彼の一挙手一投足に振り回されるのも、意外に嫌じゃない、けど。

だけどそれにも限度ってものがあると思うのよね。
















調











仕事が終わって帰るその途中、電車の中で後ろからぽんと肩を叩かれた。
読みかけの文庫から目を離して振り向くと、そこには見慣れた黒縁眼鏡と緑のメッシュが。
眼鏡の奥の双眸がじぃっと私を見つめてにっこり笑う。


「偶然やね」
「……たまたま帰宅時間が重なっただけだと思うけど」


お互いの勤め先が同じ最寄り駅、しかも隣接してるんだから、偶然も何もないでしょう。
そう冷たく言い放つと、メグの顔がふにゃんと歪んだ。
甘えたい盛りの子供が母親に叱られたみたいな感じの顔。


冷たかー!オイ何か悪いこつばしたかね?」
「自分の胸に聞いてみれば」


そう言って顔の向きを元に戻した。
窓ガラスに映ったメグの顔はさっきと同じ表情のままだけど、目がこっそり笑っていた。
メグのこういうとこ、私嫌いだわ。
表面では余裕ない振りして、ホントはかなり余裕ありまくりなの。
良くも悪くも自分に自信があるから、何とか出来るって思ってるのよね。
今もそう、私が怒ってる理由はわからないけど、何とか丸め込めるとか思ってるんだ。
でも今日ばっかりは、そう簡単にはいかない。


、今日オイの部屋来なか?最近、のうまか飯食べてなかったけん、夕飯ば作って♪」
「イヤ」
「そぎゃんこと言わなかでさ、明日休みやろ?」
「イヤったらイヤ」
ちゃぁん……」
「泣き落とそうとしても無駄」


ふい、と顔を背けて読みかけの文庫に再び視線を落とす。
その直後、ずしりと肩に掛かる重み。次いで首筋に暖かい息がかかる。
人の肩に顎を乗せるなっつーの……!


「重い。邪魔。どいて」
「何でそげん怒っとると?言うてくれんとわからんよ」
「……言わないとわからないの?」
「やけんわからんて」
「あっ、そう……!」


どうしても言ってくれと、そういう訳ね。
わざと大きい音をたてて文庫を閉じると、本が傷むんやなかと?と呟く。
余計なお世話って言うか、人の肩の上でもぐもぐ喋るのやめてくれないかしら。
横目できっと睨みつけたけど、メグは怯むどころかやっとこっち向いたと喜ぶ。
募るイライラを必死に押さえながら(電車の中ってことを忘れて怒鳴ってしまいそう……)文庫本をバッグにしまって、メグの顔を肩の上から押し退けて再度睨みつけた。


「メグ、私の仕事、わかってるわよね?」
「もちろん。彼女の仕事ば忘れるほどオイは薄情な男やなかよ」
「ああそう彼女ね。そうね、一応私たち付き合ってたわよね、まだ日は浅いけど!」
、何が言いたかかよーとわからんて……」
「あのね?」


首を傾げるメグの言葉を遮って、一気にがらりと表情も声も変えて。
にっこりと笑って、わざとらしく明るく可愛く朗らかに話を振った。


「今日のリペ降訓練、うまくいったんですってね」
「いやーにも見せたかったばい!オイがカッコよーく降下なすとこ……!」
「五十嵐さんも褒めてたわよ、調子のいいタイプだけどやる時はやるみたいねって」
「マジ!?恵子さんが……」


一気にでれっと笑み崩れたその表情が、次の瞬間カッチンと凍りつく。
恵子さん、ねぇ……ふぅん……。


「良かったわね、恵子さんに褒めても・ら・え・て!」
「……は!いや、あの、そげんこつ……」
「また通勤の時に会えたら、もう一回ナンパしてみれば?今度はOKしてもらえるかもよ?」
っ」
「じゃ・あ・ね!!」


見事なタイミングで電車が駅に到着。
わたわたと慌てふためいているメグをほったらかしてさっさと電車を降りる。
改札に向かって真っ直ぐ歩いていく私の耳に、バタバタとやかましい足音が届く。
振り返らなくても足音の主がメグなのはわかってるから、私も歩調は緩めない。
それでも元々の体格差を考えたら、メグが私に追いつけないはずがなくて。
改札を出たところでメグは私のすぐ横に並んだ。


!ちょっと待っ……」
「何か御用ですか」
「オイの話ば聞いてくれんね!」
「その必要を感じないので却下」
ちゃーん!!」


ひよこの呼び名に相応しく、ぴよぴよと纏わりついてくるメグをそれっきり完全無視して官舎に向かってひたすら歩く。
こういう時、帰る方向までが全く一緒ってホント最悪だわ。
住んでる階数が違うのが救いといえば救い……とか思ってたら、メグは自分の部屋がある階には行かず、私の部屋の前までくっついてきた。


「どこまでくっついてくる気なのよ!」
が許してくれるまでは離れんばい!」
「この期に及んで許してもらえると思ってるの!?」
「思っとる!!」


何でそこでそう断言出来るのかわかんないわ……。
呆れ果てて言葉を失くした私の前で、メグは突然膝を落として座り込んで、がばっと深く頭を下げた。
いわゆる土下座。


「ちょっと……!」
「オイが悪かった!何でもするけん、許して下さい!!」
「やめてよこんなとこでっ」
に捨てらるーたら、オイもう生きていけんたい!!」
「メグ!ちょっと、もうっ……と、とにかく中!中入んなさいっ」


こんなとこ誰かに見られたら……!
慌てて家の鍵を開けて、メグの腕を掴んで部屋の中に引っ張り込む。
背後で音をたててドアを閉まって、誰にも見られなかったことにほっと胸を撫で下ろしたところへ。
ジャケットを着たままの腕が伸びてきて、逃げる間もなくがっちりと抱きしめられた。


「何すん……!」
「何もかんも、がオイのことば部屋に引き摺りこんだんやなかかー」
「それはあんたがあんなとこで喚くからっ」
「オイはただに謝っとっただけ〜。部屋に入れてくれなんて一言も言うとらんもんね」
「……!」


こ  の  知  能  犯  め  ……  !
歯軋りしたい思いで上目遣いにメグを睨んで、渾身の力を籠めて腕を突っ張ってメグの腕の中から抜け出そうともがいたけれど、哀しいかな腕力は圧倒的にメグの方が上。
ジタバタともがき続ける私をしっかり押さえ込んで、メグはすっと耳元に唇を近づけて。


「―――のこつば一等好いとう」
「〜〜〜!」
「ほんなこつ、が一番好いとぉたい」


前髪が触れるほど近くから、真っ直ぐに私の顔を覗き込む、目。
にっこりと笑って。


、どげんしたと?」
「…………」
「まだオイのこと許せなかかね?」
「…………のよ」
「なんて?」
「じゃあ何でナンパなんかするのよ!」


声を荒げた私の顔を見下ろすメグの表情から笑みが消えた。
その顔がぐにゃりと歪んで、私は慌てて腕を上げて目に浮かんだ涙を乱暴に拭った。
必死に涙を堪えてメグを睨みつけて、怒りのあまり掠れ気味になる声を絞り出す。



「朝っぱらから!しかも知らなかったとは言え、私の職場の先輩に当たる人相手に!」
「…………」
「メグのそういう軽いとこ嫌い、大嫌い……!」


――― そして、それ以上に。
こんなになってもメグのことを嫌いになりきれない自分は、もっと嫌い。


とうとう堪えきれなくなって、涙がボロボロと頬を伝った。
またそれを拭おうと持ち上げた私の手をメグの手が掴んで、そっと引き寄せる。
さっきみたいに無理やり力ずくじゃなくて、大事なものを守るように、包み込むように抱きしめられた。


「すまんかった」
「…………」
「ほんなこつ、が一等好きたい。他の女に声ばかけても、それは本気やなかと」
「……何よ、それ……」
「キレイな女の人ば見よったら声かけるとが礼儀やって思っとったけん、つい」
「……アンタのナンパは挨拶と同義なのか……」
「でももう絶対にやらないばい。オイにはがおるんやけん、他の女は必要ない」


真っ直ぐに私を見つめてそう言ったメグの目は真剣で。
いつもの余裕なんて欠片も見えなくて、悔しいけれど、でもこの目を信じたいと思ってしまった。
私を一番好きだって言ってくれる、このお調子者の恋人を、もう一度信じてあげたいって。


「……本当に、もうやらないのね?」
「絶対やらん」
「信じていいのね?」
「二度は裏切らなか」
「……わかった」


―――我ながら、バカな女だと思うけど。
それでもやっぱりメグが好きだから。
その言葉を信じてあげる、と小さな声で呟いた。
消え入りそうな私のその声を聞いて、メグはそれは嬉しそうに笑って抱きしめる腕に少し力をこめた。











「ところで、け…五十嵐機長、本当にオイのこと褒めてくれとったとね?」
「え?うん……あの肝の据わり方は大したものね、って」
「そうかそうか、オイの想いは届いとったとゆうこつやね!」
「……誰の想いが何ですって……?」
「……は!」






















単なる『都合のいい女』じゃないか……orz>ヒロイン
絶対また同じことを繰り返して、その度に奴の口八丁手八丁に丸め込まれて振り出しに戻る、そんな感じがひしひしとする、阿呆なヒロインになってしまいました……。

05/04/07up