明日提出の課題のプリントを机の中に忘れたことに気付いて戻った、放課後の教室。
乱暴に開けた扉の向こうでゆらりと動いた人影に俺は足を止めた。
窓から差し込む西日を背に振り向いたその顔が、教室に入ってきたのが俺とわかった途端にくしゃりと歪んだ。
頬に残ってんのは涙の跡。
まだ潤みがちの大きな瞳が赤く染まって見えたのは、決して気のせいじゃなかった。


「―――バネ?」
「……何やってんだよ」


俺の口から漏れたのはそんな一言。
明らかに今の今まで泣いてた女相手なんだから、もうちょっと気の利いた言葉の一つも掛けてやるべきなのかもしんねーけど、生憎と俺にそんなスキルはない。
そういう俺の性格をよくわかっているから、は何も言わずにどこか歪んだ表情のまま笑った。


「バネこそどうしたの?皆は?」
「課題のプリント忘れたんで取りに来たんだよ。あいつらは先に帰った」
「ドジ」
「うっせーよ。お前こそ、こんな時間まで何やってたんだっつーの」
「ん、なんかちょっとボーっとしてたら、いつの間にかこんな時間になっちゃってた」
「ちょっとじゃねーだろ。何時間ボーっとしてりゃ気が済むんだよ、普段からボケっとしてるくせによ」
「うるさいなーもー。もう帰るもん」


はわざとらしく唇を尖らせて座っていた席から立ち上がって、ゆっくりと帰り支度を始めた。
俺も自分の机からくしゃくしゃになった課題のプリントを引っ張り出してカバンに突っ込んで。
帰ろうぜ、と声を掛けようとした時、バサバサと音を立ててのカバンの中身が床に落ちた。
ああ、と小さな声を上げて、はしゃがみ込んでのろのろと教科書やノートを拾い出す。
俺は聞こえないくらいの溜息をついてから、机の間をすり抜けての隣に行って、同じようにしゃがみ込んで落ちたもんを拾うのを手伝った。


「人のことドジとか言えねぇよな、お前」
「ごめーん……」
「…………」


ぺろりと小さく舌を出して笑ったその表情は、どこか不自然な笑顔で。
俺の胸にじくじくとした嫌な痛みをもたらした。
最後のノートを拾い上げて、手にしたそれで軽く、本当に軽く、の頭を叩く。
一瞬見開いた目はやっぱり真っ赤で、頬の涙の跡も近くで見ると一層痛々しかった。
がこんなふうに泣く理由を、俺は知ってる。
だけど、泣かずにすむようにしてやることは出来ない。
それは俺が口を出していい範囲を外れているからだ。
たくさんのことを知っているのに、してやれることは少なくて、言ってやれる言葉も少なくて、何の力にもなってやれない、それがどうしようもなく悔しかった。


ぐっと唇を噛みしめた俺の顔を見つめて、掠れた声でが俺を呼ぶ。


「バネ?」
「……帰る前に顔洗ってけよな」
「……あー、やっぱひどい顔になってる?」


らしくないへらっとした力の入らない笑い方が、俺の胸の痛みをいや増す。
我慢出来ずに、俺はさっきよりも少し強めにノートで額を叩いて、抑えた声で呟いた。


「んなツラで無理に笑うな。俺の前でくらい素直に泣いとけ」
「……っ」
「幼馴染特権で胸くらい貸してやっからよ」


ノートの影でたちまちの表情が歪んだ。
湧き上がった大粒の涙がぽつぽつと床に落ちるのを、俺は何も言わずにじっと見て。
持ち上がった小さい手がノートをぎゅっと掴む。
それを見て俺はノートを離して、空いたその手で今度はの頭を胸の中に抱え込んだ。
肩に強く押し付けた額の熱を感じるのと同時に、嗚咽混じりの泣き声が低く教室に響いた。
ばさりと音を立ててノートが床に落ちる。
肩を震わせて、縋りつくように俺のシャツをぎゅっと掴んで、は泣き続けた。











「……ごめん、ありがと、バネ……」


涙混じりの声でが呟いた時には、日は大分傾いて空はすっかり赤く染まっていた。
泣きすぎて真っ赤になった目で俺に向かって笑ったその顔は、まだ少し無理をしてはいたけど、さっきよりはずっとマシな表情になってた。
俺はゆっくり立ち上がって制服についたほこりを叩き落としてから、まだ座り込んだままのに手を差し伸べる。
小さな手が自分の手の中に納まったのを確認してから、軽い身体を引っ張りあげた。
一旦手を離して、床に落ちたままだったノートを拾い上げてカバンにしまったのを確認してから、俺はもう一度手を伸ばしての手をとった。


「帰ろうぜ」
「……うん」


人気のない廊下を抜けて校舎を出て、通い慣れた道を歩く間もずっと、繋いだ手はそのまま。
の小さな手をしっかりと自分の手の中に留めたまま、俺は一歩先を行く。
ゆっくりと、いつもの倍の時間をかけて歩く俺の後ろで、やがてはぽつりぽつりと話し出した。


「……がね」
「…………」
「こないだの模試の結果、先輩と同じ大学の合格圏に入れてたって」
「……ふーん」
「傍でサエも聞いてて……良かったなって、笑って、言ってて」
「そうか」
「私、おめでとうって言ったけど、うまく笑えなかった。サエみたいに、笑ってあげられなかった……っ」


乾いていたはずの声に、また涙が混じった。
繋いだままの手にぎゅっと力がこもって、すすり泣く声が夕闇の中に静かに響く。
足を止めて振り返った俺の視線の先で、は涙で濡れた頬を乱暴に擦った。
涙の所為か、それとも擦った所為なのか、電灯に照らし出された微かに赤い頬の色が痛々しくて俺は思わず顔をしかめる。
胸の中でぐぅっとふくらんだ怒りが何に対してのものなのかは、自分でもわからなかった。
ただ、無性に腹立たしかった。
俺も繋いだ手に力を込めたら、の泣き声が少し小さくなった。


「――――――」
「……泣くなよ」


長い沈黙の後、結局言えたのはたったそれだけ。
小さくなった泣き声の合間に途切れ途切れの言葉が入る。


「……どうして、上手くいかないんだろ……なんでかなぁ」
「…………しょーがねぇよ」
「だってっ……」
が先輩好きになったのも、サエがを好きなのも、お前がサエを好きなのも、誰の所為でもねぇし好きになっちまったもんは仕方ねぇんだ。理屈でどうこう出来るもんじゃねーんだから」


教室の時と同じように片手での頭を抱き寄せると、泣き声はまた大きくなった。
しゃくり上げるたびに大きく揺れる肩に目を落として。
もう片方の手を小さな背中に回しかけて、止めた。
歯止めがきかなくなる気がした。
これ以上、に辛い思いをさせたくなかった。
泣ける場所を奪ってしまう訳にはいかないと思った。


―――例え、自分の気持ちを殺してでも。











爪が食い込むほど強く握り締めた俺の拳の震えに、は気付かない。
気付かないでいい、泣けるだけ泣いて、明日また頑張って笑ってくれれば。
そう願いながら俺は、言えない言葉の代わりに抱き寄せる腕に少しだけ、力を込めた。






















また最近、悲恋しか書けないようになってる気が。
久しぶりなのにこんなんでごめんなさい…………_| ̄|○il|||li

05/10/29UP