『その瞬間』に居合わせた俺は。
一目惚れ、っていうのは。
本当にあるもんなんだなぁ、なんて。
ポカリのペットボトル片手に、そんなふうに思っていた。
始まりの一瞬間
「おーいサエー!」
ちょっとした用事を済ませて部室に向かう途中、後ろから声をかけられた。
振り向くと勢いよく駆けて来るバネの姿。
因みにここは校舎の裏で、普段からあんまり人通りはない。
ついでに言えば、テニスコートや部室に行くのに、ここを通らなきゃいけないってことはない。
「何やってんの、こんなとこで」
「そりゃこっちの科白だっつーの」
肩のラケットバッグを揺らして俺の隣に並んだバネは、学食のオバちゃんにもらった、と手に持っていたポカリのペットボトルを一本、俺に放って寄越す。
短く礼を言ってプラスティックの蓋を捻った俺の横で、バネは程よく冷えたポカリを一口飲んでから、チラッとこっちを見てちょっと意味ありげな笑い方をした。
数年前まではほとんど同じ高さにあった視線は、今は十センチ上にある。
自分の身長を特別低いとは思わないけど、バネやダビデに見下ろされると少し癪に障るのは事実だ。
「何だよ、変な笑いかたして」
「さっきの子、二年生だろ?なんだって?」
「……見てたのか?」
「偶然な、偶然!で、どうだったんだよ?」
聞きにくい事を聞いているって感じが全くしない、悪びれないその笑顔に怒る気力が失せた。
肩のラケットバッグを揺すり上げて溜息を一つついてから、短く答える。
「バネの予想してる通りだと思うけど」
「何だよ曖昧だな。んで、オッケーしたのか?」
「する訳ないだろ、ついさっきまで顔も名前も知らなかった相手なのに」
「何だよ、勿体ねぇの。ちっと顔見えたけど結構可愛かったじゃんかよ」
「そう思うならバネが声掛ければ?2-Dだってさ」
「あー?何で俺が。めんどくせぇよ」
……人には勿体無いのなんのと言っといて、自分にお鉢が回ってきたらめんどくさいで済ますのか。
バネらしいと言えばバネらしいけどな。
うちの部のメンバーで色恋沙汰に積極的なヤツなんてのは、今のとこは剣太郎くらいだ。
ぶっちゃけて言えば、もてない訳じゃないんだ、うちの部の部員って。
寧ろ強豪テニス部ってことで、学内では人気がある方だと思う(ありがたいことに自分含め)。
だけど、その部活が忙しいおかげと、仲間内で騒いでるのが楽しいって言う奴らばっかりな所為か、彼女持ちって今のとこ一人もいないんだよな。
積極的ではないけど興味がない訳じゃないから、可愛い子には目はいくし、試合で女の子の声援がもらえれば喜ぶし、告白されれば素直に嬉しいと思う。
でも可愛けりゃ誰でもいいとか、何が何でも彼女が欲しいなんてがっついてる奴もいない。
恋愛よりもテニスが楽しい。そんなふうに思っている俺たちはまだまだガキなんだろう。
特にはっきりと締めくくるでもなくその話は終わりになって。
数学の小テストだとか最近出たゲームなんかの話をしながらテニスコートに向かう。
まだ誰もいないコートと、その向こうの部室が見えてきたところで、バネが話を切り替えた。
「ところでよ、今日の練習なんだっけか」
「いつもどおりだよ、基礎練の後に軽く打ち合って、それから……」
「―――バネさん、サエさん」
さっきバネに声を掛けられた時みたいに、今度は横から名前を呼ばれて。
バネと二人、声のした方に顔を向けると、ダビデが軽く手を上げてこっちに歩いてくるところだった。
同じように手を上げて挨拶し返そうとした時、ふとダビデの後ろにもう一人誰かがいることに気づいて、俺は軽く首を傾げた。
顔はまだ見えなかったけど、ただでさえでかいダビデの背中にほとんど隠れてしまう小ささと、ひらりと小さくはためいたスカートが、その子が女の子だと教える。
ダビデはその子に気を遣っているのか、いつもよりゆっくりした歩調で歩いていた。
何だ、いつの間にか彼女出来てたのか?
バネ程ではないけど、この手の話に関しては結構消極的だと思ってたら、ダビデのヤツ。
そんな事を考えている間に、ダビデとその子は俺たちのすぐ傍までやってきた。
自分からダビデの陰に隠れているのかと思っていたんだけど、単に小柄な所為だったようで、ぴんと背筋を伸ばして立っている姿は見ていて気持ち良い感じがした。
「ウイッス」
「よう」
「その子、友達?」
「あー……」
俺の問い掛けに、ダビデは少し視線を彷徨わせて言葉を捜す。
顔はまだダビデの陰に隠れていてよく見えない。
何となく好奇心に駆られて顔を覗き込もうとした時、ダビデが立ち位置を横にずらした。
目の前でやわらかそうな黒い髪がふわっと揺れて、陰になっていた顔が露わになった。
「今日、うちのクラスに入った転校生」
「……こんにちは」
凛とした声が耳を打つ。
可愛いというよりは綺麗という言葉がしっくり来る声。
小さなその子は、ダビデの紹介に合わせてぺこりと軽く頭を下げた。
「 です、初めまして」
「見学したいって言うから連れてきた」
「見学?」
うちは男子テニス部だけど、と言い掛けた俺の言葉を遮って、さんは真っ直ぐにこっちを見上げてにっこりと笑う。
明るいその表情はなかなかに魅力的で、俺も思わず見惚れてしまった。
物怖じしない性格なのか、こっちに向けた視線には声と同じで凛とした強さがあった。
「前の学校では男子テニス部のマネージャーをしてたんです。天根君からマネージャーはいないって聞いたんですけど、一応見学だけでもさせてもらいたくて」
「そうなんだ。あ、俺は副部長の佐伯、よろしく」
「よろしくお願いします」
「……バネさん?」
会話の切れ目を狙ったように、ダビデがポツリとバネに呼びかける。
そう言えばダビデに掛けた最初の一声からこっち、バネは一言も口をきいてないことに気付いて、俺はどうかしたのかと声を掛けようと横を見た。
さっきと同じ、肩にはラケットバッグ、手にはポカリのペットボトル。
たった一つだけ違うのは、さんを食い入るように見つめている、その表情だった。
ちょっと待て。
確かに可愛い子だと思うけど。
……マジで?
「……バネ」
「バネさん、どーかした?」
「……あ?あ、いや……えーと」
「バネさん、て」
面白いくらいにしどろもどろになっているバネの前で、さんがふと思い出したようにダビデの顔を見上げる。
「さっき天根君が話してた先輩の『バネさん』?」
「そう」
「天根君のダジャレにいっつもツッコミ入れてくれるって言う」
「そう。……ヒカルのダジャレに光の速さでツッコむ……プッ」
「…………」
おいおいおい。
いつもなら即入るツッコミ(というか蹴り)がない。
相当重症だな、これは……。
構えていたダビデもさんも、あまりの反応のなさに訝しげな顔でバネの顔を覗き込んだ。
「……バネさん?」
「あの……?」
「あー、あのな、今日ちょっと調子悪いんだよ、バネ」
「え、そうだったのか?朝練時は何でもなかったのに」
「まぁそんな日もあるさ。だから今日は休んでればって話してたとこなんだよ。な、バネ!」
「…………あ、ああ?」
「そうなんですか、大丈夫ですか?」
明るかった表情を曇らせてさんがバネの顔を見上げた。
ちらりと横目でその顔を見ると、日焼けしたその顔が今まで見たこともないほど赤く染まっていて、俺は思わず吹き出しそうになるのを堪えるのに必死になった。
そんなバネの様子をおかしいと思いながら、その理由にまでは考えが及んでいないらしいダビデの肩を軽く叩いて部室の方へと促す。
口を開きかけたダビデを視線だけで黙らせて、俺は改めてさんに声をかけた。
「ちょうどいいや、今日はバネに説明させるから、ゆっくり見学していきなよ」
「……はぁ!?」
「ちょっとサエさん!?」
「え、でも……大丈夫なんですか?」
「具合悪いって言っても、すぐ帰らなきゃやばいって程じゃないしね。バネもいいだろ?」
「―――ちょ、ちょっと待てサエ!俺はっ」
「 い い よ な ? 」
「――――――」
満面の笑顔で肩を叩くと、バネは何度か口を開閉させてから、ぎこちなく頷いた。
じゃあ俺たちは着替えるからあと宜しく、と言い残して、俺は呆然と突っ立ったままだったダビデを引き摺って、さっさとその場を後にする。
背後からはさんの『じゃあお言葉に甘えて、宜しくお願いします』なんて声が聞こえて、対してそれに応えるバネの声は聞こえなかったけれど、さっきと同じ赤い顔のまま頷いている様子は容易に想像出来た。
少しの間を置いて我に返ったダビデが、抗議するように俺の腕を振り払う。
「サエさん、ちょっとどーいうことッスか」
「お前も鈍いなぁ。バネの顔見たら一目瞭然だろ?」
「顔ー?」
「バネのタイプがああいう子だったとはね」
「タイプ……って、ええ!?」
「反応が遅いよダビデ……こら、野暮なことするな」
後ろを振り返ろうとするダビデを無理やり止めて笑うと、ダビデはなんとも情けない声を出した。
「マージーで……」
「何だよ、もしかしてお前もさん好きだったの?」
「や、まだそこまでは……でもなんつーか、結構いいなーとか……」
「一目惚れと結構いいなとじゃ話にならないなぁ。断然一目惚れしたヤツの応援するよ、俺は」
「マジっスかー……」
「お前もダブルスパートナーなら、バネの幸せの為に一肌脱いでやんなよ」
「……ウイッス……」
がっくりと肩を落としてるダビデの背中を軽く叩くと、俺は歩くスピードを上げた。
剣太郎や他の皆にこのバネの件をどうやって話すべきかなと思案しながら。
意外にオクテだったバネが、意を決してさんに告白したのはそれから大分経ってから。
彼女がうちのマネージャーになってから、何ヶ月も後のことになる。
50000Hitキリリクで、一コ下の転校生が気になるバネちゃん(佐伯視点)、でした。
すいません砂糖子さん……バネちゃんが一回も名前読んでないの……。
うっかりサエ視点で書き出しちゃったらこんなことに……こんなんでも良ければもらってやって下さいませ。
てゆーか寧ろもう煮るなり焼くなりお好きに!!
最後になりましたが、50000Hitありがとうございました!これからも宜しくお願いしますv
05/06/22UP