視界を染めた鮮やかな紅い色。
それが私の恋の始まり。
紅 恋 歌
初めて逢ったのは真央霊術院の庭。
小柄な少女と二人で並んで歩いていた、背の高い人。
燃えるような紅い色の髪がとても印象的だった。
二度目は各学級の教室に入った時。
第一組の教室の中で、やっぱりあの紅い髪は一際目立っていてとても目を引いた。
その色に誘われるようにちょうど空いていた後ろの席に腰を下ろして。
やたら大音響で喋ってた担任の話なんか見事に耳を右から左へ素通りさせて、ただじっとその色に見惚れていた。
南流魂街第78地区・戌吊出身、阿散井 恋次。
彼の出身と名前を知ったのは、それからすぐ後のこと。
「―――あーばーらーいーくんっ!」
「のわっ!!」
六番隊詰所前で。
廊下の様子を伺っていた後ろ姿を見つけて、ひとまとめに結い上げた紅い髪を思いっきり引っ張る。
一尺近い身長差のおかげで引っ張るというよりはぶら下がるといった感じだったけど、奇襲方法としては最適だったようで阿散井君は見事に後ろに仰け反ってそのまま尻餅をついた。
廊下に座り込んだまま、思いっきり顎を逸らして私を見上げて睨みつける。
「何しやがんだテメーは!」
「仕事サボって逃げ出そうとするのが悪いんでしょ!!」
「ぐっ……」
負けじと睨みつけて怒鳴り返したら、返す言葉に詰まって視線を逸らす。
宿題忘れて先生に叱られてる子供みたい。
立ち上がろうとしない彼の死覇装の袖に手をかけて軽く引っ張ると、拗ねた表情のまま不承不承といった感じで袴の埃を払いながら立ち上がった。
逃げられないように袖を掴んだ手は離さずに、さっきとは反対に今度は私が彼を見上げて睨みつける。
「ちゃんとお仕事していただかないと私が困るんですが、阿散井副隊長殿?」
「……事務仕事苦手なんだよ俺ぁ!」
「苦手だからって逃げていいことにはならないのっ!!」
「お前事務処理関係得意なんだしよー、俺の代わりにやっといてくれりゃいいだろが」
「そんなこと出来る訳ないでしょ!副隊長以上の決裁印が必要な書類なんだから、第四席の私に処理する権利なんかないのよ!」
「ちっ……めんどくせーなぁ、副隊長なんてなるんじゃなかったぜ……」
「……私だって阿散井君より吉良君か雛ちゃんにうちの隊に来て欲しかったわよ……」
副隊首室への扉を並んで通り抜けて、一番奥の机に阿散井君は真っ直ぐ向かっていって。
私はそれより少し入口寄りに置かれた自分用の机に溜まりに溜まっていた書類の束を抱え上げると、阿散井君の前にまとめてドンと積み上げた。
「きちんと目を通して下さいね!適当に印だけ押したりしないこと!」
「……何なんだこの量」
「この数日、阿散井副隊長殿がオサボリになっていらっしゃった間にもお仕事はどんどん舞い込んできてたんですよ。一切手をつけてないんだからたまるのは当たり前でしょう」
「その副隊長殿って言い方やめろっつーの」
「嫌味で言ってるのよ」
「それがわかってっからやめろっつってんだろが」
「はいはい、わかりました」
片膝立てて胡坐をかいて壁に寄り掛かって、イヤイヤながらも書類に目を通し始める。
そのしかめっ面を見てこっそり笑いつつ、私はたった今思い出した風を装ってさり気なく口を開いた。
「――― そう言えば、今日の夜なんだけど」
「あ?」
「たまには飲みに行こうかって雛ちゃんと話してたんだけど、阿散井君も来る?」
「雛森とか?」
「うん。雛ちゃんは吉良君に声掛けとくって言ってたから、久々に四人で飲みに行こうよ」
「そうだな、最近行ってなかったしな。いいぜ、その話のった!」
「じゃあ決まりね。そうと決まったらちゃっちゃとお仕事片付けましょう」
そう締めくくってにっこり笑ってみせたら、阿散井君はそう来たかよ、とちょっと眉をしかめて呟いて。
そして観念したように姿勢を正して(でも座り方は胡坐のまんま)改めて書類に目を通し始めた。
阿散井君、自分で言うほど事務仕事苦手じゃないのよね。
机の前にじっと座って書類整理、っていうのが性に合わないだけ。
だからやり始めればきちんとこなすし、しかも結構短時間で終わらせてくれるんだけど、嫌がってすぐ逃げ出すから捕まえる方に時間と労力を費やす羽目になるのよね、私が。
穏やかな静寂の流れる副隊首室で、窓から入ってくる涼風に揺れる紅い髪を見ながら、私は阿散井君にはわからないように書類の影でそっと微笑んだ。
―――同期で気心も知れているだろう、との理由で命ぜられた副隊長補佐の職。
苦労も多いけど(って言うか苦労ばっかりだけど!)、阿散井君の傍にいられるのは嬉しかった。
吉良君か雛ちゃんに来て欲しかった、なんて嫌味混じりに言ってみせたりもするけど、本心からじゃない。
阿散井君でよかった。阿散井君が来てくれてよかった。
本当の本当に望んでいるのは、もっと違った形だったりしたけれど。
でも今の状況はこれはこれで結構幸せで。
このままずっと一緒にいられたらいいと、そんなふうに思ってた。
でもそんな穏やかな日々は、あっという間に終わった。
「―――……」
阿散井君の肩越しに見える、それほど離れていない崖の上。
そこにそびえ立っていた剣呑な処刑道具。
目にするたび言い知れない恐怖心を覚えていたそれは、跡形もなく消えて。
代わりに巨大な霊圧がそこから立ち昇って大気を振るわせている。
彼の腕の中には白い単に身を包んだ、見知った少女。
今、そこにいるはずのない……そこにいてはならないはずの。
―――朽木ルキア。
「……」
「―――怪我の具合は、もう、いいの?」
いま口にすべき言葉はもっと別のもののはずで。
わかっているのに、口をついて出たのはそんな言葉。
阿散井君は戸惑ったような表情で私を見つめて、そして微かに頷いた。
「問題、ねぇ」
「……そう」
良かった。
そう思った。
今目の前にいる阿散井君を見るより前、最後に見た彼の姿は。
切り裂かれ血に染まった死覇装と折れた斬魄刀。
血の気の引いて青褪めた頬。ほどけたままの紅い髪。
数日前、隊舎牢の鉄格子越しに見たその姿は、涙でぼやけて霞んでいた。
そして今は、今も。
こんなにも近くにいるのに、ぼやけて霞んで、よく見えない。
ただその紅い髪だけが痛いほど鮮やか。
初めて逢ったあの日と同じ、鮮やかな紅い色。
「、俺は」
「阿散井君」
何か言いかけた阿散井君の言葉を遮って、私は静かに瞼を閉じた。
頬に涙の伝う感触。
俯かないで、でも瞼は閉じたまま。
私は言ってはいけない一言を、口にした。
「……私は何も見てないわ」
大きく息を飲む音が、二つ。
「誰もここを通っていったりしなかった」
「……」
「行って。私が目を閉じている間に、行って」
数秒間の沈黙の後。
さっと風が動いた。
「―――ありがとう」
耳元に聞こえた声は、今まで聞いた中で一番優しい、彼の声だった。
弾かれるように眼を開いて振り返る。
涙に霞む視界の中で風になびく髪は鮮やかな紅い色。
その紅い色が視界から消え去った瞬間、私は静かに瞳を閉ざした。
――― それが私の恋の終わり。
最近悲恋しか書けない体質になりつつあるような気がして怖い私。
05/02/08up