夕暮れに染まる門柱を背景に立つ影の形だけで、その人が誰なのかなんてすぐにわかった。


「あっ景吾だ。何してんのけいごー」
「……年上は敬えと何度言ったらわかるんだテメェは。景吾様と呼べ阿呆」
「ヤダよ。つーかマジで何してんの、中等部の校舎まで来るなんて珍しいじゃん」


その上珍しく一人(お付の樺地君がいない)。
三つ歳上の従兄はちっと軽く舌打ちして私を睨むと、自分のコートの襟元からするりとマフラーを引き抜いて私の首に巻いてくれた。
頬をくすぐるカシミアの柔らかい感触に目を細めると、マフラーから離した手で頬を軽く叩かれた。


「マフラーぐらいしろ。馬鹿は風邪ひかねぇからって油断してんじゃねぇよ」
「今朝コーヒー零しちゃったの。それからさりげなく人を馬鹿扱いしないでくんない?」
「ったく何やってんだ、馬鹿」


こっちの言うことが聞こえてない訳ないのに、『馬鹿』を連発する景吾の背中を悔し紛れに手にした学生カバンで引っ叩いたら、頭上でさっきよりも大きな舌打ちが聞こえた。
景吾の性格を知っている人なら確実に、知らない人でも思わずビクつきそうな反応だったけど、私はそのまま不機嫌さを隠しもしない従兄の隣に並んだ。
景吾もそれ以上何も言わずに歩き出す。
この年上の従兄は横暴そうに見えるけど、昔から私には優しいのだ。
そりゃあ限度はあったけど、カバンで引っ叩く程度は『子供のじゃれ合い』に分類されるから、本気で怒られたりすることはない。


「今日樺地君は?」
「もう帰った」
「ふーん……んで、なんで中等部まで出張してきたの?私の顔でも見に来た?」
「何か文句あんのか」
「えええ!?マジで!?」
「嘘に決まってんだろ、バーカ。榊監督に用事だ、今日は中等部の方の指導日だったんでな」
「あーびっくりした」


わざとらしく肩を竦めた私の額をこつんと小突いて景吾が笑う。
その手を捕まえたら景吾は一瞬目を丸くして、でも振り解いたりはしないで、そのまま指に力を入れて私の手を握り締めた。


「景吾と手を繋いで帰るのなんて久しぶりだー」
「当たり前だろ、もうガキじゃねぇんだからよ」
「彼女とは手ぇ繋いで帰ったりしないの?」
「する訳ねぇだろ、めんどくせぇ。つーか今は女いねぇ」
「あー。そういやまた別れたんだってね、こないだまで付き合ってたの、飯田先輩だっけ」


話の流れで何となく口にした台詞に、景吾が僅かに眉間にしわを寄せた。


「……何で知ってんだ」
「氷帝にいて景吾の情報入ってこないことないし」
「お前は中等部だろうが」
「学部関係なく景吾有名人だもん。しかも今回フった飯田先輩だって高等部の今年の準ミスじゃん、景吾に負けないくらい校内じゃ有名人だよ」
「初耳だな」
「なんだそれ。綺麗な人だから付き合ったんじゃないのー?」
「興味ねぇな。ヤるだけの女の顔なんかいちいち気にしてねぇんだよ」
「うっぎゃーサイテイ!!純真な中学生に向かってなんてこと言うのさバカ景吾!!」


勢いに任せてもう一度振り上げたカバンを、今度は身軽に避けて。
小バカにしたようにふふんと鼻で笑って、繋いでるのとは反対の手で私の頭を乱暴に撫でる。


「この程度で喚くなよ、ガキ」
「うっさい!サイテイ男!!」
「その最低男に昔から懐いてくっついて回ってんのはどこの誰だ、アーン?」
「うー……」
「フン」


言い返せない私の頭をもう一回ぐりぐり撫でて、景吾は勝ち誇ったように軽く顎を逸らした。
悔しいけど、景吾の後ろをくっついて回ってるのは事実だから言い返せない。
親族内でも見事な俺様っぷりを発揮しているこの従兄は、何故か昔から私には甘くて。
偉そうな態度の端々に見え隠れする優しさが嬉しくて、景吾の傍にばかりくっついていた。



――――――私にだけ向けられるその『特別』な『優しさ』を、素直に喜べなくなったのは最近のこと。



「景吾はさぁ……」
「あん?」


繋いだ手を軽く引っ張って名前を呼ぶ。
いつもよりゆったりと歩く速度を更に緩めて、景吾が私を見下ろす。
鋭い眼差しは、私に向けられる時だけ少し和む。
それは『妹』を見る眼差し。


「マジで好きになった子とか、いないの?」
「なんだ、いきなり」
「景吾がマジで恋愛したらどうなんのかなぁ」
「あぁ?」
「すっごいのめり込んで、私のことなんかほったらかしになりそーだなー」
「話が飛び過ぎだ。訳わからねぇこと言ってんじゃねぇよ」
「……んだってさー……」



心底面倒くさいって顔して、ちょっと乱暴に私の手を引っ張る。
たたらを踏んで前につんのめった私の身体を自分の身体をぶつけるようにして止めて、痛いくらいに力を込めて私の髪をぐしゃぐしゃと引っかき回した。


「痛い痛い痛い!」
「わかりにくいんだよ。甘えたいならもっと素直にやれ」
「別にそーゆんじゃないもんー!」
「―――万が一、そういう女が出来たとしても、だ」


ふと、口調が改まって。
頭を撫でていた力が弱まって、ぐしゃぐしゃに撫で回された所為で絡まってしまった髪を神経質そうな長い指が、ゆっくり、優しく、梳き下ろした。


「それで俺がお前のことを放ったらかしにすると本当に思ってんのか?」
「…………思ってないよ」
「わかってるじゃねぇか。何があろうとお前のことを蔑ろにしたりしねぇから、安心しな」
「景吾、シスコンだもんね」
「……その言い方はやめろ」


女一人の為に周りを見れなくなるほど俺のキャパシティは狭くねぇんだよ、と偉そうに言って。
景吾はしっかり私の手を掴んだまま、家まで送ってくれた。





家の門のところで、帰って行く景吾を見送って。
その背中が角を曲がって見えなくなったところで、首に巻いたままのマフラーの存在を思い出した。
口元まで覆うように引っ張り上げたら、やわらかい感触と一緒に景吾が愛用している香水がほのかに香って、何だか泣きたい気持ちになった。





今の距離に満足出来ないくせに、今のままでいられなくなるのは怖くて。
子供扱いしないで欲しいと思いながら、頭を撫でてくれる手のひらを心地よく感じている。
誰かに独占される彼など見たくないと思う心で、独り占めしたいと願ってしまう。


矛盾だらけのこのココロ。











どうしようもない恋の御題 『03. 貴方に何を求めるんだろう』
K・Atobe   060113 UP