前触れなく現れての第一声。


ーおなかすいたー」


……数週間ぶりに会う恋人に、最初に言う言葉がそれですか。





どがっしゃん、とわざと大きな音をたててコンロにケトルを据えて、背後でジローが何かごそごそやってる、その音をBGMにインスタントコーヒーの瓶の蓋を捻る。
窓の外はまだ明るくて、すぐ近くの小学校から部活だろうか、子供たちの歓声が聞こえてくる。
冬休みに入ったばかりと言うのに元気で結構なことだ。
ふう、と息をついた時、いつの間にかやんでいたごそごそと言う音に変わって、背後でぼすん、と少し重い音がした。
ケトルからちょっと目を離して後ろをちらりと振り返る。
ついさっきまでは確かに起きていたはずの恋人は、とりあえず腹の足しにと与えたお菓子の袋を手に握り締めたまま、ロータイプソファの上に仰向けに転がっていた。
さっきの『ぼすん』は寝転がった音だったか……。


「……うち来てまだ10分と経ってないってのに……」


溜息混じりの自分の声にも、ジローが起きる気配はない。
もう一つ溜息をついてから、沸騰し始めたケトルを火から下ろして自分の分のコーヒーと、眠る大きな子供の為にすぐには冷めないくらい熱くて甘いミルクココアを用意して。
二つのマグカップを手に、気持ち良さげな寝息を立てるジローの傍にそっと腰を下ろした。
ほっとくと抱き潰してしまいそうなので、持ったままだったお菓子の袋をそっとその手から取り上げる。
やっぱり目を覚ましそうにないジローにブランケット代わりにストールを引っ掛けると、小さな唸り声をあげてころんと身体の向きが変わった。
反対側を向いていた顔がこっちを向く。
金色の柔らかい髪がふわふわ揺れて、カーテン越しに差し込む西日を反射してキラキラ光る。
起きていても半分以上寝てるか、やたらハイテンションでうるさいかどっちかの、この年下の恋人の寝顔は凶悪なほどに可愛い。
天使の寝顔ってこういうのを言うんじゃないかしら。


「……ジロー。ココア冷めるよー?」
「ぐー」
「……ホントよく寝るね」
「くー」
「…………」


返って来るのは寝息ばかり。
でもその寝顔を見ているうちに、ここ数週間ほっとかれていた怒りも、うちに来て速攻夢の国にダイブインされちゃった怒りも、スーッと溶けるように消えてしまった。
部活と期末テストで疲れてるんだろうしなぁ……仕方ないか。
ああ、でもテストの結果だけはきちんと跡部君辺りに確認とっておかないとな。
ほっとくと赤点取っても勉強せずに追試に臨んだりしそうだし……。


そんな私の心配をよそに、ジローは相変わらず幸せそうに眠っている。
気持ち良さげに寝息を立てている彼の前髪をそっと指で掬い上げると、むにゃむにゃとくすぐったそうに微かな声を上げて身動ぎしたジローが、夢でも見ているのか不意にふにゃりとその表情を崩した。
緩く開いた唇から漏れた舌っ足らずな寝言。


「……〜……ご飯ん〜……」


……夢の中でまで食べ物の催促か。
ちょっとムカッとしながらも、憎みきれないその寝顔の頬を軽く抓った。
ふにゃっとくすぐったそうに笑うその顔から目を離して、夕飯を作る為再びキッチンに向かおうとジローに背を向けた時。


ー……すきー、ー……」
「…………」


思わず振り返った私の視線の先で、傍にあったクッションを引き寄せて抱きしめたジローがふにゃあと笑ってころりと一つ寝返りをうった。
……寝言……。
不意打ちの攻撃に思わず脱力した私に気付くはずもなく、ジローは幸せそうに寝息を立て続ける。
変わらない天使の寝顔で。
私はその様子を見て大きく息を吐き出してから、再びシンクに向き直った。
抑えきれず口元に浮かぶ笑みを自覚しながら。











「愛しいと思う」御題 『04. 寝返りをうつ気配』
J・Akutagawa   051231 UP