去年も一昨年もこんなふうに一緒にいたね。
笑ったり怒ったり、時にはちょっとケンカなんかもして、何気ない日常を一緒に過ごしてきた。
ねえ、やっぱり時々はケンカしたりもするだろうけど、でも来年も再来年も、そのまた次の年も、ずっとずっと一緒にいよう。
だって、それだけで私は幸せなんだから。
ハッピーブルーソーダ
汐の匂いを含んだ風がふわりと頬を撫でていく。
人待ち顔で校門の傍にある桜の木の下に立っている私の前を、何人かのクラスメイトが通り過ぎた。
「あれっ、、佐伯くん待ってんの?」
「うん」
「さっき男テニのメンバー、海に向かって走ってったけど」
「え!うそっ」
「裏門から出てくのあたしも見たけど、佐伯はいなかったよ」
「あれ、そうだっけ?」
「そうだよー」
意見の食い違いに首を傾げつつ、じゃあねーと手を振って校門から駆け出していく友達に手を振り返して、その背中を見送ってから、空を見上げてふう、と息をついた。
9月の空は、まだ真夏の名残を色濃く残して青く高い。
夏休みに比べると大分小さくなった蝉の声に紛れて秋の虫の声も聞こえてくるけど、残暑はまだまだ厳しかった。
額にうっすら浮かぶ汗をハンドタオルで押さえてぽつりと呟く。
「……アイス食べたいなー……」
「食べ過ぎると太るぞ」
不意をついて背後で響いた声にぱっと振り向く。
待ち人が愛チャリを押しながらこっちへやってくるところだった。
白いカッターシャツにズボン。夏の制服。
いつもの爽やか笑顔で軽く手を上げるサエを、むう、と唇を尖らせて上目遣いに睨みつける。
健気に部活が終わるのを待ってた彼女に向かって言う一言目が「太るぞ」ってひどくない?
言葉にはしなくても私の言いたいことはきっちり伝わったようで、サエは楽しそうに笑って、片手で器用に自転車を支えて、空いたもう一方の手で私の頭をポンと叩いた。
「むくれるなよ、せっかくの可愛い顔が台無し」
「どおぉぉーせ可愛くないもんねーだ!」
「そんなこと言ってないだろ。ほら、カバン貸して。後ろ乗って」
私の手からカバンを取り上げて、既に自分のテニスバッグが入っている自転車の籠の隙間にうまい具合に差し込んでから、後部座席を指し示した。
サエがサドルに跨ったのを確認してから、その肩に手をかけて立ち乗り用のステップに飛び乗った。
足元でキュッとタイヤが音を立てる。
ぐっとペダルを踏み込んで滑るように自転車を走り出させたサエの髪が、肩に乗せた私の手の甲を、さっきの風みたいにさらりと優しく撫でた。
柔らかい髪の感触がくすぐったくてもじもじと指を動かすと、手のひらの下でサエが微かに身を捩った。
「、やめろよ、くすぐったいって!」
「私もくすぐったいんだってば!」
「我慢しろ、我慢!転んで怪我したくないだろ?」
「だってサエの髪がっ……ぎゃーっ前っぶつかるっ!!」
「うわっ危ねっ!」
小さな叫びと共にサエはハンドルを握る手に力を込めて、よろめいていた自転車の前輪の向きを慌てて変えて、ぎりぎりで危うくガードレールにぶつかりそうになるのを回避した。
あっぶなかった……!
何とか危険を脱したことに安堵して、二人同時にふーっと溜息をつく。
過剰に力が入っていたサエの肩がそれに合わせて微かに上下するのを感じながら、無意識に丸まってしまった背筋をぐっと伸ばすと、視線の先になかなかの急勾配で距離もそこそこに長い上り坂が見えた。
そこを上りきった先に私たちの行きつけのコンビニがあるんだけど、この坂を二人乗りで最後まで漕ぎきるのはなかなか大変で。
いつ頃、誰から言い出したのかは忘れたけど、私たちの仲間内では最後まで漕げたら後ろに乗った人が運転してた人に奢る、駄目だったらその反対って決まりが出来た。
サエと私も何度となくやってる賭け。今のところ、後部座席が指定席の私がいつも奢ってもらってる。
最近食べたアイスの銘柄を思い出して、今日はどれにしようかなーとか考えながら、一旦は伸ばした背をまたちょっと丸めてサエの首に抱きつくように腕を回した。
「よっしゃ、サエがんば!今日こそ最後まで登りきれ!」
「え、今日もやるの?俺、部活上がりで疲れてるんだけど」
「だいじょぶだいじょぶ、サエなら出来る、私信じてる!」
「そんなことで信じてるとか言われてもあんまり嬉しくありません、さん」
「ぐだぐだ言ーわーなーいっ!さー行けーっ!」
「ったく……しっかり掴まってろ、よっ」
弾む声に合わせてサエはサドルから腰を浮かしてペダルを踏む足に力を込めた。
ぐんとスピードを上げて上り坂に向かっていく自転車の上で、サエの髪が一層強く靡いて首に抱きついたままだった私の頬に触れる。
海と土と太陽と、それからシャンプーの匂い。
小さい頃からずっと一緒にいて、もうすっかり覚えてしまった。
多分私だけが知ってる、私しか知らない、サエの匂い。
優しく鼻先をくすぐるその匂いに目を細める私の前で、サエが唐突に大きな声を上げる。
気づけば坂道の半ばまで来ていた自転車は、さっきよりも確実にスピードを落としていた。
「〜〜〜っ、マジで、ちょっと太ってないか!?」
「失礼だな、太ってないよっ!!ベスト体重キープしてるもん!」
「―――っ、のぉっ」
「あともーちょっとっ!がんばー!」
さっきよりもっと前のめりになったサエの全身に力がこもるのを、抱きついてる私も全身で感じる。
耳元で響く応援の声に答えるように、サエはゆっくりペダルを踏み込んで少しずつ前に進んでいく。
あと5メートル……4メートル……3メートル……2……1……。
斜めだった道が平坦になった瞬間、がくんという揺れと共に自転車が止まって。
ぴょんと地面に飛び降りて、ハンドルにもたれるように俯いているサエの顔を覗き込んだら、綺麗なラインを描く額に浮かんだ汗の一滴がつっと顎へと流れて、地面に滴り落ちてコンクリートに小さな点を作った。
自転車の籠からカバンを引っ張り出して、ハンドタオルをサエの顔に押し当てる。
「おっめでとー!」
「きっ、つー……」
「決まりだから今日は私が奢ったげよう。何がいい?」
「……ポカリ」
「アイスじゃなくていいの?」
「今は、直接水分、取れるもの、がい……」
下向いて荒い息の下から途切れ途切れに言葉を押し出す、いつも飄々としているサエには珍しい姿。
汗ばんだ手が私の手からハンドタオルを受け取って、額から目元に掛けてを覆う。
両手が開いた私はサエが片手で支えていた自転車を引き取って、通行の邪魔にならない所まで押していってスタンドを立ててから、ちょっと行ってくるねと声を掛けてコンビニに足を向けた。
サエのポカリと、自分用にソーダ味のアイスキャンデーを買って、顔馴染みの店員のおばさんに手を振って店を出る。
小走りで傍に戻ると、さっきより大分呼吸が落ち着いたっぽいサエが、顔に押し当てたままのハンドタオルの下から片目を覗かせて私の顔を見た。
「はい、ポカリ」
「サンキュ。―――あーキツかった……」
「おっつーです」
「ホントだよ。……て言うか、やっぱちょっと重くなってるよ。アイスの食いすぎ」
「重くなってないっつてんじゃん!!サエの気のせいですっ」
「そうかなー。あ、溶けてる」
「ぎゃうっ」
コンクリートの照り返しが暑い店の前で、袋から取り出したばかりの平たい長方形から、水色の雫が地面に落ちる。
慌てて甘い水滴を舌で受け止めると、サエはブルーのラベルのペットボトルを手に笑った。
笑うな、とサエを睨みながら噛みついたアイスキャンデーが、口の中でシャリ、と音を立てる。
ひんやりと冷たい氷の塊を噛み砕いて飲み込むと、汗が少し引いた気がした。
その私の横でペットボトルを三分の一ほど空にして、サエはすっかりいつもの調子を取り戻す。
まぶしそうに目を細めてまだ十分に高い位置にある太陽を眺めて、ぽつりと呟いた。
「こう暑いと冷たいものが食べたくなるよな」
「だからアイスにしとけばよかったのに」
「さっきは水分が欲しかったんだよ。―――のヤツ一口くれない?」
「ええー?」
「一口、一口だけ!いいだろ?」
「……もー、しょーがないなあ!ハイ」
甘えた口調でねだられて、しぶしぶアイスを持った手を差し出すと、サエは私の手の上に自分の手を添えて引き寄せて、半分ほどに減っていた水色の氷の塊にぱくりと噛みついた。
いつもはどちらかと言うと体温低めのサエの手は、さっきまでハンドルを握っていた名残なのか、今はほんのり温かい。
あの坂道、最後まで漕ぎきったんだもんね、当たり前かあ。
ちょっとぼんやりしながらそんなふうに思っていた私の視界で、チラッと視線をこっちに向けたサエが、不意にもう一度私の手を引っ張って大きくもう一口、アイスをかじった。
「ああー!一口だけって言ったじゃん!」
「食べてみたら予想以上に美味くてさ」
「じゃあ自分で新しいの買ってくればいいじゃん、もー!!」
「そんなに怒るなって。あ、ほらまた溶けてる」
「ぎゃっ!やー、もう手についたーっ」
「あーあ、仕方ないなぁ」
言葉とは裏腹に、あんまり仕方ないとは思ってなさそうな、軽い口調で呟いて。
サエは三度引き寄せた私の手に唇を寄せて、手の甲に零れて手首へと伝いかけた青い雫を素早く舐め取った。
温かい手とは対照的に、先に食べたアイスの所為か冷たくなってたサエの舌の感触に一瞬びっくりして、それから一気に我に返る。
「ななっ、ななななな何してんのーっ!!」
「零れたから舐めただけだけど?」
「そんなん自分でやるってば!て言うかさっき貸したタオル返してくれれば済むことじゃないの!?」
「そうやって叫んでる間にもアイスは溶けてるぞ」
「ぎゃーっ!!」
慌てて残りを口に放り込もうとした矢先。
サエに大きくかじられたとは言えまだそれなりの量が残っていたアイスは、暑さに負けて大分もろくなっていたのか、棒と私の手を伝ってぼろぼろと地面に零れ落ちてしまった。
照りつける太陽の熱で温まったアスファルトが、瞬く間にアイスを水色の甘い水溜りに変える。
あああああ、もったいない!
「サエのバカーっ!」
「えっ、俺の所為なんだ?」
「だってそうじゃん!サエがあんなことしなきゃ普通に食べ終わってたよっ」
「そうかなぁ」
「そうだもん!あーん私のアイスーっ」
「しょうがないな、新しいの買ってくるから、ちょっと待ってなよ」
「もう丸々一個は食べらんないよ!」
「食べられない分は俺が食べるって」
「〜〜〜」
「大人しく待ってろよ?」
むーっとふくれたままの私に釘を刺して、サエはさっさとコンビニの中へと駆け込んでいった。
すっかり溶けてしまった足元の水溜りを恨めしく見つめていると、一分ほどでサエが帰ってきた。
手にはさっき私が買ったのと同じソーダ味のアイスキャンデー。
半透明の袋を手早く開けて、水色の氷を引っ張り出して差し出すと、アイスから発散される冷気と甘い匂いが私の鼻先をひやりと掠めた。
「ほら、一口」
「……イタダキマス」
「よしよし」
何か餌付けされてるみたい……。
促されるまま、まだ硬いアイスの角っこを小さく一口かじると、青い塊の向こうでサエが笑った。
自分も一口かじってから、まだちょっとぶすくれたままの私の顔を覗き込んでくる。
子供みたいな私のワガママを全然気にしてないその笑顔に、さっきまでの自分の無茶苦茶な言い分を恥ずかしく思いながら、でも素直にごめんとは言えなくて、気まずさに目を反らしたら。
すぐ傍でふう、と小さな溜息。それから、シャリシャリとアイスをかじる音。
少しして音が止んで、目の前に少し小さくいびつな形になったアイスキャンデーが差し出される。
無言でそれを一口。するとアイスは再び視界から消えて、横でシャリシャリいう音が再開する。
それを四度、繰り返して。
そして五度目。
さっきまでと同じようについ、と差し出されたアイスに噛みつこうとして、視界で揺れた水色の光に動きが止まった。
アイスの水色とはちょっと違う、もう少し濃い青い色。
振り子のように左右に揺れるその青は、ゆっくりゆっくり振れ幅を狭めていって、最後に私の視界の真ん中で止まった。
銀色の細い鎖。その先に小さな銀色のキューブ。その真ん中にもっと小さな青い石。
「……サエ」
「ん?」
「これ、何?」
「何だと思う?」
からかうように聞き返してくる口調は、優しく。
その声の後に、シャリ、とまたアイスをかじる小さな音。
そっと手を伸ばすと、しゃら、と微かな音を立てて上向いた手のひらの上にそれが落ちた。
私の手の上で太陽の光を反射してきらきらと光る。
頭の中に導き出された答えは多分正しいと思うのに、胸の中にぎゅっと何か詰め込まれたみたいに声が出ない。
答えられない私の代わりに、サエがアイスをかじるのをやめて、正解を教えてくれた。
「誕生日おめでとう」
「…………」
「小さいし安物だけどね、一応本物だよ」
「……サファイア?」
「そう、9月の誕生石。、好きな石なんだって前に言ってただろ」
「……憶えてたんだ……」
「気に入った?」
ちょっとだけ心配そうな響きを含んだサエの問いかけに、ネックレスをぎゅっと握り締めて何度も頷く。
安心したのか、ホッと小さく息をついたサエは、次の瞬間笑い声を上げた。
「、プレゼントもうひとつ追加だ」
「え?」
「ほら」
サエの笑顔と同時に目の前に突き出されたのは、綺麗に食べ尽くされたアイスの棒。
薄くて細長い木の板に一段濃い茶色で書かれた文字は『あたり』。
目を丸くした私の視線と、楽しげに細められたサエの視線が交わって、そして。
明るい笑い声が青い空の下に弾けた。
そして明日からも、また。
私は自転車のステップに立って、シャツの背中に寄りかかって。
「ぅあつーい!!」
「、またアイス溶けてる!うわっ俺の頭の上に零すな!」
「ぎゃーっ!!」
君と一緒の幸せな日々。
111111Hitを踏んで下さったまい様に捧げます。
キリバン踏まれた9月がお誕生日月とのことで、甘めで幸せになれるようなサエ夢でお祝い、とのリク。
……てゆーかね!もう12月も末という時期に9月のお誕生日おめでとうってね!
待たせすぎにも程があるだろう……本当にすいませんでした、まいさん!!(土下座)
なのにこまめに優しいメッセージを送って下さって、いつも本当にありがとうございます。
拙い上にマイペースにも程があるサイトと管理人ですが、これからも何卒よろしくお願い致します。
06/12/23UP