「先っ輩!はよッス」 「あ、赤也君。おはよう」 俺の声に振り返って、先輩はその場に足を止めた。 走っていって隣に並ぶと、目を細めてニコニコと屈託なく笑う。 「今日は随分ゆっくりね」 「今日朝練ないんスよ」 「そうなんだ、珍しいね」 先輩とは、つい最近部の先輩たちを通して知り合った。 俺の周りの女っつったら、母ちゃんと姉貴を筆頭にやかましくて口うるさくてウザってーのばっかりだけど、先輩はそういうのとは全然違ってた。 先輩の高くてやわらかい声は聞いていると何だか妙にくすぐったい気分になる。喋る声も笑う声も聞いててすげー気持ちイイ。クラスの女どもの頭に響く甲高い声とは全然違ってて。 優しくて可愛くて、年上なのに年上っぽくなくて、そそっかしくて目が離せなくて、なんつーか守ってやりたいって気持ちになった。 ついこないだ柳先輩と話しててそう言ったら、柳先輩はそりゃもう面白そうに 『赤也の庇護欲すらそそるか……さすがだな、』とか言って笑ってた(つかヒゴヨクってなんだ)。 ヒゴヨクとか訳わかんねーけど、俺にとって先輩は特別なことは確かだ。 守ってやりてーとか女に対して思ったのなんか、先輩が初めてで。 知り合ってまだそんなに経っちゃいないけど、もう名前で呼んでもらえるくらいまで近づけた。 先輩の中では、今ンとこ俺は可愛い後輩、弟みたいな子って感じってのはわかってたけど。 このまんま距離縮めてって、そのうちもっと特別な存在になってやるんだって思ってた。 特になんてことない会話をしながら、俺たちは学校までの道を一緒に歩く。 校舎が見えるあたりまで来たとこで、隣から聞こえていた先輩の声が不意に途切れた。 どうしたのかと思って前に向けていた視線を先輩の方に向けたら、さっきまでの笑顔はどっかに消えて、何かじっと前の方を見ている。 その視線を追って自分の視線を前方にスライドさせていくと、見覚えのある後ろ姿が目に入った。 一つにくくった銀の髪。俺よりちょっと高い身長。 ―――仁王先輩。 テニス部の先輩たちで先輩と知り合いなのは、俺の知る限りじゃ幸村部長と柳先輩とジャッカル先輩の三人だけだ。仁王先輩とはクラスも違うし、顔見知りだとは聞いてない。 最初は睨んでいるのかと思ったけど、仁王先輩を見る先輩の目はどこか縋るような熱っぽい目で。 それに気付いた途端、何だか胸がざわざわした。 「あの」 「……え?」 「仁王先輩がどーかしたんスか?」 「……え、あ……えっと」 聞くのが怖いような気がして、でも聞かずにはいられなくて、そう問いかけた俺の前で先輩はあからさまに口ごもる。 あっという間に真っ赤になった顔の中で視線が泳いで、落ち着かない様子で口をパクパクさせて。 そんな様子も可愛いなチクショー、と思いながら、俺は小さく溜息をついた。 わかりやすすぎだろ。 先輩はまだ何も言わないけど、その表情だけで何かもう色々わかっちまった。 つうかよりにもよって仁王先輩かよ……手強いぜ、くっそ! でも簡単には諦めねーぞ、この様子じゃ思いっきり先輩の片想いだろうし!と心のうちで自分に言い聞かせて、まだオロオロしてた先輩を促して歩き出した、ちょうどその時。 不意に仁王先輩がこっちを振り向いた。 誰かが呼んだ訳でもねーのに。 足を止めて、俺たちの方を振り向いた。 「お、赤也やないけ。おはようさん」 「……ウイッス」 「―――ああ……」 いつもどおりの何考えてんだか読めない笑顔で俺に声をかけた後、俺の横で相変わらず真っ赤な顔をしている先輩を見て、仁王先輩はちょっと笑った。 「おはようさん、」 「……っお、おは、おはよう!」 「朝っぱらから元気やのう」 消え入りそうな声でドモりまくって挨拶して、同級生相手なのに深々と頭を下げる。 そんな先輩を見る仁王先輩の表情は、一見いつもと変わらないように見えたけど。 目が。すげー優しかった。 今まで見たことない、あんな目ぇした仁王先輩。 すっげぇ大事な、大切なもの見る目をしてた。 「は赤也と面識があったとか」 「あ、あの……前に幸村君たちと話してた時に、紹介してもらったの」 「ほう」 先輩は恥ずかしいのか、仁王先輩の顔をまともに見ることが出来ないらしかった。 つっかえながら話してる赤い顔はすっかり俯いちまってて、仁王先輩が今どんな目で自分を見てるかなんて、ちっとも気付いてなくて。 そんな先輩を見て、仁王先輩はますます表情を緩めていた。 二人の隣に並ぶ気にはさすがになれなかった。 一歩後ろを歩く俺の存在に、仁王先輩は気づいてて何も言わない。 先輩の方はもう仁王先輩のことでいっぱいいっぱいって感じで、さっきまで隣にいた俺の存在なんかすっかり頭の中から抜けちゃってるっぽくて。 そんな二人を前にして、俺はもう言葉も出なかった。 俺の入る隙間なんてこれっぽっちもないんでやんの。 もう時間の問題だろ、先輩が気付くか仁王先輩が一言言えば纏まるのは目に見えてる。 あーあ……。 告る前に玉砕しちまったってのに、泣くに泣けないこの状況で(失恋したくらいで泣かねーけどさ!)。 昼休みあたり、ジャッカル先輩に愚痴って八つ当たるっきゃねーか、なんて、俺はぼんやり考えて。 一つ、盛大な溜息をついた。 どうしようもない恋の御題 『05. 打つ手がない』 A・Kirihara 050906 UP |