誰でもない貴方が。貴方だけが。






貴方でいい。貴方がいい。


Ryo Shishido











「おい!おい、!」


呼び掛けた声に小さな背中は一瞬立ち止まって、そしてまたすぐに歩き出した。
今度はさっきよりもっと足早に。
でもそれは追いつけない程のスピードじゃなくて、俺も足の運びを早めてその前に回りこんだ。


、待てっつの!」
「……何か用?」
「何かって……」
「疲れたから帰りたいんだって言ったでしょ。通してくれない?」
「ちょっと待てって。……何を怒ってんだよ」
「……わかんないの?」


ぽつりと呟いて俺を見上げた大きな目は、少し潤んで赤い。
細くて非力な腕は、コイツらしくない乱暴な動きで立ち塞がる俺の胸を突いた。
大して痛くもない、弱い女の力。
それよりも、ところどころ掠れて響くその声の方が、俺に痛みをもたらした。


「鈍感」
「あぁ?」
「鈍すぎ。バカ」
「……ちゃんとわかるように話せよ」
「言わなきゃわかんないの?本当に鈍感」


わからねぇ。
……いや、本当は何となく、わかってんのかもしんねぇ、けど。
だけど。


「……憶測だけで話したくねーんだよ」
「何、その逃げ口上。最悪」
「ああもう最悪でいいよ。だからちゃんと話そうぜ」
「……何であんな真似したの」
「あんな真似ってな」
「いきなり呼び出して友達に紹介?仲介頼まれて断れなかったって訳?」
「仕方ねぇだろ、どうしてもって頭下げられちまったんだから」
「頭下げられたらなんでもするんだ。最悪」


喉の奥から無理やり押し出したような、苦しそうな声でが呟いた。
今まで見たこともないようなキツい目つきで俺を睨む。
どうしていいかわからなくて見返したその目に、不意に涙が溢れて、気丈に俺を睨んでいた顔がくしゃりと歪んだ。
俯いた顔を覆う手は震えて、その指の隙間から零れ落ちる声も震えていた。


「……どうしてわかってくれないのよ……」
「……
「ずっと言ってるじゃない、宍戸が好きなんだって。なのにどうしてあんなことすんの……」
「だから、俺はお前に」
「迷惑なら迷惑って、はっきり言えばいいじゃない!その方がまだマシだよ」
「そうじゃねーよ!いいから聞けよ!俺は」
「もういい!聞きたくない!」
!!」


反射的に怒鳴っちまった俺の声に、が大きく肩を震わせた。
少し力を入れたら壊れてしまいそうな、そんな気がして、ずっと触れることを躊躇してきた薄い肩。
弱々しくて頼りない、女の。


「……あのな、
「…………」
「別にお前のこと、迷惑だとか思ったことねーんだよ」
「嘘」
「嘘じゃねーよ……」


伝えたいことはいつもうまく言葉にならない。
迷惑ななんて思ったことはない、一度も。それは本当の事で。
だけど、俺は。


「俺は跡部とか忍足みてーな男にはなってやれねーから」
「……何、それ」
「気の利いた言葉の一つ言ってやれねぇし、お前が喜ぶような場所も知らねーし、いざとなりゃお前よりテニスを優先する。お前が望むような恋愛相手には、なれねぇだろ」


それなのに気持ちを受け入れても、きっとすぐダメになる。
だったら今のままの関係でいた方がいい。
のためには、それが一番いい。
ずっとそう思ってきた。


「……だからさ……」
「バカじゃないの」


必死に選んだ言葉はのその一言に遮られた。
涙に濡れた目はさっきほどのキツさはなかったけど、さっきよりもずっと強い色をしていた。
迷いのない、真っ直ぐな、その目が。
真正面から俺を射抜いた。


「おい……」
「いつ、私がそんなこと言ったのよ」
「いつって、その」
「今までそんなこと一言だって言った覚えないよ、私」
「いや、お前が言ったとかじゃなくて」
「口下手で気の利いたこと一つ言えなくても私の好みなんか何一つ知らなくても私よりテニス優先しても全然構わないのよ」


息もつかずに俺の言ったことご丁寧に繰り返す。
振り上げた手がどん、と俺の胸を打つ。
何度も、何度も。



「そういう宍戸が好きなのよ!他の誰かじゃダメなの、宍戸でなきゃ」
「……」
「宍戸でなきゃ嫌なの!私は宍戸がいいのよ、宍戸が好きなの!」


何度も俺の胸に叩きつけられる腕を、掴んで止めた。
思っていたよりもずっと細く頼りない腕。
触れることをずっと躊躇っていたのは、自分から触れてしまったら捕まえてしまったら、気持ちの歯止めが効かなくなるとわかってたからだ。


一度でも捕まえてしまったら。
――― それで、最後。


「宍戸……っ」


掴んだ腕を引き摺り寄せて、細い身体を抱きしめる。
耳元に囁く。


「―――ホントに俺でいいのかよ」
「……何度同じこと、言わせるの」
「何度でも聞きてぇんだよ」
「……宍戸がいい」
「…………」
「―――ねぇ」
「何だよ」
「宍戸は?私で、いいの?」


すがりつくように背中に回った腕がまた微かに震えた。
抱きしめる力を強くして、俺はもう一度、の耳元に囁いた。


「―――お前がいい」











(05/02/14up)