願わくば。 どうか、このまま。 コンコン、と窓を叩く音がした。 椅子から立ち上がるのと同時に、窓を開ける軽やかな音がして。 カーテンが揺れ、華奢な人影が室内に飛び込んできた。 「れーんーじーにーいー!まだ起きてる?」 「……。部屋に来る時は窓からではなくドアから来てくれ」 「めんどくさいからヤーダ」 一歳下の隣家の幼馴染は、俺の言葉に小さく舌を出してベッドの上にころりと転がった。 特に何を話すでもなく、ベッドの脇にある本棚から文庫本を一冊引き抜いてページを捲り始める。 その様子を見ながら、俺は一度は離れた椅子に再び腰を下ろすと、机の上のノートパソコンに向き直って集計途中だったデータと向かい合った。 5分程は静かに文庫に目を通していたが、程なくして飽きたらしく、はベッドの上で身体の向きを変えると、目いっぱい腕を伸ばして俺の座っている椅子を揺らし始めた。 構ってもらいたがりの小さな子供が、何とか自分の方へ注意を向けさせようとするように。 伸ばした手で肘掛け部分を掴み、キャスター付きの椅子を執拗に左右に振り回す。 その子供じみた行動はしばらく続き、一向にやめる気配がないを見て取った俺は、仕方なくデータを保存してパソコンの電源を落とした。 それを見ていたは満足げに笑った。 その笑顔も行動同様、実際の年よりも遥かに彼女を幼く見せる。 そんなの枕元に腰掛けると、小さな手が伸びてきて、細く華奢な指が俺の指を絡め取り、きゅっと握り締めた。 「何だ?」 「んー……」 困ったように視線を逸らしながら、絡めた指に一層力を込める。 物心つく前から実の兄妹同様に過ごしてきた幼馴染、行動パターンはある程度理解している。 こんなふうに甘えてくるのは、俺に何か愚痴りたいことなどがある時だ。 指は繋いだまま、俺は空いているもう一方の手で目に掛かったの前髪を梳いてやった。 「それで?何があった?」 「いつも思うけど、蓮二兄ってまるで私の心が読めるみたいだよね」 「心は読めないが、行動パターンで考えていることは大抵わかるな」 「……それって私が単純ってこと?」 「いや、付き合いの長さ故だな。が単純だと言う意見については否やはないが」 からかうように付け加えた言葉にが少し拗ねたように唇を尖らせた。 前髪を梳いていた指でその唇をつねると、はくすぐったそうに少し笑って、そして不意にその表情を歪ませた。 大きな目に涙が浮かんで、それを隠すようには枕に顔を伏せてしまった。 「どうした?」 「ごめ……」 顔を伏せている所為でくぐもって聞こえる声に啜り泣きが混じった。 華奢な肩を震わせて泣くを落ち着かせようと、ゆっくりと何度も髪を撫でてやる。 枕に伏せたまま、はか細い消え入りそうな声で短い一言を発した。 「―――先輩、彼女出来たって……」 「……そうか」 その先輩とやらはすぐに思い出せた。かなり以前から相談されていたの片想いの相手。 下手な慰めの言葉は言わず、静かに泣き続け、時折しゃくり上げるの髪を何度も撫でた。 ―――どのくらいの時間が経ったかはわからないが。 啜り泣く声は徐々に小さくなり、気付けば小さな寝息に変わっていた。 起こさないように細心の注意を払いながら、うつ伏せたままだった身体を仰向ける。 涙の跡が残る頬をそっと撫でてからベッドから離れようとして、もう片方の手をずっと繋いだままだったことに思い至った。絡めたままの指はしっかりと俺の手を捕らえて揺るがない。 例えば。 長年抱いてきた想いを告げたならば、兄として慕ってくるこの手は俺から離れていくだろうか。 兄として慕われている故に、こうも容易く委ねられているものだとわかっていても、自分からこの手を、指を、振り解く気にはどうしてもなれない。 繋がれたままの華奢な指先にそっと口付けて、俺は静かに不甲斐ない自分を嘲った。 どうしようもない恋の御題 『02. 振り切ることの出来ない手』 R・Yanagi 050920 UP |