No Border





日の短さに比例して早めに打ち切られた部活も終わり、身を切る寒さに凍えながらも洗濯を終えたを迎えたのは、誰もいないがらんとした部室だった。


「もー、みんなまたあそこに行ったのね…」

呆れとも、一抹の寂しさとも取れる溜め息混じりにが言う。
全員、荷物は部室に置きっぱなし。それどころか、隙間風が寒さを一艘際立たせて常に鳥肌を立てて背中を丸めているの姿を見かねた天根が拾ってきた、自動で点火しない(点けるにはマッチを使って手動でしなければならない)石油ストーブもまだ煌々と明かりと熱を留めたままだ。

「何でこんなに無用心なんだろう…」

東京で育ったには理解が出来ない。荷物も置きっぱなしなら、鍵もかけていない。
それどころか部室のある体育棟には人影すらまばらである。例えあまり入っていないだろう財布でも盗まれたりしたら大変だ。ストーブが倒れ火事になったら、この木造の古い体育棟などあっという間に全焼してしまうだろう。人間には良識が生まれながらに備わっており、この神聖な学び舎の中そんな悪いことをする人間がいる訳がない───。
そういうある種の無邪気さや純粋さが、このテニス部の連中だけでなく六角という学校には充満しているようで、「他人を見たら泥棒と思え」と教え込まれてきた都会っ子には、そう考えている自分を無意識的に責められているような、そんな微かな罪悪感や不快感を感じることもままあった。

そうした数々の価値観の相違や打ち消しがたいネガティブな気持ちが、とその他の人間の間にやや高く厚い壁を作ってしまっている。が誰かと打ち解けて話していることはないし、他の者も時折をさして「東京の子は冷めてるなぁ」と言うことさえある。それを聞いて、辛さを感じないといえば完全に嘘になる。
年相応の他愛無い話だっていろいろとしたいと思っているし、駅前の商店街への買い物にだって一緒に行きたいとも思っている。そう思って声をかけようにも、自分と周りが作ってしまった壁はなかなか簡単には乗り越えられないのだ。だけが歩み寄っても、いわば余所者に対して何かしら付き合いがたい空気をいまだ持ち続けていたら意味がないし、その逆で六角に元からいる生徒の方から声をかけて、が少しでも警戒心を見せてしまえば誘おうという気持ちなど萎えてしまうのも当たり前だ。

そうした空気は教師にも伝わったのだろう。
前の学校で入っていたバドミントン部はこの六角にはなく、転校してきて一ヶ月間帰宅部員だったを無理矢理有無を言わせずにテニス部のマネージャーにしてしまったのだ。
この六角の中でも、人一倍人懐っこくそして世話好きの面々がいる部活だ。最初はその決定に抵抗しただったが、家に早く帰ったところで行くところもなく親も共働きで留守にしている。早く帰ってくるならばと掃除や洗濯物の始末を背負わされるのも、もううんざりだ。
部活という用事でもあればそれから開放されるならばと、その決定を受け入れたのだった。

それが、半月前のこと。

状況は急展開するでもなく、相変わらずの方から積極的に接触を持とうという様子はない。しかし、校舎の中と違うのは、例えが連れない態度(と見えるけれど、ただちょっと戸惑っているだけなのが本当のところだ)をとっても、部員達は懲りもせずに何度も何度も話しかけ、やれ海に行こうだのオジイが新しく作った公園で遊ぼうだのとまるで息を吸って吐くかのようにごくごく自然と誘いをかけるのだ。
それに乗ろうとも思った。楽しそうだなとも。しかし、にはどうしてもそれを受け入れられない理由があった。

ものすごい寒がりなのだ。寒がりなだけでなく、この若い身空では悲劇的なほどに冷え性でもある。部活中はジャージを二枚履きしていてもまだまだ小さく縮まっているし、洗濯にはゴム手袋が欠かせない。そして冷え性のせいで生理も凄まじく重く、月に一度冬の海よりも暗い顔色をしたは何度か倒れ保健室に運ばれていた。一応の防寒装備がある部室でも、の歯はたまに小さくカチカチと音を鳴らしてしまう。それを近くで知っている部員達は、引っ張ってでも連れ出すのは酷だと思ってしつこく迫ることはない。

その距離感は転校したての頃のならば快適にすら感じただろう。
だが、もう転校してきてはや2ヶ月にもなる。親はのどかな土地柄を大変気に入りこの地を終の棲家だと決めてもいるようだ。自分の性格がどうであれ、この地がの実家・地元になるのならば少しでも早く馴染もうと焦ってしまう。そんな焦りの中にいるにしてみれば、距離感など壁も同じことだ。なければないに越したことはない。がどれだけ焦っていたとしても、そんなことまでお見通しではさすがになく、「どうせまた来ないだろう」という少々の諦めと若干の思い込みで、今日もまたを置いて浜に遊びに出かけてしまったのだった。


冷えた指先をストーブにかざして暖めると、じわじわと熱が広がって、白かった指にゆっくりと血の気が戻ってきた。ストーブの輻射熱が顔にも当たって熱くて痛いほど。肩には「あまり冷やすなよ」と佐伯が貸してくれたウインドブレーカーが掛かっていて、室内では過ぎるほどに暖かい。しかし、古い部室に入ってくる隙間風が部室だけでなくの心も冷やす。
みな優しい。みな暖かい。しかしそれを上手に受け取って返せない自分がどうしようもなく情けないのだ。熱で緩んだのか、涙腺が緩んで目頭が体の内側から熱くなってくる。

どうせまだ、遊びに熱中しているだろう彼らは帰って来ないだろうし、こんな状態の自分を見られたくもない。帰ろうとが立ち上がったとき、部室の立て付けの悪いドアが勢いよく開いた。

「あ、ちゃんまだいた! 良かったー、間に合って!」

息を切らせた葵の元気な大きな声だ。冷たい海風に当たっていたせいか鼻だけが赤い。

「海からね、競争して帰ってきたんだ! 一番だったら今日はいいことあるって思ってたけど、ちゃんがまだ残っててくれたんだから、こりゃ本当にラッキーだったよ!」

葵がそう言いおわる前に他の部員も次から次へと、同じく息を切らせて走りこんでくる。

「チッ、また剣太郎が一番かよー!」
「ずるいよ、剣太郎だけ手ぶらなんだから」
「…髪が乱れた」
「お前ら早すぎなのね。本当に、これ重いんだから」

そう言いながら樹が持っているのは、バケツいっぱいの岩の塊。

「…あ、お帰りなさい。え、でもそれ、今からどうするの?」
「どうするって、食べるに決まってるじゃねーか」
「これ美味いんだよー、ちゃん」
「でもこれ、岩の塊でしょ?」
「違う違う。これ、カキなんだよ。見たことない?」
「えー、これが?! カキって剥いてあるパックのやつしか見たことないもの」
「岩場にくっついてるのを剥がしてきたのねー」
「ほら、剣太郎早く準備しなよ」
「亮くんだって手伝ってよー! 机出しとくからコンロ持ってくるとかさー!」
「コンロは自分では歩いてコンロ…プッ」
「死ね」

のうっすら滲んだ目には気付かない様子で、明るく笑いながらテキパキと手馴れた様子で準備を進める。一気に賑やかになった部室は熱気が溢れ、冷たい隙間風すらも感じないようだ。
─── それはをベンチに座らせた佐伯が、に風が当たらないように少し離れた隣に座っているからなのだが。

「あ、じゃあ私用務員さんのとこ言ってお茶もらってくる」
「そんなの剣太郎に任せればいいから、は座ってなよ」
「サエさーん、ボクは部長なの! 偉いからここでみんなを見張ってなきゃいけな…ごめんなさい、バネさん! すぐ行きます!」
「剣太郎もよく働くだろ?(クスクス)」
「そ、そうねー…、アハハハ…」

ストーブのうえには既に形が変わってしまった大きな鍋が乗せられ、その中に樹がカキを丸ごと無造作に入れていく。

「今日は大漁だったのね〜」
「トコブシまで取れたもんなぁ」
「煮てオジイに持ってってあげたら喜ぶんじゃない?」
「え、これアワビじゃないの?」
「似てるけどちょっと違うのねー」
「これはこれで美味いんだよ」

コンロの上には網が置かれ、スーパーでは見たことのないような大きなハマグリがその網に乗せられた。
海の側にある六角で、ようやく嗅ぎ慣れてきた潮の香り。それを濃縮したような匂いが、コンロやストーブから漂ってくる。

「産地直送って贅沢だよね」
「そうかなー、俺たちずっとそうだったからよくわかんねえ」
「そっか、黒羽くんたちはそうなんだよね」
「それなんだけどよ」

黒羽の言葉に部員の視線が一瞬黒羽に集まり、そしてに注がれる。

「そろそろ、そうやって名字で呼ぶのやめねえか?」
「そうそう、俺はサエでも虎次郎でもいいし」
「俺はいっちゃんでいいのね」
「でも…」

下の名前で呼べと言われても、それはごく親しい間柄でしか許されていないもの。少なくともはそういう考えだ。

「俺たちだって、お前のこと『』って呼んでるだろ?」
「同じテニス部の仲間なのねー」
「それに今から同じ鍋の飯食うわけだし」
「同じ釜の飯食うオカマ…プッ」
「テメーはいい加減空気を読め!」
「木更津だと言いにくいし、前は2人いたから、亮」

有無を言わせないように帽子の下から僅かに見える目でじっと見据える木更津に、はとうとう根負けした。

「…じゃあ亮くん」
「仕方ないけど、合格だね」
「…バネさん」
「は・る!」
「…春くん」
「ホント、仕方ねーって気持ちになるな」
「じゃあ俺は?」
「サエさん」
「他の2人は名前で呼んで、俺だけそれなのはダメだよ?」
「コジコジとでも呼んでやれよ」
「それはちょっと…」
「バネはセンスないなー」
「その扇子、いいセンス」
「もうコイツだけ『天根』のままでいいぞ」
「じゃあ天根くんに…虎次郎くん」
「素直でよろしい」
「そんなのヒドイっスよ…」
「どう考えてもお前が悪いよ」
「みんな容赦ないなぁ…」
「そう思うんだったらサンだけが容赦してくれたらいいっス…」
「えーっと、ダビデ?」
もけっこう容赦ないのねー!」

いつの間にかペースに乗せられ、自分が笑顔であることに気付く。

ちゃんかー! いい名前だね。これからちゃんって呼ばせてもらうね!』

担任に付き添われて行ったテニスコートで、自己紹介をしたに真っ先にこう言ったのは葵だった。その時は勢いに押されて、少しあった抵抗心もそのまま流され、気が付けば他の部員もみなを名前で呼んでいた。ずっと昔から、このテニス部に入る前にオジイのところで一緒に遊んでいた仲間のように、ごく自然に。
親しい間柄でなければ名前で呼んではいけないのか? そんなことはないと彼らは言うだろう。「同じテニス部の仲間なんだから、親しいと思うけど?」とも言い返されてしまうかもしれない。親しさの度合いに線を引いて、距離感を作っていたのはの方。それを壊したのは、黒羽や佐伯たちだけでなく、受け入れた自身でもある。彼らはただ、大きなきっかけを作ってくれたに過ぎないのだ。

天根の呼び名で盛り上がっていた部室のドアが開き、大きな金色のヤカンを持った葵が入ってきた。

「お疲れ様、剣太郎くん」
「うん、ありがとう…って! ヒドイや、これはボクが言い出そうって決めてたのにー!」
「仕方ねえだろ、話の流れもちょうど良かったんだから」
「いつもいつも、美味しいところを持っていかれるのも嫌なのね〜」
「じゃあお前も葵のままな」
「そんなの嫌だー! え、『も』って他に誰が?」
「コイツ。何度も何度も空気冷やしてくれた罰な」
「俺は温めようと思って…」
「えー、ダビデと同じレベルなんてボク本当に嫌だよー!」
「うわ、言っちゃったよ!」
「一番ひどいのはやっぱり剣太郎なのね」
「ねえ、鍋! すごいブクブクしてるんだけど…!」
「ヤベエ、忘れてた!」

鍋の中のカキは口が開き、生のカキはあまり好きではないには丁度いいくらいに火が通っている。熱いカキの殻を皿に載せ、佐伯がそれをに渡した。

「何もかけなくていいの?」
「塩味はもう付いてるから何もいらないよ」
「殻、熱いから気をつけろよ」

プルプルの身を摘みあげて口に入れると、強い塩味と熱さの次には甘く濃厚な味。「美味しい?」と聞く佐伯にはただ何度も大きく頷いて答えるしかない。

「今度はも一緒に海行こうなー」
「暖かい日にちょうど潮が引いてくれたらいいんだけどな」
「アサリも今ならザクザク獲れるのね。うちに持って帰って家族みんなで食べるといいよ」
「オジイの畑も今大根がいっぱい生ってるし」
「甘いんだよなー、あの大根」

名前で呼び合うだけじゃない。みながを仲間の一人として見てくれている。思い出を共有して場所を共有して時間を共に過ごして、また少しずつ仲間になっていく。甘えることが許される心地良さと、年齢も性別も関係なく対等でいられる爽快感。向けられる優しさも親しみも、それは他の人へと向けられるそれと変わらない。
それ以外を求めるならば厳しい現実だけれど、とにかく今、安住の地を得たいというにはちょうどいいもので。

自分の領地だけじゃない、境界線のない仲間との空間。一人じゃないという安心感。

「また今度連れてってね。ちゃんと厚着してくるから!」

笑って頷くたくさんの顔に、引っ込めたはずの涙が出そうだった。









いつも素敵な夢で私を空想世界に誘ってくださっている蒼依さまのサイト「Nostalgic Sepia」が去る2月14日でめでたく1周年を迎えられました!せめてものお祝いを…と思ったのですが凄まじく遅いわ、季節感とかメチャクチャだわ(その時期にサエ達がテニス部にいるのかすら疑問)本当に悲しくなってしまいそうな物ができ、あろうことかそれを送りつけようというのだから本当に私という人間は業が深いと実感しています。
しかもあろうことか初・六角です。初書きでほぼオールキャラです。しかも恋愛要素とか皆無です。マイガッ!

そんなわけで、蒼依さん!
「初物」であること以外に全くいい所がなくて本当に恐縮ですが、本当に1周年おめでとうございました!これからも優しい夢を楽しみにしていますー!





相互リンクサイト『愛の庭』の管理人にしてマイハニーv(勝手に何を言いくさるか)の芹 ナズナ様より、サイト開設一周年のお祝いにといただいてしまいました!
六角ALLです!ナズナさんは六角はこれが初書とのことなのですが、とてもそうとは思えない素敵夢!
まさにこれぞ六角!と言った感じの優しくて仲良しな雰囲気がそこかしこからにじみ出ていて、読んでて彼らとのほのぼの優しいやり取りにじんわりと胸が熱くなりました……!
その上皆と部室で牡蠣・ハマグリ……最☆高!!お酒が欲しくなりますね!(夢見失格)
ていうか、サエが自然体紳士だわバネちゃんがかなり男前だわダビデのダジャレはいけてるわ(師匠!)剣太郎は可愛いわ、もうマジで萌えまくりですよコレ、ナズナさん……!!
本当に本当にありがとうございました!!ヘタレな私ですがこれからも本当に何卒宜しくお願いします、これからも愛してますハニー!!