ぼくのためにきみはなく。 そのことに罪悪感を覚えながら。 「―――そろそろ帰るね」 「……ああ、もうそんな時間か」 俺の病室での定位置になっている窓側の椅子から腰を上げて、はふわりと微笑んだ。 薄いカーテンを通して差し込んでくる日差しの朱色に今更のように気付いて、壁の時計を見上げると、細い針は面会時間が終わりに近いことを示していた。 暖かそうなコートにゆっくりと袖を通すその仕草をじっと見つめていると、そんな俺の視線に気付いたは微かに頬を染めて俯いた。 「何?」 「いや……暖かそうなコートだなと思って」 「ああ、このコート?」 「去年は着ていなかったから……最近買ったものか」 「うん。この間お母さんと出掛けた時、買ってもらったの」 クリームベージュのシンプルなデザインのコートは、柔らかな彼女の雰囲気によく似合っていた。 とても似合うよと言うと、さっきよりももっと頬を赤くして更に俯いた。 そんなの肩越しに窓の外の景色が見える。 この病室に入ったばかりの時はまだ秋の色に染まり始めたばかりだった木々は、今はもうすっかり葉を落として、寒々しい姿を見せている。 このところ、日のあるうちしか外に出ていなかったけれど、それでも大分寒かった。 日が沈めばもっと寒くなるのだろう。厚手のコートが必要な季節。 「すっかり冬なんだな、外は……」 ふと、何気ない気持ちで呟いた一言だった。 俯いていた顔を上げたの表情が一瞬だけ歪んで見えた。 でもそれは本当にほんの一瞬。 どうした、と問い掛けようとした時には、彼女の表情はいつもの優しい笑顔に戻っていて。 「そうね、コートとマフラーがないと辛い季節になったわ」 「……」 「そうだ、明日は部活後に真田君たちも来るって言ってたわ。だから私は明後日、また来るね」 不自然な程いつもどおりの笑顔ではそう告げて、足早に部屋を出て行った。 俺だけになった病室の中、カチコチと時計の針が進む音が、やけに大きく響く。 どうにも気分が落ち着かなくて、まだ追いつける距離にいるだろうし、を玄関まで送ろうと思ってベッドから出て、病室の扉を開いた。 扉のすぐ傍にいた、華奢な人影がびくっと肩を竦ませる。 人気のない広い廊下にいたのは、ただ一人だけ。 白々とした蛍光灯の灯りが、明らかに頬に残る涙の筋と赤く染まった目を照らし出していた。 考えるよりも先に、身体が動いていた。 が何か言うよりも先に、捕まえた腕を引き寄せて抱きしめた。 背中で押さえていた扉を押して、腕の中のごと病室に戻る。 腕の中では俺のシャツの胸元をぎゅっと掴んで、一瞬大きく震えて。 涙混じりのか細い声が俺の腕の中から切れ切れに響いた。 「ごめ……さ、い……」 「どうして謝るの」 「だって、精市に……心配かけた、でしょう?」 「…………」 「ごめんなさい、一番辛いのは精市なのに」 「いや……謝らなくてはいけないのは俺の方だよ」 ―――病院から出ない生活は、肌で直に季節の移り変わりを感じることがあまり出来ない。 のコートを見て、窓の外の景色を見て。 今更のようにもう季節は冬なんだと感じて口にした、何気ない一言だったけれど。 の心にはどれほど重く響いたのだろう。 誰よりも俺の傍にいてくれて、誰よりも俺を案じているこの子の心には。 「心配かけて、すまない」 「……ううん」 伏せた瞼に唇を落として、抱きしめる腕にまた少し力を込めた。 「俺はを泣かせてばかりだな」 「そんなこと、ないよ」 「―――泣かせておいてこんなことを言うのは我侭かもしれないけど」 「…………」 「もう少しだけ、一緒に頑張ってくれないか」 ―――がいてくれるから、俺は頑張れるんだ。 そんな俺の呟きに、は間を置かず頷いて。 涙に濡れた顔を、そっと俺の胸に埋めた。 ぼくのためにきみはなく。 そのことに罪悪感を覚えながら。 でも君の流すその涙が僕を想う心ゆえであることに、罪悪感以上に深い喜びを感じる、そんな僕でも君は愛してくれますか。 「愛しいと思う」の御題 『01. 泣きはらした目』 S・Yukimura 050905 UP |