初恋は5歳の時。相手はお隣に住むひとつ年上の幼馴染。
子供特有の無邪気さで「大きくなったらお嫁さんにしてね」なんて言ってた。
当時、既に立派なフェミニストだった彼は、年下の幼馴染の突発的な申し出に今と変わらない優しい笑顔で、「いいよ、大きくなったらね」と笑って頷いてくれたものだった。


今はもう懐かしく思い出すだけの、昔話。
















FirstLove











かじかんで感覚がなくなってきた手のひらにハーッと息をはきかけた時、温かい何かが背中にふわっと覆いかぶさってきて、視界を一段階暗くした。
大きな手のひらが私の両手をすっぽり包み込むのと同時に、すっきりした柑橘系の香りが鼻先をくすぐる。
嗅ぎ慣れたその香りを深く吸い込みながらぐっと顎を仰け反らせると、真上からこっちを見つめてにっこり笑ってる幼馴染と目があった。



「遅いよ長太郎」
「ごめん、ミーティングが長引いちゃってさ」
「……ホットチョコレート飲みたい、スタバの」
「わかったわかった。奢らせていただきます」
「やった!」



歓声を上げて甘えるように背後の大きな身体に寄りかかると、長太郎は溜息混じりに笑って長い腕ですっぽりと私を包み込んだ。
チャコールグレーのコートの襟元を覆うオフホワイトのマフラーが頬に当たって少しチクチクしたけど、その感触すら心地良く感じるのは、それが長太郎がくれるものだからだと思う。
他の誰も、きっとこんな優しい空気は作れない。
いつまでもここにいたら凍えちゃうから、と言って私を解放した長太郎が隣に並んで、私たちは目的のコーヒーショップがある駅前に向かって歩き出した。











駅前のスタバに入って、二人掛けの丸テーブルに席を取る。
コートを脱いでスツールに腰掛けて、財布を手に長太郎がカウンターに向かうのを見送る。
そこそこ広い店内に同じ制服姿がチラホラ見え隠れして、顔見知りはいないかなと何気なく視線を巡らせた時、出口に向かって歩いていた一人の男の子と目があった。
見覚えのある顔にどきりと心臓が大きく波打つ。
慌てて視線を反らしたけど遅かったようで、その子は友達っぽい連れの子に何か二言三言話し掛けると、踵を返して私のいる席に向かって歩いてきた。
あからさまに逃げる訳にも行かず、身体を硬くしてその子がやって来るのを待つ。
少し緊張気味の、穏やかな声が頭上から静かに降ってきた。



「―――よっ」
「……どうも」
、コーヒー苦手じゃなかったっけ?」
「ブラックが駄目なだけ」
「そっか。……今日、雪降るらしいから、あんまり遅くならないように気をつけろよ」
「うん、ありがと」
「じゃあな、また明日」



当たり障りのない会話をして、彼は小さく手を降ると今来た通路を通って出口へと向かった。
途中、二つのカップに手を塞がれた長太郎とすれ違うのが見えた。
軽く頭を下げた彼に、長太郎も穏やかに笑って会釈を返す。
知り合いだとか顔見知りだって話は聞いていない。だけどうちの学内じゃ長太郎は有名人だから。
出口で待ってた友達と合流して、灰色の景色の中を駅の構内に向かって歩き去る彼の背中から何となく視線が外せなくて、少しの間目で追いかける。
その私の視界を白いカップが斜めに過ぎって、テーブルとぶつかってことんと軽い音を立てた。
視線を戻すと優しく笑う長太郎と目があった。



「ほら、ご所望のホットチョコレート。熱いから気をつけて」
「わ、ありがと!」
「今の、の友達?」
「―――うん、まあ、そんなとこ」



一瞬返事に詰まったけど、何とか笑顔を作って頷く。
自分の分のカップをテーブルに置いて腰を下ろした長太郎は、テーブルに頬杖をついてさっきまで私が見ていた窓の外に視線を投げた。
それに倣うようにちらりと視線を外に向ける。もう彼の姿はどこにも見えなくなっていて、少しだけホッとした気持ちになった。
別に嫌いな人って訳じゃない。寧ろ好きだと言ってもいいくらい。
ただ、その「好き」が持つ重みが私と彼とじゃ違ってた。
熱くてほろ苦いチョコレートを一口飲み込んだら微かな溜息が零れた。
外に向いていた長太郎の視線が、その溜息に惹かれたようにこっちに戻ってくる。
両手で包み込むように持ったカップの向こうで、どこか困ったような笑顔が揺れた。



「何かあった?」
「……何かって何?」
「……何だろう」
「何それ」
「…………」



深く意味を成さない言葉のやり取りのあと、不自然な沈黙がテーブルの上にわだかまった。
気まずさを紛らわすように小刻みにカップに口をつける。トールサイズのカップが瞬く間に軽くなっていく。そんな私の前で、長太郎も困ったように視線をさ迷わせながら白いカップを口元に運んだ。
ついさっき校門前で感じていた心地よさが嘘のように空気が重たい。
ほろ苦く甘いはずのホットチョコレートが、まるで薬のように苦く苦く感じられて、何だか泣き出したい気持ちに駆られる。
さっきまではひたすら楽しかったのに、彼に出会っただけでこんなふうになっちゃうなんて。
彼の所為じゃないってわかってるけど、心の中で彼を責めてしまいそうになる。
早くもほとんど空になったカップをぎゅっと握り締めて、唇を噛んだ、その時。
カップの底がテーブルにぶつかる乾いた音に重なるように、いつもより心持ち低い長太郎の声が響いた。



「さっきの彼、さ……こないだ少し話したんだよ、俺」
「え?」
「鳳さんですよね、って声掛けられて」
「……そう、なんだ」
と付き合ってたって言ってた。……本当に付き合ってたんだ?」
「……うん」
「そっか」



短い肯定の返事に、長太郎は微かに笑って頷く。
付き合っていたのは本当のことだから、誤魔化す気にはならなかった。






―――二ヶ月間だけの恋人。
クラスの有志で集まって騒いだクリスマスの日、家まで送ってくれる途中に告白された。元々仲が良かったし、私も好きだと思ったからOKした。だけど。
穏やかで優しい彼を好きだと思う気持ちに嘘はなかったのに、一緒にいると違和感を感じた。
触れる手に、笑いかける笑顔に、交わす言葉に、感じて消えない違和感。
付き合いを重ねれば重ねるほどそれは大きくなっていって。
やがて誤魔化しきれなくなった。私の感じる違和感は彼にも伝染して、気持ちはどんどんすれ違って、歯車がずれた時計の針のように、私たちの関係はゆっくりと歩みを止めて―――終わった。






「どうして別れたのか、訊いてもいいかな」
「…………」



長太郎の質問に口を噤んだまま顔を上げる。
こっちを見つめてくる視線があんまり真っ直ぐで胸が痛くなった。
長太郎の性格からして、単なる好奇心でこんなこと聞いてくるはずがない。
私の様子が変だから心配してるんだってことは、その目を見れば嫌ってほどわかった。
優しい長太郎。
一年遅れで私が生まれた時からずっと兄弟みたいに育った、大事な大事な幼馴染。
5歳の時の初恋の人。幼すぎて無邪気すぎた初恋。
傍にいることが当たり前すぎて、気づかなかった。
付き合っていた時に彼に感じてた違和感がなければ、もっと先まで気づかなかったかもしれない。


―――あの小さな日の初恋が心の中でずっと続いていたこと。


長太郎、私はね。
……私は。






「私、長太郎が好き」
「……えっ……」
「幼馴染だからじゃなくて、男の人として長太郎が好き。それに気づいたから別れたの」



ガタン、と椅子が鳴って、テーブルが揺れて。
軽く腰を浮かした長太郎の手からカップが落ちて横倒しになって、零れたコーヒーがテーブルの上に小さな褐色の水溜りを作った。
いつもの長太郎なら慌てて片付けるはずのそれにまるで気づいてないみたいに、長太郎の視線は私を捕らえて動かない。
永遠にも思える沈黙の後、長太郎は唐突にコートとカバンを掴んで立ち上がった。
驚いて見つめる私のコートとカバンも取り上げて、コートだけを私の手に押し付ける。



「長太郎?」
「とりあえず、出よう」
「……うん」



私の告白への返事は?なんてとても訊ける雰囲気じゃなくて、仕方なく急いでコートを着て、先に出口へ向かった大きな背中を追いかけた。
長太郎らしくないその態度に不安が募る。
やっぱり、妹にしか思えないとか言われちゃうんだろうか。
いつもは几帳面に留めているコートの前ボタンに手を掛けもせず、マフラーも肩に掛けただけで、自分と私のカバンを持って早足で家の方向へと歩を進める。
そのあまりのスピードに走らないと置いていかれそうで、私は慌てて手を伸ばしてはためくコートの裾を掴んだ。



「長太郎、待って……早い」
「―――え?あ、ごっ、ごめん……!」
「……!」



振り向いた長太郎の顔は驚くほど真っ赤で。
落ち着きなく視線が動いて、私と目を合わせたり外したり目まぐるしい。
予想だにしてなかったその反応に思わずぽかんとしてその赤い顔を見上げると、何度目かの視線が合わさって、そして。



一瞬おいて伸ばされた手が、私の腕を捕らえて引き寄せた。
温かい温もりは、待ち合わせの時と同じもの。
驚いて息を吸い込んだら、すっきり甘酸っぱい柑橘系の香りが胸を満たした。
少し上擦った長太郎の声が耳元で聞こえた。








「―――俺も、が好きだよ」
「――――――」
「ずっと好きだった、子供の頃からずっと」








気がついたら涙が零れて頬を濡らしていて。
震える手を広い背中に回すと長太郎の大きな身体が微かに震えて、抱きしめる腕に一層力がこもった。
泣きながら、同時に嬉しくて笑ったら、腕の力を緩めた長太郎がまだ真っ赤な顔のまま、こっちを覗き込むように上半身を屈めて囁くように何?と問いかける。



「随分遠回りしちゃってたんだなあって、思ったの」
「そうかな……ああでも、そうかもしれないな」
「ね?5歳の時に、もう気持ちは決まってたのにね」
「10年近く遠回りしちゃったってことか」
「その間もずっと傍にいたのにね」



額が擦れ合いそうなほど近くからお互いの目を覗き込んで笑いあって、引き寄せられるように唇を重ねる。
掠めるように触れただけのキスに一瞬だけ閉じた目を開いた瞬間、白いものがひらりと視界を過ぎった。
灰色の空を見上げると、雪が降り始めていた。



「寒いはずだね」
「風邪引かないうちに帰ろう」
「うん」



互いを束縛していた腕を解いて、長太郎がコートのボタンをきちんと留めたのを確認してから手を繋いだ。
大きな手のひらは相変わらず温かくて優しかった。
まだ少し火照ってる顔を見合わせて、ちらちらと雪片が舞う中を歩き出す。
赤い顔の中から笑いかけてくれる長太郎を見て、私はふと思い出したことを口にした。



「あのね、長太郎」
「何?」
「彼を好きだなあって思ったの、長太郎に似てたからなんだよ」
「……俺に?」
「そう。でも、似てても彼は長太郎じゃなかったから」



だから、違和感が消えなかった。
彼は長太郎じゃなかったから。
だからね。






「長太郎じゃなきゃ駄目なんだなって思ったの」






















120000Hitを踏まれたまいさんに捧げます。
大変遅くなってしまって申し訳ありませんでした、まいさん……!(土下座)
チョタ連載「この胸の光る星」のチョタと年下ヒロインのような感じで甘め、とのことだったのですが、この胸〜のヒロインより若干落ち着いた感じになってしまいました。
もう世はすっかり春だというのに、めっさ冬の話っぽい!でも一応、三月くらいのイメージです。
こんなんで良ければ貰ってやって下さいませ。
今後ともNostalgicSepiaを宜しくお願い申し上げますv

07/04/18UP