最後はちゃんとハッピーエンドなの。

まるで、お伽話みたいにね。
















Fairy Story -5-











部屋に散乱した服を片付けて、バッグの中身を確認する。
ふと姿見に映った自分の姿を見て、さっき片付けた服を思い起こす。
下はジーンズでいいよね、ディズニーシーだもんね、スカートだと気になってアトラクション楽しめないし……でも上はやっぱりあっちのカットソーの方がよかったかな。
ベッドの枕元にあるデジタル時計は8時40分を指している。
上だけなら着替える時間は十分あるよね……?
やっぱり着替えよう、と一旦は片付けた服を取り出す為クロゼットに手をかけた時、呼び鈴が鳴った。


「え?やだ、嘘、もう来ちゃったの!?」


開けかけたクロゼットを慌てて閉めて、バッグとジャケットを掴んで玄関に走る。
用意してあったヒール低めのミュールに爪先を突っ込みながら、締めてあった鍵に指をかけた、その瞬間。


「……?」


予想していたのと違うその声に、ぴたりと手が止まった。
浮き立っていた気持ちが一気に暗く沈んでいく感覚に、きゅっと唇を噛みしめる。
―――どうして。
よりにもよって、こんな日の、こんな時に。
狙い済ましたみたいに、貴方が来るの……?


、いるんだろ?」
「……っ」


呼び掛ける声に身体が竦む。
鍵を開けようとしていた手がそのままドアにぶつかって、微かな金属音を響かせた。
その音を聞いて勢いづいたように、彼の声がドアの向こうで一際大きく響いた。


!ちゃんと話がしたいんだ、入れてくれないか」
「……嫌よ」


喉の奥から無理やり絞り出した声は、掠れてドアの向こうに届いたかも怪しい。
薄暗い玄関先で一人、何度も首を横に振る私の姿はひどく滑稽に見えるのだろうと、混乱している頭の片隅でぼんやり思った。
胸を締めつける嫌な息苦しさに、何度も何度も息を飲み込んで。
その間も、ドアの向こうで彼は言葉を発し続けていた。


「頼むよ。メールや電話じゃ埒があかないから、こうして来たんじゃないか」
「……何度も言ったでしょ、私はもう貴方と話すことなんか何もないの」
「俺にはあるよ」
「帰って」
!」
「帰ってったら……!」


必死に張り上げた声も身体も、情けないくらい震えていた。
その場にしゃがみこんで、尚も名前を呼び続ける彼の声から必死に耳を塞いだ。
彼の声は嫌な自分を思い出させる。
彼を失った哀しみを忘れたくて、感情の赴くままに動いた自分の愚かさを思い出してしまう。


もう、どうしたってこの声も、声の主も、愛しくなんか思えない。
どんなに図々しいと思われても、例えば私の独りよがりな想いだとしても。
今、私が、何よりも誰よりも、愛しいと思うのは。
愛しているのは。






っ……」
「―――おい」


塞いでも塞いでも指の隙間から聞こえてきてしまう彼の声を、唐突に聞こえたもうひとつの声が遮った。
涙に濡れた顔をあげた私の耳に、その声はさっきよりももっとはっきりと、ドア越しとは思えないほど明瞭に聞こえた。


「邪魔や、どけ」
「な……」
「―――!」


その声に名前を呼ばれた瞬間、弾かれたようにドアに飛びついて鍵を開けて。
夢中で腕を伸ばして、開いたドアのすぐ外にいた小柄な人影に抱きついた。
迷いも躊躇いも感じなかった。


「シマっ……!」
「……ったく、情けないツラしよって」


短く、軽い口調でシマは呟いて、噛み付くようなキスをくれた。
そこに彼がいることなんか、もうどうでもよくて。
声も吐息も一欠片も残さず奪いつくすようなそのキスに応えることだけで、頭をいっぱいにして。
どのくらい、そうしていたんだろう。
やがてゆっくりと唇をはずしたシマは、私を抱きしめる腕はそのままで、呆然としている彼に向かって、睨まれた相手が一瞬で凍りつきそうな一瞥を投げつけた。


「―――次にこいつの前に顔見せたら、殺すで」
「……!」
「人の女にしつこく手ェ出すな、このボケが。わかったらさっさと去ねや、いてまうぞ」


地を這うような低く抑えた声の恫喝。
その声の迫力に気圧されたように立ち尽くす彼をそれきり放って、シマは私を自分の身体ごと中途半端に開いたままだったドアの奥へ押し込む。
軋んだ音を立ててドアが閉まる瞬間、シマの肩越しに走り去る彼の後姿が見えた。











後ろ手に器用に鍵を閉めながら、シマは再び私の唇を塞いだ。
反射的に仰け反った私の背中を支える手のひらも、重ねられた唇も、嫌に熱くて。
その熱に浮かされるように思考がまとまらなくなってゆく。


「んっ……」


やっと唇が離れたと思ったら、次の瞬間にはまるで荷物か何かのように、その広い肩の上に担ぎ上げられていた。


「ちょっ、シマっ、自分で歩けるっ」
「聞こえへんな」
「待ってちょっと……きゃあっ」


ほとんど放り出されるようにベッドの上に降ろされて、肘を突っ張って辛うじて上半身を起こしたところに、シマが圧し掛かる。
鼻先が触れ合うほど間近から、シマの瞳が鋭い光を浮かべて私を睨みつけた。


「―――あんだけ自分で何とかするとか言うといて、あの様は何やねん」
「……ごめん……」
「謝ってほしい訳とちゃうわ……!」


怒気を内包した低い声が途切れて、小さなため息の後、吐き出すようにシマが言った。




「―――お前にとって、俺はいったい何なんや」




私にとっての、シマ?
そんなこと訊かれるとは思っていなくて、完全に面食らった私の目の前でシマはベッドの上に崩れ落ちるように横倒しになった。
仰向けに転がって目元を腕で覆って。
大きな溜息と共に吐き出した声は、苦々しさに満ちていた。


「……便利な道具か。ヤリたい時だけ傍におったらええだけの男か」
「そんなこと……」
「せやったら、何でなんもかんも一人で片付けようとすんねん。そんなに俺は頼りないんか」
「ちがう……違うよ!」
「阿呆みたいやないか、俺一人でジタバタして……情けのうてやっとれんわ」


はぁっ、と大きな溜息。
目元を覆った腕は微動だにしない。
ぐっと引き結ばれた唇は、それ以上は何も語ろうとしない。


……ねぇ、私、自惚れてもいいのかな。
今のシマの言葉をそのまま受け止めて、自惚れてしまってもいいの……?


腕を伸ばして、そっとシマの腕に触れた。
微かな反応が返ったけれど、まだその腕はシマの表情の大部分を隠したまま。
仕方なく、その腕に触れたまま、私はゆっくりと口を開いた。


―――彼とのことは、自分できちんと解決したかったこと。
―――あの日、シマに甘えて縋ったことを後悔していたから、これ以上甘えたくないと思っていたこと。
―――自分の力でケリをつけられたら、シマに対する負い目が少しでも消えるんじゃないかと思ったこと。
―――そうしたら、自分の気持ちを、自信を持って言えると思ったこと。


ぽつり、ぽつりと。
拙い言葉で一つ一つを説明している間中、シマは何も言わずじっとしていた。
私が話し終わってからも、少しの間、シマは黙ったままで。
沈黙を息苦しさに感じ始めたころ、消え入るような声で私の名前を呼んだ。




「―――
「……何……?」


シマの表情を隠していた腕が横に投げ出されて。
さっきまでの鋭さが消えた、怖いくらい静かな眼差しが、じっといるように私を見た。
投げ出されていた腕が持ち上がって、そっと私の頬をなでて、そして。


ぱちん、と私の頬の上で軽い音が弾けた。


「―――シマ」
「……この、ど阿呆が」
「…………」
「勝手に一人であーだこーだ考えすぎなんや、お前は!!」
「だ、だって……!」


言いかけた言葉は、勢いよく起き上がったシマによって遮られた。
今日、三度目のキスは、今までで一番短く、掠るように触れただけですぐ離れて。
さっきまでの静謐な表情が嘘のように、いつもの表情に戻ったシマが、大きな拳をぐりぐりと私のこめかみに押し付ける。
容赦のないその力の込め方に、思わず悲鳴を上げた。


「いっ……いたーいっ!」
「相応の罰や!ったく、一人で勝手に悩みまくって勝手に自己完結しよってからにっ!」
「やーっイタイイタイ痛いっ」
「あーアホくさ!何でこんなドアホの為にあないグルグル悩んどったんやろー」


その言葉と同時に拳が離れて、大きな手のひらが私の両頬をしっかりと包み込んだ。
真正面からシマが私の目を覗き込む。
真っ直ぐ、心の奥まで覗き込んでくるような眼差しに、小さくこくりと喉が鳴った。




「ちゅーかお前、さっき俺があのアホ男に言うた台詞、ちゃんと聞いとらんかったんか?」
「さっき、って」
「言うとくけどな、俺は好きでもない女何度も抱けるほど暇やないねん」
「…………」
「ついでに言えば、好きでも何でもない女を甘やかしてやるほど、優しい男でもないで」
「…………うん」
「自分の女やったら話は別やけどな!」


そう言ってにっと笑ったシマの両手が、ぱちんと私の頬を叩いた。
たいして痛くもない平手を食らうのと同時に、涙が一筋、頬を伝って。
思わず目を閉じた私の目の下に、やわらかいものが押し付けられた。
温かなそれが、涙の筋をすっとなぞって。
そのままゆっくりと唇が移動して、今日四度目のキスをしながら、シマは私の身体をベッドの上に横たえた。
瞼、目尻、耳朶、頬と、ゆっくりと唇を這わせるシマの背中に腕を回しながら、ふと思いついて、私は疑問符を口にする。


「―――ひとつ、訊いていい?」
「なんや」
「ディズニーシーは、どうするの?」
「んなもん延期に決まってるやんか」
「楽しみにしてたのに」
「誰の所為や、誰の」
「ふふ」


小さく笑った私を見下ろして、シマが笑い返す。


「俺も聞きたいことがあんねんけどな」
「……何?」


聞き返す私に、シマは意味ありげに笑って。


「お前の気持ちってヤツ。まだ聞いてへんのやけど」
「―――ああ」


そう言えば言ってなかった。
一番肝心な、大事な言葉。
愛撫をやめて、じっと私の言葉を待ってくれているシマの背中に回した腕に力を込めて。
額がくっつくほど顔を近づけてから、私は精一杯の気持ちを込めてその言葉を囁いた。




「シマが好きよ。愛してる」


もう、他の誰かじゃ駄目なの。
貴方でなくちゃ駄目だから。
だからずっと、傍にいて。






















不完全燃焼でごめんなさい……!!
あっとっはっ、番ー外ー編ー♪(何かいろいろおかしくなってます)

05/04/28UP