレタスと一緒にシンクで手を洗っている忍足の前に置いて。
「じゃあこのレタス、適当な大きさに千切って水にさらしてくれる?」
「オッケー」
「岳人も早く食べたかったら手伝いなさいよ」
「何すりゃいいんだよ」
「お皿やカップ出すくらい、言われなくても出来るようになれ」
笑顔で言い切ったら、岳人はそれ以上反論する気が失せたらしかった。
ぶつぶつ言いながら食器棚に向かった岳人に、長太郎が手伝いますーと声を掛ける(どこまでイイ子なのあの子は)のを聞きながら、家で作ってきたミネストローネをタッパーから鍋に移して温める私の横で、忍足は慣れた手つきでレタスを剥いて流水で洗う。
特に指示した訳でもないのに、きちんとパンにはさむのにちょうどいいサイズに千切ってる辺り、ソツが無いなー。
何となく作業する忍足の手を見ていたら、視線に気付いた忍足がちらっとこっちを見て笑った。
「何や?」
「んーん、別に?」
「ふぅん?つーかアレやね、こうして二人でシンクに立っとると」
「何?」
「まるで新婚さんみたいやなーとか思わん?」
『キモイ』
「……キッツー」
ツッコミ鋭すぎ!と呟く忍足を無視して、鍋の中身をかき回しながら、ふと気付いた。
……てか、今私の声に誰かの声がハモらなかった?
んん?と首を傾げた私の背後で、不機嫌そうな声が響く。
「……おい、誰か手ぇ貸せ」
「何しとんねん自分」
「見りゃわかんだろ、こっち来る途中、廊下のど真ん中で寝コケてやがったから連れてきたんだよ!つーかいい加減起きろジロー!床に転がすぞお前!」
「そういや、さっきジローに俺ら呼びに行くよう頼んだて言うてなかったか?」
「うん。でもまー、こういう状況も予測してたから。予防線として跡部の携帯にメールしてある」
「おーさすが。用意周到やね」
「まーねー。送り出した時はしっかり起きてたから大丈夫かと思ったんだけど、やっぱ寝ちゃったかー」
「……しみじみ溜息ついてる暇があったらこれをどうにかしろ!」
額に青筋を浮かべた宍戸が、気持ち良さそうに寝息をたてるジロちゃんを背負って(半ば引きずって)室内に入ってきて、じろりとこっちを睨んだ。
どうにかしろっつったって、どうしろって言うの。
「そんなこと言われても、こっちだって手が離せないしさ」
「自分でさっき言うたみたいに、その辺の床に転がしといたらええやん」
「あ、転がすなら邪魔にならないとこにしてね」
「お前ら……」
「ホラホラ怒らない怒らなーい。いいものあげるから、ジロちゃん置いてこっちにおいで」
「ガキ扱いしてんじゃねー!」
一見乱暴に、その実結構気を遣ってジロちゃんを床に降ろして。
不機嫌な表情のまま、こっちに寄ってきた宍戸の前に、さっきのアボカドディップをつけたエビを一尾、ひょいと差し出す。
「……何だこれ」
「ジロちゃん連れてきたご褒美。はい、あーん」
「ンな真似出来るかタコ!自分で食うからそこ置け!」
「却下。ほらあーんして、あーん」
「何でだ!」
「まだ手洗ってないから。あーほらディップがたれちゃう!早く!」
「〜〜〜〜〜〜」
私の指先がつまんでるボイルしたエビより真っ赤な顔の宍戸が、観念したようにそれに食いつく。
少し離れたテーブルで食器の用意を続けていた岳人が、目敏く気付いて、ずっけーぞ宍戸!と怒鳴ったのを、手伝っていた長太郎が宥めにかかるのが見えた。
うるせぇとか何とか怒鳴り返したいんだけど、口の中のエビの所為で出来ないらしく、宍戸は岳人を睨むばかり。
真っ赤な顔は一向に元に戻る気配がなくて、その様子はジロちゃんや長太郎の反応とはまた違って新鮮。
面白いからもうちょっとからかっちゃおっかなーと思った時、唐突に新しい声が割って入った。
「おい、食事の支度はまだか」
「……ちっ、せっかく面白いところだったのに。タイミングの悪い」
「あーん?」
日吉と樺地を従えて颯爽と家庭科室に現れたのは、本日のランチの注文主でスポンサー様。
無視して、最後のロールパンとベーグルのサンドを黙々と作成していると、呼んでもいないのに傍までやってきた。
「ふん、見た目は悪くねぇな」
「……樺地、悪いけどジロちゃん起こして、椅子に座らせといて。日吉は手洗ったら、コレそっちに運んでくれる?」
「わかりました」
「ウス」
「おい」
「宍戸はこのお鍋持ってって。熱いから気をつけてね。忍足、さっき冷蔵庫に入れたサンド、カットするから持ってきて」
「……おう」
「わかった」
「……おい、」
「岳人がくとー、ちょっとおいでー」
「あんだよ!」
「はい、切れっ端だけど。これ食べたらスープ用の深皿とスプーン用意してね」
「オッケー!お、うめーじゃん!」
「…………」
余ったローストポークの切れ端にいたく満足したらしい岳人が、軽い足取りで再び食器棚に向かったのを確認してから、忍足の持ってきたサンドウィッチをカットしてお皿に並べていく。
すぐ隣で苛立たしげに舌打ちするのが聞こえた。
「、てめぇな」
「手伝う気がないなら邪魔だから座ってろ」
「……………………」
「長太郎、紅茶もお願い!」
「あっ、はい!わかりました!」
無言で食事の並ぶテーブルに足を向けた跡部の後ろ姿を見て、サンドウィッチを並べるのを手伝ってくれてた忍足が、ニヤリと笑って私の右手を掴んでひょいと上に差し上げた。
「ウィナー」
「当然じゃん」
「……何を遊んでるんですか、先輩、忍足先輩」
「いや、ちょっとね」
「お、これでラストやね。日吉持ってきや」
「はぁ」
私と忍足と日吉が最後の大皿を手に席につくと、待ち構えていたように、ジロちゃんと岳人の元気な声が上がった。
『いっただっきまーっす!!』
「はーいどうぞー」
「先輩、紅茶どうぞ」
「あーありがと!」
「忍足先輩はコーヒーでいいですか?日吉は?」
「アイスコーヒー頼むわ」
「俺も同じものでいい」
「うおー!これうっめー!!」
「このチーズ美味いな。長太郎、もう一つ取ってくれ」
「これですか?」
「…………先輩、この黒いのは何なんです」
「あ、それはねー海苔!海苔とバターのサンドなの」
「海苔!?げー、マジかよ!」
「コレが結構美味しいんだってば。文句は食べてからにしてよね」
「……あ、ホントだ、結構美味しい」
「ええーっマジマジ!?」
「ほーらごらん!食わず嫌いしないで食べてみなさいよ、ホラホラ!」
「お、マジで結構いけるぜ、これ。バターの代わりにスライスチーズでも良くねぇ?」
「お前はチーズ入っとったら何でもええんとちゃうか」
「うるせぇ!」
サンドウィッチの味はなかなか好評で、内心ホッとしながら紅茶のカップに口をつけた時、それまで黙って食べていた跡部がカチャンと軽い音を立ててカップを置いて、私の方に向き直った。
「まぁ悪くねぇ味だったぜ」
「……それはどぉーも」
「他の奴らの分までってのは、どうにも気に食わないがな」
「昨日も言ったけど、あんただけ特別扱いするつもりは毛頭無いからね」
「……ちっ」
「でも食堂のメニューに飽きてきたって言うのは、確かにあるんですよね」
「あー、まぁな……」
「だよなー、メニューの数は多いけど、その分あんまり変更しねーし」
長太郎のフォローに、宍戸と岳人が相槌を打つ。
樺地からアイスコーヒーのお替りを受け取った日吉も、それに賛同するように軽く頷いてから、グラスに口をつけた。
……確かに、うちの食堂が一般の学食に比べてメニュー豊富だって言っても、部活で一般生徒よりも使用回数が多い分、飽きが来るのが早いってのはあるかも知れない。
そう考えると、まぁこういうふうに作るのも、たまにならやってもいいかなって思う。
皆、部活頑張ってるんだし?
マネージャーからの、ささやかな激励ってことで。
「皆がそういうなら、まぁ……」
「ん?」
「そのうちまた、作ってもいいけど」
「マジマジ!?やっりー!!」
「俺、次はおにぎりがいい!あと唐揚げな、唐揚げ!」
「オレねオレねー、えーと卵焼き!甘いヤツ!」
はしゃいだ声を上げるジロちゃんと岳人に苦笑して頷いた、その次の瞬間。
イヤーな予感がして、跡部の方に視線を向ける。
そこには。
紅茶のカップを手に、してやったりと言わんばかりに笑う跡部の顔。
何、あの邪悪な笑みは……。
「今、作ってもいいっつったな?」
「……そのうちまたって言ったわよ」
「なら、とりあえずこれから毎週土日は頼むぜ」
「は!?」
毎週土日!?休日練習日両方とも!?
「冗談じゃ―――」
「おい、樺地」
「…………ウス」
跡部の呼びかけに、大変申し訳なさそうな顔でこっちを見ながら、樺地が何かをテーブルの上に置いた。
……テープレコーダー?
数秒巻き戻して、再生ボタンを押す。
流れ出してきたのは、間違いなく、たった今さっきまでの私たちの会話、で。
「…………謀ったなこのヤロウ…………」
「言ったからにはきちんとやってもらおうじゃねぇか、なぁ?」
「よっしゃ、おにぎりと唐揚げ!」
「オレたまごやきー!!」
勝ち誇った跡部の台詞と、こっちの気も知らずに歓喜の声を上げるジロちゃんと岳人の声に、他の皆の声が重なった。
「……相変わらず、やることえげつないなぁ跡部」
「まー頑張れよ。美味い飯期待してっから」
「あの、先輩。俺、また手伝いますから……」
「言質を取られたのは自分のミスですからね、頑張って下さいよ」
「……すみません……」
テーブルについた拳をふるりと震わせる私の耳に、跡部の高笑いが突き刺さる。
第二ラウンドウィナー跡部ー、と呟いた忍足の声を聞きながら、心底から願った。
神様仏様、日本政府様。
どうか私に、マーダーライセンス、下さい……!
ンなもん出るわきゃーない。>マーダーライセンス
海苔バターサンドは美味いです、マジで。
06/06/27UP
written by 蒼依
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