優しくしないで。
好きになってくれないなら突き放してくれた方がいい。
嘘でもいいから、嫌いだって言ってくれたら。
そしたらきっと。





不意にふわりと微かな熱気が頬を掠めた。
顔を上げると、目の前に背の高い人影。
銀色の髪がさらりと揺れて、その下の眼差しが柔らかく微笑んだ。


「……鳳くん」
「やあ。そこを通ったら、君の姿が見えたから」


頬に触れた熱気は鳳くんの差し出していた缶入りの紅茶のものだった。
私の好きなミルクティー。
買ったばかりらしいそれは、男の子が好んで飲むとはあまり思えない、かなり甘みの強いものだったから、鳳くんが自分で飲む為に買ったんじゃなく、私の為に買ってきてくれたのだとわかった。
だけど私は受け取らないで、出来るだけそっけない口調で突っぱねた。


「……ごめん、もう飲み物買ったの」
「そっか」


鳳くんは特に気分を害した様子も見せずに缶を持った手を引っ込めて、自然な動作で私の隣に片膝を立てて座り込んだ。
昼休みの中庭、私たちが座っている芝生は元々日当たりがいいおかげでそれ程寒くはないけれど、季節柄決して暖かいとも言えない。
校舎から微かに昼の校内放送が聞こえて来る中、私は黙々と昼ご飯のサンドウィッチを片付ける。
鳳くんは特に何か話しかけてくることもなく、自分用に買ったらしいスポーツドリンクを飲んでいた。
以前から鳳くんといる時に感じていた、馴染みの深い、静かで落ち着いた空気を感じる。
でもそれは、今はもう、私にとっては息苦しさを感じさせるものでしかなくて。
さっさと食べ終えてこの場を離れてしまおうと、器械的にサンドウィッチを口に運ぶ。
噛んでは飲み込み、噛んではまた飲み込む。我ながら美味しく出来たと思っていた自作のサンドウィッチは、まるで砂でも噛んでいるかのように味を感じなかった。
ランチボックスの中身がやっと1/3ほど減った時、鳳くんが口を開いた。


さん。あのさ」
「―――何?」
「今度の日曜日なんだけど、うちの部、練習試合があるんだ」
「……ふぅん」
「それで、もし良かったら前みたいに観に来て欲しいなと思って」
「…………」


……鳳くんがテニスをしているのを観るのは好きだった。
黄色いテニスボールを追いかける真剣な眼差しや、ポイントを決めた時に見せる嬉しそうな笑顔がとても、本当にすごく、好きだった。
応援している時、偶然目があったりすると、笑ってガッツポーズしてくれたりして。
そんなささやかな、ちょっとした表情や出来事を、とても大事な宝物みたいに思っていた。
友達としてしか見てもらえていないのはわかっていたけど、それでも。
あの頃は、一緒にいられるだけで幸せだった。





「長太郎くーん!」


私が口を開きかけた時、聞き慣れた明るい声が響いて。
弾かれたように顔を上げた私の視界に、手を振りながら走ってくる人影が映った。
鮮やかな笑顔の中の大きな目が、私を見つけて更に大きく見開かれる。


「あれ?どうしたの、長太郎君が誘ったの?」
「いえ、さんがお昼を食べてるところに、俺がお邪魔したんです」
「そうなんだ。まだお昼食べかけなら、も一緒に学食行って食べない?」
「悪いけどやめとく。もう食べ終わるし、この後図書室行きたいんだ」
「そう?」


残念そうに曇らせた顔を見ながら、私は出来る限りの力を振り絞って、精一杯明るい笑顔を作った。


「って言うか、お姉ちゃんたちのラブラブな空気にあてられながらご飯食べるのは勘弁って感じ?」
「なっ、何言ってんのっ!」
「こんなとこで照れてないで、早いとこ行かないとお昼休み終わっちゃうよ」


瞬く間に真っ赤になったお姉ちゃんにからかうような台詞を投げかけながら、立ち上がった鳳くんにちらりと視線を送ると、思い切り目があった。
咄嗟に視線を逸らしてから、無理やり作った笑顔をもう一度お姉ちゃんに向ける。


「お姉ちゃんはいいけど、鳳くんは学食でお昼買うんでしょう?その時間も考えてあげなよね」
「わ、わかってるもん!」
「わかってるならさっさといってらっしゃい。じゃあ鳳くん、また」
「うん。……あ、さっきの話だけど」


鳳くんが続きを口にするより早く、私は首を横に振った。


「ごめんなさい、日曜日はもう用事が入ってるの」
「……ああ、そうなんだ」
「だから、応援は私の分までお姉ちゃんにしてもらって」
「……わかった。ごめん、無理言っちゃって」


そう言って笑った鳳くんの表情は、どこか淋しげだった。
じゃあね、と手を振ってお姉ちゃんが歩き出す。
その後に続こうとした鳳くんは、ふと思い出したように私の方を振り返ると、さっきのミルクティーをランチボックスの横に置いた。


「……あの」
「何か押し付けるみたいで悪いけど、良かったら飲んで。いらなかったら捨てちゃっていいからさ」
「……ありがと」


呟くような声でお礼を言うと、鳳くんはこちらこそ、と笑って、お姉ちゃんの後を追いかけていった。
二人の姿が交友棟の中へ消えてから、鳳くんの置いていったミルクティーの缶を手に取る。
まだ十分に熱を残すそれのプルトップを開けて、そっと口をつけた。
甘すぎるミルクティーがゆっくりと喉を滑り落ちた瞬間、唐突に視界がぼやける。
それがミルクティーから立ち昇る湯気の所為ではないことは、頬を伝うものの感触でわかった。





優しくしないで。
好きになってくれないなら突き放してくれた方がいい。
嘘でもいいから、嫌いだって言ってくれたら。
そしたらきっと。


この想いを断ち切れそうな気がするのに。











どうしようもない恋の御題 『08. 囚われたままです』
C・Ohtori   050913 UP