甘くほろ苦い謎かけを。
semisweet question
レギュラー用のドリンクボトルが入ったケースを抱えて、いつにも増してうるさいコート周辺の人込みの中を突っ切る。
何人かの顔見知りやクラスメイトが私に気付いて声を掛けてくる。
言い回しは多少違えど話の内容は皆同じで、そのたびに私は両腕をの自由を奪っているケースを見せて断りを入れた。
相手が違うだけの同じやり取りを何度も繰り返しながらやっと辿り着いたテニスコートの入り口で、私に気付いた一年生が駆け寄ってきて軋んだ音を立ててフェンスを押し開けてくれた。
「お疲れ様です!あの、持ちましょうか?」
「あ、ううん大丈夫、ありがとね」
ケースは片手で持つには少し大きいけれどそれほど重いものではない。
ぺこりと頭を下げて自分の作業に戻るその一年生に笑い返してギャラリーの石段を降りていくと、レギュラー陣がちょうどコートから戻ってきたところだった。
まだ練習を開始して一時間くらいなのに皆一様に疲れた顔をして、雑用係の一年生が差し出すタオルを受け取ると思い思いの場所に腰を下ろす。
ぐるりとテニスコートを囲むフェンスの向こうで、何十人という女の子たちがそれぞれのお目当ての少しでも近くに行こうと押し合い圧し合いしているのを横目に見つつ、私は腕の中のケースを揺すりあげると、一旦止めた足を再び動かして彼らの傍へと近付いた。
「お疲れさま。ほら、水分補給」
「……んー……」
「お疲れ様です」
「サンキュ……」
声を掛けて一人一人にドリンクボトルを手渡す。
それを受け取るレギュラー陣に、いつもの余裕は見られない。
皆して大分精神的に消耗してるなー。
いつもなら神経質に自分のボトルかを確認する跡部も、今日は受け取ってすぐにストローに口をつける。
ベンチに座って足を投げ出して、苛立たしげな表情をタオルで覆い隠して溜息をつくその様子からも、らしくもなく相当疲弊しているのが見て取れる。
一日中、何十人何百人って女子に追い掛け回されたら、そりゃ疲れも溜まるわよね……。
ボトルを受け取りしな一言返すくらいはするものの、それ以外は口を聞くのも億劫そうな皆に、私も余計なことは言わず黙々と自分の仕事をした。
最後にケースに残ったボトルは宍戸とチョタの分。
皆とは少し離れてコートとギャラリーを隔てる低いコンクリートの柵に寄りかかって話している二人に近寄ると、私に気付いたチョタが宍戸に短く何か告げてから、私の方へと歩み寄ってきた。
「お疲れ様です、先輩」
「お疲れさま。はい、チョタの分」 「ありがとうございます」
そう言ってボトルを受け取ったチョタの笑顔は、一見いつもどおりのようで、でもよくよく見ると他の皆と同じように疲労の色が見え隠れしていた。
チョタはそのままボトルを片手に私が来た方へ行ってしまい、残された私は壁に寄りかかって汗を拭いている最後のボトルの持ち主の隣まで歩を進めた。
相変わらず生傷の絶えない宍戸の横顔も、やっぱり疲労が色濃く滲んでいる。
例に漏れずというか、他の皆同様女の子たちに追い掛け回されたんだろうな。
隣まで行って同じように柵に寄りかかると、小さい溜息が耳を打った。
「お疲れ」
「ああ」
「大丈夫?」
「……あんま大丈夫じゃねぇ」
「あーらめーずらし、宍戸がそんな素直に弱音吐くなんて」
「うるせーな!……ったく、どいつもこいつも菓子業界の策に踊らされやがってよ」
「……否定はしないけど、もう少し別の言い方して欲しい……」
「……何だよ、お前も誰かにやんのか。バレンタインのチョコ」
疲れた顔の中で視線だけ動かして、宍戸が不機嫌な口調のままぽつりと問いかける。
どきんと大きく心臓が跳ねて、肩が僅かに震えた。 宍戸が催促しないのをいいことにまだ渡さずに持ってたボトルにも震えが伝わって、たぷん、とぷん、と微かな、そして少し重たい水音が響く。
その音にハッとした私の手から、宍戸がボトルを取り上げた。
「あ、そ、それ……!」
「あぁ?何だよ、これ俺ンだろ」
「そ、そうなんだけどっ……あーっ!」
咄嗟に伸ばした手の先で宍戸が噛み付くようにストローに口をつける。
小さく喉が上下して、次の瞬間宍戸は怪訝そうに眉間に皺を寄せた。
確かめるようにもう一口すすって、そしてさっきよりも深い皺を眉間に刻んで、何か言いたげにこっちを見た。
反射的に視線を逸らした私の視界に、気だるげな仕草でベンチから立ち上がる跡部たちの姿が映る。
「……おい、」
「あっ、ほ、ほらっ、休憩終わりじゃないの!?」
「それはわかってるっつの。つーかそうじゃなくて」
「……や、だから、その……ああ、そう!別にそれはね、宍戸のだけじゃなくってっ……」
「ー!ボトルここ置いとくぞー」
私の言葉を遮るように、かったるそうな岳人の声が響いて。
「俺全部飲んじゃったからさー、次の休憩までに新しく入れ直しといて」
「わ、わかっ……」
「そーだ、粉末のポカリ残ってたろ。アレ足してちょっと濃い目に頼むぜ」
「―――!」
「おい、俺のは次はスポーツドリンクじゃなくて水にしろ」
岳人に続いて跡部がそんな一言を残してコートに降りていく。
背後を振り向けずにいる私の耳に、淡々とした宍戸の声が滑り込んだ。
「……アイスココアに粉末ポカリ足すと味が濃くなるのか、初耳だぜ」
「…………」
「」
「……はい」
「これ」
「え?」
ぽんと手渡されたのは、まだ中身の残っている宍戸のドリンクボトル。
続いてぱふっと軽い音をたてて、私の頭に何かが被さった。
視線をあげると、見覚えのある青が視界を遮る。それは宍戸のキャップの色だった。
さっきまで被ってたキャップの所為でぺったり寝てしまっている髪をぐしゃぐしゃかきあげながら、宍戸は皆を追ってコートに降りていく。
「宍戸?ちょっ……」
「おい、それ中身捨てんなよ」
慌てて呼びかけた声に振り返った宍戸の顔が、少し赤い。
ラケットで指し示したのは私の手の中のボトル。
「……ちゃんと全部飲むからよ」
「……それ、どういう意味」
「どういうって……そんくれー言わねーでもわかるだろ!」
ちょっとだけ赤かった顔が、瞬時にその色を濃くした。
声を荒げて答えた後、こっちに完全に背を向けた宍戸に向かって、私は咄嗟に声を掛けた。
「――― 宍戸!」
「ンだよ」
「言っとくけど、これアイスココアじゃなくて、アイスチョコレートだよ」
「……道理でやたら甘ったるいと思ったぜ」
――――――ぼそりと呟いた宍戸の声が嬉しそうに聴こえたのは、気の所為じゃなかったと思う。
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