後ろに回されたキャップのつばを軽く引っ張ったら、キャップの主は結構簡単にバランスを崩した。
ギッ、と音がしそうなくらいキッツイ目つきでこっちを振り返った宍戸に、笑ってひらひらと手を振ってみせると、普段から仏頂面の顔がますます渋い表情になる。



「何しやがる、
「んー。すっかりトレードマークになっちゃったなあ、と思って」
「引っ張る必要ねえだろが」
「コレ後ろに持ってきてんのって昔の尻尾の代わり?」
「はあ?しっぽ?」
「長かった頃、ポニーテールにしてたじゃん」
「ちっげーよ、バカ!つか尻尾とか言うな!」



どうやら尻尾って言い方は気に食わなかったっぽくて、宍戸は少し声を荒げた。
そこにピーッと高らかに鳴り響いたホイッスルの音が、私たちの会話を途切れさせる。
四時間目の体育。校庭で陸上。珍しく男女合同での授業と聞いて色めきたったのも束の間、しっかりジャージを着込んで出てきた私たち女子の姿を見て、あからさまにがっかりした顔をしていた男子たち(真冬にショートパンツで体育なんかする訳ない)の中で、ただ一人宍戸だけは「バカじゃねーのかお前ら」とやっぱり渋い顔で呟いた。
ああもあからさまに興味津々なのもどうかと思うけど、ここまでストイックなのもなんだかな。
あー、もしかしてもしかすると。



「しっしどー」
「ああ?」
「宍戸って実はムッツリ?」
「……ケンカ売ってんのかテメエ」
「いや、だってさあ!どっちかって言ったらあいつらの反応の方が普通じゃない?年頃のオトコノコとしてはさ!」
「知るか!つーか体操服ぐれーでギャーギャー騒ぐ方が激ダサなんだよ」
「つまり『俺は体操服ごときじゃ満足出来ねーんだよ』と」
「違うっつってんだろ!」



いきり立つ宍戸を制するように、もう一度ホイッスルが鳴り響く。
チッと舌打ちして青い色のキャップを深く被り直すと、宍戸は他の男子と一緒に走り高跳びの列に並びに行ってしまった。
女子は走り幅跳びー!と叫ぶ先生の声に従って砂場へ向かいつつ、ちらりと男子の列に目をやる。
他の男子と何やらお喋りしながら笑っていた。私にはあまり向けられることのない、屈託ない笑顔。
そうこうしているうちに順番が回ってきて、宍戸は軽く屈伸したあと、おもむろに走り出した。
最初はゆっくり、少しずつスピードに乗っていく身体。
バーを飛び越える直前、キャップが頭から飛んで、少し茶っこい髪がサラリと落ちて顔を隠した。



……気づかないうちに、結構伸びていたんだな、髪。
宍戸がいきなり短髪になってきた日のことを思い出す。
前日までの長さがまるで嘘のように思い切りよくカットされた髪を見て呆然とする私に、いつもと変わらない仏頂面で、レギュラーに復帰したことを告げた。

あの時、私の中で何かがはっきりと変わったことを、宍戸は知らない。





ワッと歓声が響いて、私の意識を引き戻した。
自分の身長より高いバーをやすやすと飛び越えた宍戸が、軽くガッツポーズなんかしながらマットの上から飛び降りるところだった。
飛ばされた青いキャップが風に吹かれて地面を転がってくる。
女子の列を離れてそれに近づいて拾い上げたところで、小走りにやってきた宍戸と目が合った。
砂埃を軽く払って差し出した青いキャップ。サンキュ、という呟きと共にそれに伸びた宍戸の手に、その時小さな傷を見つけた。



「……宍戸、そんな傷あったっけ?」
「ああ?……あーこれな。長太郎付き合わせて練習してた時につけちまったヤツ」
「顔の傷と同じ?」
「そうだけど」
「ふぅん……」



乱れた髪をざっと手櫛で直してキャップを被り直す。
その仕草をじっと見つめていたら、何か居心地悪そうな顔で睨まれた。



「なんだよ」
「んー、べっつにー?」
「気味悪ィんだよ、言いたいことあんならはっきり言えよ」
「言っていいの?」
「だから何なんだよ」



もったいぶると少しイライラした顔で聞き返された。
このあとの宍戸の反応を想像して、自然と顔が笑うのを自覚しながら口を開いた。



「宍戸カッコイイなーって思って」
「……はあ!?」
「カッコイイよ宍戸」
「〜〜〜ッ何言ってんだ、お前!激ダサ!」



想像通り、真っ赤になって怒鳴る宍戸の頭から、ひょいとキャップを取り上げて自分の頭に被せる。
少しぶかぶかの青いキャップ。くるりと180度回転させて、つばを後ろに持っていく。
今はもうない宍戸の長い髪の代わりの尻尾みたいに。



「おい、返せ!」
「ダイジョブダイジョブ、帽子なくっても宍戸はカッコイイから」
「そういうこと言ってんじゃねーだろ!返せっつの、!」
「ねえ、もう前みたいに長く伸ばしたりしないの、髪」



いきなり話を切り替えた私を見て、宍戸は一瞬目を丸くして口を噤んだ。
風に吹かれて髪が揺れて、少しだけその表情を隠す。
微妙な沈黙のあと、ふいっと視線を横に流した宍戸が呟くように言った。



「それまでの自分を切り捨てた証しみてーなもんだからな」
「今の髪型が?」
「ああ」
「……そっか」
「おう」



ちらりとこっちを見た宍戸の目が微かに笑う。
笑い返しながらキャップをはずして、少し背伸びして宍戸の頭にぽすんと被せる。
その時、ついでみたいに耳元に小さく囁いたら、驚いた表情で私を見返した宍戸の顔は、一瞬でさっきよりもっと真っ赤になった。





『今のカッコイイ宍戸が好きだよって言ったら、どうする?』











『風になびく前髪が』 R・Shishido
070217