君の存在を感じていたい。
いつでも、いつまででも。
一緒に居たい。それだけ。
Kojiro Saeki
かちり、小さな音がして、腕時計の針が11時をさした。
目の前に広がるはずの海。海岸沿いの道路の電灯は数がとても少なくて、そのか細い光は砂浜まで届かない。
今は僅かな月明かりと寄せては返す波の音だけが、その存在を教える。
キンと冴えた冬の夜の空気。
互いに繋いだ手だけがとても温かい。
交わす言葉はとても少なく、寧ろお互いに沈黙していることの方が多い。
だけどそれが不思議と嫌じゃない。言葉なんかなくても気持ちは伝わってる。
そこにサエがいるだけで私はとても安心出来る。
サエも同じだと言う。
いつも感じている、とても穏やかな空気と心地よい高揚感。
それをこのままずっと感じていたいと、いつも思ってる。
サエの言葉と波の音だけを受け止めていた耳に、不意に聞こえてきたのは携帯の着信音だった。
コートのポケットの中、私の携帯電話。
見なくてもわかる、この着信音は家から。
『いつまで遊んでるの、今何時だと思ってるの、早く帰ってきなさい』。
電話の向こうでお母さんが言おうとしているはずの言葉が、頭の中に浮かぶ。
「……電話、出ないの?」
優しい声が囁くように言った。
見上げたサエの顔は、影になってよく見えない。
後ろに見える月はやわらかなミルク色。
「家から、だろ?」
「……うん」
「おばさん、怒ってるかな」
「大丈夫。お母さんサエのこと好きだもん、怒らないよ」
「それって喜んでいいのかな」
低く柔らかに、密やかに、笑う声。
携帯電話は鳴り止まない。
観念して、しつこくコールを繰り返すポケットの中の小さなツールを取り出す。
通話ボタンを押そうとした私の指に、少し骨ばった男の人の指がかかった。
サエの指。
「サエ?」
「貸して」
私の指に自分の指を重ねて。
通話ボタンじゃない、別のボタンを、そっと押した。
コール音が鳴り止んでも、私の指ごと通話オフのボタンを押さえるサエの指から力は抜けない。
数秒後、携帯電話のディスプレイからは光が失われて。
電源がオフになった携帯電話を握り締めたまま、私はじっとサエの顔を見つめた。
立ち位置が微妙にずれたおかげで、さっきまで影になっていたその表情が仄かな月の光に照らされて私の視界に映る。
じっと注がれる眼差しは、いつものように穏やかで。
いつもと違って、不思議な熱を帯びていた。
「……サエ?」
「これで、共犯」
「共犯?」
「電話の電源切って、おばさん無視した、共犯」
私の手から携帯を取って、自分のジャケットのポケットに入れてから。
そっと手を伸ばして優しく抱きしめてくれた。
「―――俺、今日はまだ、を帰したくないんだよ」
―――うん。
私もまだ、帰りたくないよ。
そう呟いた私の唇を、サエの唇がそっと塞ぐ。
触れるだけのその口付けは、胸の奥にやわらかな熱を宿した。
あと少しだけ。もう少しだけ。
何もかも忘れて、君の存在を一番近くに感じていたい。
(05/02/14up)