いつだってここにある。
消えはしない、ちゃんとここにある。
そう言って君は
終わりはひどくあっけなく来た。
しかも、その最後の時を目にすることすらないまま。
一旦学校まで戻ってきた後、解散した時にはもう辺りはすっかり暗くなってた。
途中まで一緒だったダビデやサエたちと別れて、家に向かって人気のない道を歩いていく。
いつもは重さなんか感じないラケットバッグが今はいやに重くて、一歩踏み出す毎にその重さが増していくような感覚があって。
家までそんなに距離がない公園まで来て、妙に疲れた気分で足を止めた。
昔っからそこに置いてある古ぼけた自販機で、普段なら絶対飲まねぇ、砂糖の味しかしないような甘ったるい缶コーヒーを買ってから、錆びて軋むブランコに腰を下ろす。
ちっぽけな公園の端に突っ立ってる、点いたり消えたりを繰り返すボロい電灯に蝉がバチバチぶつかっちゃ離れ、懲りずにまたぶつかっていく。
夏によく見るその光景を見つめながら、俺はぼんやり今日の試合を思い出していた。
対比嘉戦、D1・6-1。
情けねぇけど、それが俺の、俺らの中学生活最後の公式戦の結果。
手を抜いたつもりはなかったから、全力で挑んだ結果がこれだったんだから、自分が弱かったんだと素直に認めることに抵抗はなかった。
自分の未熟を認めたからって悔しいと思わない訳じゃない。
だけど今日は悔しいと感じるとこまで気持ちがいかない。
どうしてなのかは何となくわかってる。
もう終わってしまった、と言う現実を完全に受け止め切れてねぇからだ。
最後のS1、サエの試合。
ボールを当てられたオジイに付き添って、まだ試合途中のサエを一人コートに残して病院に行って。
オジイの無事を確認して試合会場へ戻って来た時には、比嘉は青学に負けていた。
自分たちの試合のはっきりとした『最後』を見ることなく終わってしまったから。
気持ちは中途半端に途切れて、宙ぶらりんな状態で。
悔しいとブチ切れることも、オジイにボールをぶつけられてサエを一人で戦わせたことに憤ることも、今更出来やしない。
「……何だかなぁ……」
誰に聞かせる訳でもなく呟いた言葉は、誰もいない公園に響いて、そのまま薄闇に溶けた。
わかっちゃいたけどめちゃくちゃ甘いコーヒーを、時間をかけてやっと半分くらいまで減らした時には、公園の時計(これまた古いんだが意外に正確)は八時近くを指していた。
さすがにそろそろ帰らねぇと親がうるせぇな……。
とりあえずまだ携帯は鳴っちゃいなかったけど、疲れてるとこに説教なんか聞きたくもねぇし、と観念してブランコの鎖を軋ませながら立ち上がった時だった。
「あ、ハル見っけ!」
暗い公園に聞き慣れた明るい声が響いて、振り返った俺の視線の先で見慣れた顔がぱっと笑う。
こんな時間に何やってんだ、と俺が突っ込むより先に、はすばしっこい動きで俺の傍まで来て、俺のジャージの袖をしっかりと掴んだ。
「なかなか帰ってこないから待ち草臥れちゃったじゃん!」
「……そりゃ悪かったな」
「待ち草臥れた上におなかも空いたよ!早く帰ってご飯食べよう」
「つーか何で飯食ってねーんだよ、もういい時間だろ」
「ハルが帰ってくるのを待ってたからに決まってんでしょーが。今日はハルんちでうちの家族も一緒に夕飯なんだってば」
「そんなん聞いてねぇぞ、俺ァ」
実際聞いてなかったっつうのもあったけど、今のこの中途半端な気分を引き摺ったまま和やかに飯を食えるとは思えなくて、俺は思わず眉を顰めた。
はそんな俺の表情が見えているだろうに、嫌な顔一つしないでジャージの袖をしっかりと掴み直して引っ張る。
「聞いてなくってもみんな待ってるの。ホラ、帰ろう!」
「……ったくよー……」
いつもと変わらないの態度に、何かわかんねーけど無性にイラついた。
袖を掴む腕を乱暴に振り払ったらは不思議そうな顔をしたけど、そんなん気にかけてやる余裕はない。
どかどかと大股で歩き出した俺を追っかけて、小柄な身体が追っかけてくる。
ストライドの長さはダンチなのに俺のスピードにしっかりついてきて、さっさと隣に並んだ。
変わらない明るい声が薄暗い路地に響いて鼓膜を振るわせた。
「ハル待ってよー」
「……」
「何かあったの?」
何かあったのかって、試合見に来てたんだからわかってるだろうに、何でいちいち聞くんだ、コイツ。
苛々が増して、自分で自分を止められない。
ついさっきまでこんな苛々、全然感じちゃいなかったのに。
「ハルってば!」
「うるせぇ!!」
咄嗟に怒鳴っちまってから、我に返った。
何で俺はこんなにイラついてる?
の所為じゃない、はいつもと変わらない。
なのになんで、こんなに気持ちが治まらないんだ。
そっと腕を引っ張られて。
見下ろした先で、が真っ直ぐな視線を俺に向けていた。
責める訳でもなく、慰める訳でもない。
いつもと変わらないただひたすら真っ直ぐな目で。
「ハル?」
「……悪ィ……」
「気にしてないよ」
「何でこんなイラついてんだか……自分でもわかんねぇ」
「ハル」
落ち着いた声が俺を呼んで。
視線と同じ、慰めも媚もない、責め立てるでもない、いつものの声で。
短く訊ねられた。
「ハル、ちゃんと泣いた?」
泣いた?と言いながら、小さい手のひらを伸ばして俺の頬を撫でる。
―――何もかも中途半端で。
泣くことなんか出来なかった。
気がついたら俺たちは負けていて、そこで何かが途切れてしまっていた。
悔しさも哀しさも怒りも憤りも、何もかもが、半端なまま。
「―――途切れてなんかないでしょ」
の声が俺の思考をぶった切って響く。
俺は声に出してたか?と思いながら、見上げてくるの目を見つめ返した。
口元に浮かんだ笑みは強くて真っ直ぐで、揺るぎない。
「悔しくて哀しくて、辛かったからイラついたんでしょ。途切れたんじゃなくて、ハルの心の中に留まっちゃってただけ。そういう感情はちゃんと吐き出しとかないとどんどん重たくなってくるよ?」
「……そーいうもんか?」
「そういうもんさ」
小さな手は相変わらず優しく俺の頬を撫でている。
ちっこい癖に何でかでっかく感じるの姿。
めいっぱい背伸びして、頬から離れた手を今度は頭に向かって伸ばした。
「悔しい時とか哀しい時はちゃんと泣いた方がいいんだよ。泣いたらすっきりするよ」
「……そうかもな」
「そうなんだってば」
ゆらりと視界が揺らいだ。
閉じた瞼に熱を感じる俺の頭を撫でていた小さい手が、見かけによらない強い力で俺を前屈みにさせる。
抱き寄せられるまま、その胸に頬を埋めた俺の耳元で、小さい頃に聞いた母親の声みたいな、優しい声が聞こえた。
「頑張ったねぇ」
「…………」
「ハル頑張ってたね。偉かったね」
「……おう」
「オジイも無事で、良かったねぇ」
良かったねぇ、と言うその声は、本当に心からオジイの無事を喜んでいて。
頑張ったねぇと繰り返す声も、本当に心の底から、よく頑張ったと誉めてくれてたから。
そう言いながら、俺に笑ってくれるお前がここにいるから。
俺はやっと、涙を流せる。
バネちゃんは例え仲間でも男の前では絶対泣かない人だといい。
自分の全部を受け止めてくれるような、懐の広い女の子が彼には似合うと思う。
そんでその子の前でだけ、弱い自分を出せる、そんな感じだといい。
05/08/20UP