「……ごめん」


そんなありきたりな一言を残して教室を出て行く彼を黙って見送った。
嫌になるほど鮮明な視界の中から、その背中が完全に消えた後、少しして。
カラ、と軽い音をたてて後ろの扉が開いた。
教室へと踏み込んできたクラスメイトは、薄暗い教室にぼーっと突っ立っている私を見ても特に驚いた様子も見せずに平然としていた。
薄いガラスの向こうの目と視線がぶつかって、それが合図みたいに向こうから口を開く。


「……何しとん」
「……フラれた」
「そうなんか。そらご愁傷様」
「うん」


……なんだか変な会話だなあ、とぼんやり思った。
それは向こうも同じだったみたいで、困ったように笑って少し長めの髪をかきあげる。
何秒間かの沈黙の後、忍足は足音も立てずに並んだ机の間をすり抜けて私の隣までやってきて、そこにある誰かの机に寄りかかるように浅く腰掛けた。
実は度が入ってないっていう眼鏡の奥で、感情の読み辛い忍足の目が何度か瞬いた。


「フラれた、言う割には、えらい落ち着いとるみたいやん」
「……そうかな」
「実はあんま好きやなかったとか?」
「……わかんない」


忍足がふうん、と小さく呟く。何だそれ、とか、なんでわからんの、とか言われるかと思ったのに忍足はそういうことは一言も言わなかった。ただ、私の言葉をそのまま受け止めた。

本当に、唐突に、わかんなくなった。
彼のことが好きで、一緒にいたかった。その気持ちは嘘じゃなかったのに。
別れを告げられた瞬間、確かに哀しいって思ったのに。なのになんで。


「……なんで泣かないんだろ、私」
「…………」
「すごく、好きだったはずなのに」
「…………」
「なんでかなあ……」


俯いてぽそりと呟いた私の手に柔らかいものが触れて、そこにそっと力がこもった。
落とした視線の先で私の手を包み込んでいたのは大きな手。
それから、とても優しい声。


「泣かないんやのうて、泣けんくらいショック受けただけなんとちゃう?」
「……そう、なのかな」
「泣いてもええんやで?」


忍足の低い声が優しく囁いた途端、喉がひくりと震えて。
見えない手が蛇口を捻ったみたいに、唐突に涙が溢れ出して頬を濡らした。
あんまりいきなりだったから自分でもびっくりして、歪む視界の中で忍足を見つめたら、片手は私の手に重ねたまま柔らかく笑って、もう片方の手で涙を拭ってくれた。


「ほらな」
「……っ」
「よしよし。辛かったんやなあ」


言葉に詰まってぼろぼろ涙を零すだけの私を、忍足はそっと抱き寄せた。


「泣き止むまで傍におったるから、気にせんと泣いとき」
「―――」
「そのかわり、明日は一番に俺に笑った顔、見せに来てな?」


抱き寄せられた腕の中で小さく頷いた瞬間、忍足の腕が少しだけ、震えた気がした。









061223〜070516 Web拍手にて公開
070517 再公開