私の隣に君がいる。その、奇跡。
生まれてきてくれて、ありがとう。
Chotaro Otori
甘い甘い匂いが鼻先をくすぐる。
シュンシュンと音をたて始めたケトルに慌てて手を伸ばして火を止めた。
「おっとっと」
「さん?」
「ん、大丈夫。それでね、王道はやっぱ生クリームにイチゴかなーと思ったんだけど」
「あの、さん」
「でもバレンタインも兼ねてるんだし、ここはチョコ系でいくべきかなって考えてね」
「俺はどっちも好きですけど。だけどちょっといいですか、さん」
「それで最初はガトーショコラにしようと思って。でも結構ボリュームあるじゃない、ガトーショコラって。
二人で食べること考えると生チョコショートの方が妥当だったのよね」
「ガトーショコラも生チョコショートも好きですけど!さん!」
がしっと肩を掴まれて、紅茶葉を選んでいた視線を転じる。
そんな私の視界で長太郎が何か妙に疲れた顔して溜息をついた。
「何その溜息」
「……あのですね、ケーキ買ってきてくれたのは嬉しいんですけど」
「うん」
「何でホールサイズなんですか?」
テーブルの上に置かれたホールの生チョコショートケーキ(誕生日のメッセージプレート&ロウソク付き)をびしっと指差して、困惑の表情でそう問いかけられる。
何でって、誕生日のケーキって言ったら普通ホールサイズでしょうよ。
そう言ったら長太郎は目に見えてがっくりと項垂れた。
「何その反応」
「いえ、あの……二人で食べるのにホールサイズはちょっと大き過ぎるでしょう?」
「そんなことないよ、4号なんてそれ程大きくないでしょ。それに別に今日一日で食べきらなきゃいけないなんて決まりはないんだし」
「それはそうなんですけどね。カットケーキで良かったのに、俺」
「そんなのつまんないじゃない。せっかくの誕生日ケーキなのに」
「つまんないって理由もどうかと思うんですけど……」
「でももう買ってきちゃったんだから仕方ないじゃん」
今更返品出来るもんでもないし、と言ったら長太郎は再びがっくりと項垂れた。
そんな反応しなくたっていいと思うんだけどなぁ……。
私は戸棚に視線を戻してフォートナム&メイソンのダージリンを選んだ。
お気に入りのガラスのティーポットに茶葉を入れてお湯を注ぐ。
ふわっとダージリンが優しく香った。
「あのね長太郎」
「……はい?」
小さな砂時計をひっくり返してから長太郎に向き直る。
困ったような申し訳なさそうな、ちょっと情けない感じのその顔。
あんまり可愛くて、めちゃくちゃ愛しくて、思わずキスしたくなった。
「さん?」
「あ、ごめん。あのね」
「はい」
「別にね、気持ちの大きさイコールケーキの大きさなんてつもりはないのよ」
「…………」
「でも誕生日って特別でしょ。一年に一度しかないし、もっと突きつめて言っちゃえば、17歳の誕生日も20歳の誕生日も一生に一度きりじゃない」
「そう、ですね」
「でしょう?その特別な日だから、出来る限り盛大にお祝いしたいの、わかる?」
「……はい」
長太郎は困ったような表情のまま、ちょっと笑って、私のウエストを抱き寄せた。
前髪が触れ合うほど間近に、端正な造りの優しい笑顔。
「ありがとう、さん」
「今日はその科白は私の」
「え?」
「この日に生まれてきてくれたことも、今私の傍にいてくれることも、全部に」
―――ありがとう。
さらさら落ちる砂時計の砂が、もうすぐ紅茶の出来上がりを告げる。
それはわかってたけど。
優しいキスを落とす唇を拒んだり出来るはずもなく。
甘いケーキに添えたその日の紅茶は、いつもより少し、苦かった。
(05/02/14up)