きっといつか貴方のために。






泣いていいんだよ。


Kentaro Aoi











「見つけた」
「……!」
「試合に負けて拗ねてるんですって?相変わらずお子ちゃまね」


とても唐突にひょっこりと視界に現れた顔。
冷たいコンクリートの防波堤の上で寝転がっていた僕の顔を覗きこんで、ピーチオレンジの口紅をきれいに塗った唇がにっこり笑った。


「―――剣太郎?」
「……びっくりした」


いきなり目の前に現れるから。
咄嗟にそんな反応しか返せなくて、僕はちょっとしまったと思った。
子供みたい、とか、可愛い、とか、一番言われたくない人が相手だから、もっと何か違うリアクションがしたかったんだってば!
そんな僕の心の叫びも空しく、さんはクスクスとおかしそうに笑って。


「ホントに剣太郎は可愛い反応するよねぇ」
「……」
「もう日が暮れるわよ。家に帰ろう?」


帰ろう、って。
そう言いながらさんはまだ寝転がってる僕の横にちょこんと座り込んだ。
言ってることとやってることが矛盾してるよ、さん。
そうツッコむところなのかもしんなかったけど、まだ帰りたくない僕は黙ったまま。
さんも少しの間何も言わなかった。
遠くの空でカラスが鳴いた。


「カラスが鳴くからかーえろ。ね、剣太郎」
「……さんだけ帰ればいいでしょ」
「あらダメよ。虎次郎に連れて帰ってきてって頼まれちゃったんだもん」
「そんなの僕の知ったことじゃないもん!」
「……可愛くないことを言うのはこの口かしら」


またにっこり笑ったさんの手が伸びてきて、ぎゅうぅぅっと唇をつねられる。
手加減ゼロ情け容赦なし。
唇と同じピーチオレンジに塗った、きれいに伸ばした爪は十分凶器だ。


「ひたひひたひひたひっ!」
「一緒に帰るわ・よ・ね?」
「はえひまひゅ」
「素直ないい子は大好きよー」
「…………」


……僕がさんに勝てる訳がない。
それをわかっててさんを送り込んでくるサエさんたちはひどい。
でもそんなこと言ったら今度はサエさんたちに似たようなことをされるだけなので言えない(僕ら幼馴染間の力関係は年齢と並行しています)(つまり僕は一番下)。
ジーパンの埃をはたきながら立ち上がったさんは、笑顔のままで僕に向かって片手を差し出した。
細くてきれいなその指に、銀色の指輪。右手の薬指。
少し、かなり、面白くない気分でその手を握り返すと、細い腕に似合わない強い力が僕を起こす。


「何かちょっとの間に随分重たくなったわね」
「……その言い方なんだか傷つく……」
「女の子みたいなこと言うし」
「ストレートに大きくなったねって言ってくれたらいいんだよ!」
「はいはいそうね、そうでした」


手を繋いだままで、二人並んで防波堤の上を歩き出した。
繋いだ手のさっき見た指輪があたってるところ、ひんやり冷たくて。
なんだか落ち着かない。


「剣太郎、指もぞもぞさせないでよ、くすぐったい!」
「……指輪が」
「え?ああ、これ?冷たかった?」
「うん」
「ごめんね、でも我慢してよ。こんなとこで外したら失くしちゃいそうだもの」
「失くしたくないんだ?」
「当たり前でしょ。プレゼントなんだから」
「―――彼氏にもらったから?」


同じ大学の同期の人と付き合ってるって聞いたの、何ヶ月前だったっけ。
僕の知らない男の人。
さんと同じ、僕よりきっとずっと大人の人。
自分で訊いといてなんだけど、返ってくる答えを考えたら胸がちくちく痛んだ。
だけど胸を押さえた僕の隣でさんは意外なくらいあっさり、違うわよ、と笑った。


「そんなのとっくに別れたわよ」
「……そうなの?」
「哀しいかな、弟に誕生日に指輪もらっちゃうくらい、男っ気ない生活を送ってます」
「え、その指輪サエさんからなの!?」
「だからそう言ってるでしょ」


……実のお姉さんの誕生日に指輪を贈るなんて(しかも薬指のサイズの!)(右手だけど)(でも右手だって何か意味あったような)、サエさんだから出来る真似だよね……。
ちょっとホッとするのと同時に、少し気になった。
いつ別れたの?フったの?フラれたの?
―――やっぱり泣いたり、しましたか……?


さん」
「なーに?」
「……ううん、何でもない」
「何よ、言いかけてやめるの?あ、わかった。今日の試合のこと?」


訊こうとしてでもやっぱり訊けなくて口をつぐんだ僕の表情を勝手に解釈して、さんは困ったように笑って繋いだ手にぎゅっと力を入れた。


「負けたのが悔しかった?」
「……当たり前だよぅ」
「情けない顔しないの!仮にも一応部長でしょ剣太郎は!」
「……うん……」
「あーもう、仕方ないわね。ほら、おいで!」


立ち止まって、繋いでいた手を解いて。
さんは大きく腕を広げてぎゅっと僕を抱きしめた。
子供の頃と同じように、温かい手がぽんぽんと優しく背中を叩く。


「どうせ剣太郎のことだから、みんなの前では泣くに泣けなくて逃げたんでしょ」
「……どーしてわかるの?」
「幼馴染を舐めないでよね。剣太郎のことも春やヒカルのことも小さい頃から知ってるもの、あんたたちの一挙手一投足に至るまで読めないものなんてそうそうないわよ」
「すごいんだ、さん」
「やっとわかったか。……あのね、剣太郎」
「何?」
「悔しいって泣けるのはね、向上心があるからよ。そういう人はもっと強くなれるわ。だから剣太郎は強くなれるわよ、私が保証してあげる」
「……うん」
「今は泣いていいから、明日からはまた頑張ろうね」
「……うん」


大きく頷いて、僕はさんのことを抱きしめ返した。
少し前まで僕より大きかったはずのさんは、今は僕の腕にすっぽり収まる。
でも、身体は大きくなったけど、僕はまださんよりもずっと子供で。
さんが僕に言ってくれたように、泣いていいよなんて言ってあげられない。
さんが辛い思いをして、でも泣けない、そんなことがあっても。
僕はまだ、さんを受け止めて、同じ言葉を返してあげられるほど強くない。


だけど、いつかきっと。
さんが辛い時に、同じ言葉を返してあげられるような、そんな奴に。
きっとなってみせるから、それまでどうか、待っていて。











(05/02/14up)