叶わないとわかってても尚想い続けてしまう。
どうしてやめられないんだろう。
ぼんやりと窓の外を眺めている後ろ姿から、小さな溜息が漏れるのを聞いた。
柄にもなく黄昏ちゃっているその頭を軽く引っ叩く。
かなりいい音がして、振り向いた神尾はちょっと涙目になっていた。
「何すんだ!」
「英語の課題提出してないの、あとあんただけなんだけど」
「ならそう言やいいだろ……何でお前はいつも言葉より先に手が出るんだよ」
ぶつくさ言いながら机の中を引っ掻き回して、端の折れたノートを引っ張り出した。
ペラペラとページをめくって中を確認していた神尾が、あ、と小さく声を上げる。
それと同時に長方形の紙切れが二枚、ノートの中から飛び出して私の足元にひらりと落ちた。
「?何これ」
「わーっちょっと待て!拾うな!」
「そんなこと言われたって、もう拾っちゃったし。……チケット?」
屈んで拾い上げたそれは、私も結構好きなアーティストのコンサートチケットだった。
ただし、サマーツアーの。
今はもう二学期、季節は秋。夏のコンサートなんてとっくに終わってしまっている。
よれよれのノートとは対照的に、折れ目もシワもなくてとても綺麗な状態のそのチケットと、目の前の神尾の顔を見比べる。長めの前髪に隠れた顔ははっきりと赤く染まっていた。
その顔を見ただけでこのチケットの用途は知れた。でも今、ここにコレがあるってことは、つまり。
「……せっかくチケット取ったのに、誘わなかったの?」
「誘った!……んだけど、ちょっといろいろあって、有耶無耶になっちまって」
「何やってんだか。しかもかなりいい席じゃん、これ。勿体ないなあ」
「うるせーな、いいんだよ!あん時はその、いろいろ、大変だったし……」
ごにょごにょと語尾を濁して決まり悪そうにそっぽを向いた神尾は、ややしてから赤い顔のまま立ち上がって、私の手からチケットをひったくると、代わりにノートを押し付けた。
「いいから返せって。つーかお前が取りに来たのはこっちだろ!」
「はいはいそうでした。―――ちょっとどこ行くの」
「は?俺がどこ行こうが関係ないだろ」
「職員室にノート持ってくの手伝ってよ」
「何でだよ!?」
「誰の所為で提出が遅れたと思ってんの!?」
「…………」
神尾はパクパクと何か言いたげに口を開閉させたあと、諦めたようにガックリ肩を落として項垂れて、手に持ったままだったチケットをズボンのポケットにねじ込んだ。
教卓の上に積んであったノートをニ等分して、半分を神尾に持たせて教室を出る。文句を言いながらも隣に並んだ神尾は、器用に片腕で自分の分のノートを抱えて、私の持っている分から更に何冊かを取り上げて自分の分と一緒に持ち直した。
「いいよ、このくらい持てるってば」
「女に多めに持たせられるかっての」
「へえ、一応女扱いしてくれてんだ」
「お前ホントに素直じゃないよな!」
「―――あら、神尾くん、ちゃん」
軽口の叩き合いに割り込んだ明るい声に、私と神尾は同時に立ち止まった。
ひらりと手を振って近付いてきた女の子。その肩の上で明るい色の髪がさらりと揺れた。
「あ、杏ちゃん」
「二人一緒にどこ行くの?」
「課題提出しに職員室にね。神尾の所為で提出遅れたから手伝わせてんの」
「、余計なこと言うなって!」
「ええー、ダメじゃない神尾くん。迷惑かけちゃ」
「あ、あはははは」
「杏ちゃんもそう思うでしょー?もっと言ってやって、言ってやって」
「ー!!」
「ふふ。ホント仲良いよね、二人」
「「は!?」」
「ホラ、息ぴったり。今度ミクスドペア組んでみたら?結構いい線いくと思うわよ」
にっこり笑顔で爆弾発言をかました杏ちゃんは、クラスメイトの女の子に呼ばれて、じゃあまたねーと手を振ってこの場を離れていった。
ちらりと横目で神尾を見る。さっき教室で零していたのと同じ、小さな溜息が響いた。
去っていく杏ちゃんの後ろ姿を見つめる神尾の目には、他のものなんか何ひとつ映っていなかった。
真っ直ぐに、真っ直ぐに。いっそ愚かなくらい、ただ一人だけをひたすら見つめる目。
駄目押しのようにもうひとつ重い吐息を漏らしたあと、神尾の視線はやっと杏ちゃんから離れて私の方を向く。杏ちゃんを見ていた時の縋るような光が消えたその眼差しは、私の胸にじくりとした痛みをもたらした。
「行こうぜ」
「……うん……あのさ、ごめんね?」
「は?いきなり何だよ」
「や、だって、何か……変な誤解されちゃったみたいじゃん?」
「バーカ、お前が謝ることじゃねーよ」
「でもさ」
「俺、そんなに気にしてねーからさ。お前も気にすんなよな」
そう言って笑った神尾は、いつもの神尾で。
でも、職員室に足を向けて歩き出した時、またも微かに聞こえた溜息が、その言葉を裏切っていた。
あいつが彼女のことを想って零す溜息なんて、もうとっくに聞き飽きてしまったのに。
きっと明日もまた私は、あいつの傍でその溜息を聞く。
傍にいたい、ただそれだけの為に。
『溜息にも飽きた』 A・Kamio
060903