偶に見せるその顔 ―――気がついたら背中の後ろに壁があった。 私を壁まで追い詰めた人は、私の顔の横に手のひらをついて微かな吐息を零した。 とっくに日は落ちていて、私たちのいるクラブハウス横の小さな庭も、刻々とその濃さを増す夕闇に覆われてゆく。 微かに届く校舎の窓から漏れる光が、目の前にいる人の端正な顔を薄闇に浮かび上がらせた。 心持ち長めの不揃いな前髪。ほとんど閉じているのと変わらないほど細められた瞳。幽玄、とでも言うのだろうか、思わず羨んでしまうほど艶やかで真っ直ぐな黒髪がさらりと揺れて、どこか浮世離れした美しさを醸し出す。 薄い唇がゆっくりと開いて、掠れた言葉を紡ぎ出すのを、どこか夢見心地で聞いていた。 「―――お前は危機感が薄すぎる」 「……そう、かな」 「そうだ。もう少し考えて行動しろ」 「一応、考えて動いてるつもりなんだけど」 そう呟いたら、柳は一段と表情を硬くした。いまいち感情の読みにくい人だけれど、部員とマネージャーとして付き合って二年強の間に、随分とわかるようになった。 今のこの顔は、怒りと――― そして何かを堪えている顔。 その表情が何だかとても痛々しく思えて、そろりと持ち上げた手のひらで癒すように頬に触れた。微かな振動が手のひらから腕、心臓へと伝わっていく。 そしてまた少し表情が変化して、滅多に見せない顔を見せる。 大人びた涼やかな美貌の青年から歳相応の少年へと、緩やかに、密やかに。 壁に突っ張っていた腕から力が抜けて、柳は肘から手首にかけてを壁に押し付けるように前屈みに身体を凭せ掛けた。 自然と距離が縮まって近くなった顔は、近づいた所為で陰になって、さっきよりも表情が読み取りにくくなってしまった。 再び零れた吐息だけが彼の心情を読み取る為の唯一の手立て。 「柳?」 「お前は、本当に……どうしようもないな」 「……ごめんなさい」 「何故謝る?」 「だって、私が柳を傷つけたんでしょう?」 理由はわからなくても、本当はとても優しいこの人を傷つけたのなら謝りたかった。 いつまでも傷ついた少年の顔のままでいさせたくないと思う気持ちに自分自身を委ねて、頬に触れたままだった手のひらを柳の首筋にスライドさせて、そっと抱き寄せる。 「――――――」 永い、永い沈黙の後。 泣き出してしまうんじゃないかと思うほど、頼りない声音で名前を呼ばれて。 耳元に寄せられた薄い唇が動いて、切ない囁きがそっと耳に吹き込まれる。 「……好きだ、お前が」 応える代わりに頬に落とした口付けは甘い痛みを胸にもたらした。 070517〜080731 Web拍手にて公開 |