どうして君を好きだなんて思ってしまったんだろう。






ポケットの中の携帯がメールの着信を知らせて軽快に鳴った。
連れの女の子にちょっとごめんねと笑って引っ張り出した携帯を開く。
送ってきた相手だけ確認して返信は後にするつもりが、液晶に浮かんだ名前を見て、即返信メールを打つ。
連れの子は不満そうにこっちを見てるけど、そんなことどうでもよかった。
返信してから数分、同じ着信音が響くまで携帯を手に握ったまま、俺は半分うわの空で連れの子の話に適当に相槌を打ち。
次のメールの時は断ることすらしないで携帯を開いて、返信して、それから席を立った。


「ごめん、俺帰るわ」
「えー?何よいきなり!」
「うん、ちょっと急用。ごめんね」
「何それぇ、今日は一日付き合ってくれる約束だったでしょ!帰るって言うならもう誘わないから!」
「別にいいよ。じゃーね、バイバイ」


ちょっと!とか何とかキンキンと耳障りな声を張り上げてるその子を、もう振り返ることもしないで。
俺はまだ口をつけてなかったカフェ・ラ・テのカップを片手にコーヒーショップを出て、曇り空の下を目的地に向かって走り出した。










家を出た時はどんよりと曇っていた空は、今はすっかり夜の色に染まっていて。
冷たい空気を吸い込むと少し胸が痛んでキンと頭が冴える。
駆け足で向かったのは、街中にある割には広くて静かで、レトロなデザインの街灯やベンチがイイ感じにムーディーな、如何にもカップル向けの公園。
俺自身、何度か女の子連れで来たこともあるそこで、少し早いクリスマスデコレーションの前に一人ぼっちでぽつんと立っている子がいた。
チカチカ瞬く電飾に照らし出されてるのは、明るい公園の雰囲気に似合わない苦い顔。
まだ十分に熱を残すコーヒーのカップを握り締めて、俺は俯きがちのその子に声を掛けた。


「―――おっ嬢さーん♪一人?よかったらコーヒーでも飲みませんか〜?」
「いえ、人を待ってるん……って、千石だし……」


俺だと気付いた瞬間、泣き出しそうだった表情が少しだけ明るくなる。
でもその表情はほんの数秒で消えて、また浮かない表情に逆戻りした。
その表情の変化を前に、俺は小さく息をついてから、手に持っていたものの存在を思い出して。


ちゃん、とりあえずはいコレ」
「え?」
「コーヒーでも飲みませんか〜って言ったじゃん?」

そう言って差し出したカフェ・ラ・テのカップに一瞬目を丸くしてから、彼女は微かに声を上げて、今度は笑った。


「さすが千石、用意周到だ」
「そりゃーちゃんの為ならね!」
「女の子の為ならの間違いじゃないの?」
「何を仰るお嬢さん。ちゃんに呼ばれたら何をおいても駆けつけちゃうよ〜俺!例え他の女の子とのデート中であろうとも!」
「ええ?それはさすがにないでしょ。て言うかそんなんしたら千石フラレちゃうよ」
「なんの、君の為ならば彼女の一人や二人!」


それは俺の本音中の本音。だけど。
いつもと同じ軽い調子で思いっきり冗談めかして口にする。
本心からの言葉だとは気付かれないように、彼女に余計な心労を与えないように。
その努力は無事功を奏して、ちゃんはアハハ、とさっきよりもっと声を上げて笑った。


「ありがと」
「どーいたしましてー♪……ちょっとは元気出た?」
「……うん。ごめんね、いっつも」
「気にしない気にしない。もっと頼ってくれていいんだよ、友達なんだからさ」
「十分頼りにしてますって。だけど、千石には甘えてばっかりで申し訳ないなぁ、ホント……」


溜息混じりのその言葉に、俺としてはもっと甘えて欲しいくらい、と返そうとして、やめた。
どんなに冗談を装っても、本当の気持ちが透けて見えてしまいそうな、そんな気がしたから。
何か別の話題を振ろうかと口を開きかけた時、ポケットの中の携帯がまた着信を知らせて鳴った。
メールを開くと、そこには飽きるほど見慣れた名前と短い一文が並んでいた。


『いきなりで悪い、フォロー頼まれてくんない?またケンカしちゃってさ』


何のフォローかとか全然書いてないけど、送信者の名前だけでわかってしまう。
俺の友達(いわゆる悪友ってヤツ)で、ちゃんにとってはついさっき喧嘩別れしたばかりの彼氏。
思わず溜息をついたら、カフェ・ラ・テのカップに口をつけていたちゃんが、ふっとこっちを見上げて不思議そうに首を傾げた。
何でもないよと言うように笑ってみせてから、俺は手早く返信文を打つ。


『連絡が遅いよ、ちゃん泣いてんぞ!あと15分以内に○○公園のディスプレイ前。来なかったらあのテこのテで口説いて俺のモノにしちゃうかんね!』


送信して2分足らずで帰ってきたメールはものすんごい簡潔で、それでもって、ああ慌ててやんのって思わず笑いたくなっちゃう内容だった。


『すぐいく!!』


どこにいるんだかしんないけど、この分だとホントに15分以内に来そうだなー。
ぱたりと携帯を閉じて、俺はすぐ傍のベンチにちゃんを誘った。
温かいコーヒーに張りつめていた気持ちが解れてきたのか、ベンチに腰を下ろしたちゃんはぽつりぽつりと今日あったことを話し出した。
つまり彼氏とした喧嘩について。
ちゃんにとってもアイツにとっても、俺は何だかとっても頼れる相談相手であるらしく、こんなふうに二人の間に立つことはしょっちゅうだったりする。


「……で、もう知らないって、お店出てきちゃったの……」
「うーん、それはちゃんが怒る気持ちもわかるなー」
「そう?」
「うん。でもホラアイツはさ、俺なんかと違ってそういうの苦手じゃん?そこんとこはわかってやってよ」
「そう……だよね。私もワガママだったよね」
「でもそのくらいのワガママは可愛いもんだよ!そんなになるまで突っぱねたアイツも悪い」
「かなぁ」
「うん。まぁ、それについてはあとで俺からもがつんと言っとくからさ。これ以上こじれたくないなら、今回はちゃんから謝っちゃいなよ。そしたら少しはすっきりするんじゃない?」
「すっきり……うん、そうだね。ありがと、千石」


包むようにカップを持つ両手を唇に寄せて、ちゃんはふわりと微笑む。
その笑顔は、俺にはクリスマスデコレーションのカラフルなライトアップよりも鮮やかに見えた。
他のどんな女の子も、きっとこんなに綺麗に笑わない。
そんなふうに思うくらいちゃんの笑顔は綺麗で愛しくて、俺は腕を伸ばして抱きしめたくなる気持ちをぐっと堪えて笑い返して、ちらりと腕時計に視線を走らせた。
約束の時間は迫っている。
別にホントに15分以内で来なかったとしても、ちゃん口説く気なんかさらさらないんだけどさ。
口説いたってなびいてくれないのなんかわかりきってるし、アイツがちゃんのこと、ちゃんと大事にしてんのだって知ってるから。
喧嘩するほど仲がイイって言う、まさにそんな言葉がぴったりの二人をずっと見てきた。
結構派手な喧嘩を何度もして、でも何やかや言いながらも別れるって選択肢を口にしたことは一度もない二人を知ってるから、俺は今も目の前の華奢な身体を抱きしめたくて震えてる腕を必死に止める。





ちゃんのことが、ホントのホントに好きだけど。
でも同じくらいアイツのことも大事なんだよ、俺。
二人が一緒にいるとこ見てんのも好きなんだよ。





ふと視線をあげた時、少し光量を抑えた電灯の下、走ってくる見覚えのある人影が見えた。
腕時計の針が示すのは約束の時間の一分前。
まだ気付かずにぼんやりとコーヒーに口をつけてるちゃんの肩を軽く叩いて、走ってくるアイツのことを指差して教えたら、ちゃんはぱぁっと顔を紅潮させて立ち上がった。
その顔は、さっきの笑顔よりもっと綺麗で、そして可愛かった。
半分くらい中身の残るカフェ・ラ・テのカップを受け取りながら、俺はそっと小さな背中を押す。
死にそうな顔して走ってくるアイツの方に。
驚いて振り返ったちゃんは、もう一度ふんわり微笑んで。


「ありがと!」


そう言ってあいつに向かって駆け出した。





今、胸が痛むのは、吸い込んだ冷たい空気の所為じゃなく。
一口すすったカフェ・ラ・テが、その痛みを和らげてくれることはなく。
だけど、大分温くなってたほろ苦いその飲み物は、薄明かりの下で並んで手を振る二人に笑い返す力くらいは俺に与えてくれた。





どうして君を好きだなんて思ってしまったんだろう。
友達の枠を越えて、バカみたいに必死に君を想っても、叶わないってわかりきってるのに。


それでも俺は、きっと、ただ君を好きでいる。











どうしようもない恋の御題 『07. ただ好きと言うだけのこと』
K・Sengoku   051127 UP