気持ちに嘘はないの。だから。
だから、もう少しだけ。
もう少し、あと少し
「……ちゃん、そろそろ観念……」
「イヤ!」
「……頑固やね」
わざとらしい溜息をついて、盤くんはまた少しだけ腕に籠める力を強めた。
渾身の力を籠めてそれを押し返す私の腕はぷるぷると小刻みに震えていて、パンパンに張った筋肉に走る痛みに似た鈍い感覚が、そろそろ限界が近いことを教えていた。
……明日から腕立て伏せして鍛えてやるんだから……!
そんなことを思いながら上目遣いに盤くんの顔を見ると、にこりと笑いかけられた。
その余裕ありげな微笑みが癇に障る。
「……盤くん、私のことからかって楽しんでるでしょっ……」
「被害妄想ばい」
「そっ……なことない、もんっ」
腕の痛みを堪えてぐぐぐ、と盤くんの腕を押し返す。
次の瞬間、両腕にびりっと鋭い痛みが走って、思わず一瞬力が抜けた。
その瞬間を見計らっていたように、私の手首を掴んでいた盤くんの腕が解けて。
トン、と軽く肩を押されて、私はものの見事に布団の上にひっくり返った。
慌てて身体を起こそうとしたけど、それよりも早く伸びた盤くんの手が私の身体をその場に縫い止める。
いつもの眼鏡越しじゃない、素通しの眼差しが真上から私を見下ろして。
唇にうっすら、意地の悪い感じのする笑みが浮かんだ。
「ゲームオーバー、やね」
低く囁く声は、どこか冷たくて。
私は泣き出したい気持ちに駆られた。
盤くんと初めて逢ったのは、大学の帰り道。
五限の講義が終わって帰る途中、まだそんな遅い時間でもないのにもう酔っ払ってるサラリーマンがいて、避けて通ろうとした時に運悪く目があっちゃって。
案の定絡まれて困っていたところに、何故か猛ダッシュで現れて助けてくれたのが盤くんたちだった。
きちんとお礼を言う間もなく、彼らは再び走って行ってしまって。
それから数日後にアルバイト先のコンビニで。
『あれ?』
『え?……あ!この間の!』
『やっぱりこないだ酔っ払いに絡まれとった子たいね!?』
『はい、その、あの時は助けていただいてありがとうございました』
『いやーたいしたこつやなかとですよ。あのあと大丈夫やったとですか?』
『あ、はい』
『そいは良かったばい』
にこっと笑ったその笑顔はとても優しげで、何だかとても心惹かれた。
出会ったばっかりの素性も知れない人なのに、こんな安易にドキドキしてどうすんのって思いながら、それでもその笑顔からどうしても目が離せなくて。
他にお客さんがいないのをいいことに何か会話を、と思って、どこのご出身ですかと訊こうと口を開いて、『ど、どこの方言ですか!』とか訊いちゃったバカな私に怒ることもなく、福岡です、と答えて盤くんはまた笑った。
安っぽい恋愛ドラマみたいな、ありがちな出逢い。
でもそれは私にとって、とても大事な出逢いになった。
仕事がとても忙しい盤くんと会えるのは、彼が私のバイト先に買い物に来る時と、お互いの帰宅時間がかち合った時くらい。
付き合って二ヶ月、まともなデートなんか一回も出来なくて。
それでも会える時は極力会おうとしてくれる、そんなところもとても好きだと思った。
そんな盤くんが昨日の帰宅途中に言った言葉。
『明日久々にゆっくり休めそうやけん。良かったらうち遊びに来んと?』
『……いいの!?』
『モッチローン!』
そう言って笑った盤くんの笑顔はやっぱりとても優しくて、私は嬉しくって二つ返事でOKした。
いつもの分かれ道でさよならして、家に向かって歩く足はいつの間にかスキップしてて。
自炊するの大変だってよく言ってるし、何か美味しいもの作ってあげたいな、とか、盤くんがこないだ見そびったって言ってた映画、レンタル開始してたから借りていって一緒に見よう、とか。
あれこれシミュレーションしながら、遠足を楽しみにしてる小さな子供みたいにはしゃいでた。
―――まさか、こんな状況に陥ることになるなんて、思いもしないで。
緑のメッシュの前髪がさらりと揺れて、盤くんの視線を曖昧にぼかす。
殺風景な部屋の中は嫌になるほど静かで、どくどくと心臓の波打つ音がうるさくてたまらない。
押さえ込む力は緩むことなく、盤くんは無言で片膝を私の膝の間に割り込ませた。
「……っ!」
「男って嫌がられるほど燃えたりするっちゃけど、知っとう?」
「知、らないよ、そんなのっ……」
「ふーん」
ひどく楽しげに笑った盤くんの顔が近付いて、思わずぎゅっと目を瞑った私の、その瞼の上に啄ばむようなキスをひとつ、落とした。
そこを始点に、唇が頬から耳、耳から首筋へとゆっくり辿っていく。
心臓が一際大きく高鳴って、身体の奥の方で何かが疼いた。
「や……盤くん、待っ……」
「無理。もう止まらんもん」
「めぐるくんっ……!」
「そがん声で名前ば呼ばれたら、余計止まらんくなるとやけど」
「んっ……」
「よか声やねー」
からかうその口調に頬がかっと熱くなって、自分でも意識しないうちに身体が動いた。
腕と違ってしっかりと押さえ込まれていなかった足を、思いっきり上に跳ね上げる。
どかっ、と鈍い音がして盤くんの腕の力が緩んだ。
「……ってー!!」
「盤くんのばかっ!」
「なんも蹴ることなかろーが!」
「自業自得だよっ……!」
私が蹴飛ばしたおなかを押さえて転がる盤くんに怒鳴り返した瞬間、ぼろぼろ涙がこぼれた。
自分で思ってた以上に怖かったみたいで、今更のように全身に震えが来て。
布団の上に座り込んだまま、腕を回して自分で自分を抱きしめる。
そんな私の目の前にごろんと転がったまま、盤くんはしばらくの間何も言わずにじっとこっちを見つめていたけれど、やがて起き上がって胡坐をかいて、はぁ、とワザとらしい溜息をついた。
「―――オイはちゃんのこつば好いとうけど、ちゃんはそうやなかと?」
「……そんなこと言ってない」
「じゃあなしてそこまで嫌がっとーかねー」
「だって……!」
―――だって、怖い。
好きだったら、こういうことするのが当たり前なの?
そんな疑問を持つ私の方がおかしいの?
盤くんのことは嫌いじゃない。本当に好きなのに。
そういうことを許さないだけで、気持ちを疑われなくっちゃいけないの?
そんな風に考えたら、さらに涙が止まらなくなっちゃって。
ぼろぼろ、というより最早ぼたぼたぼた、と形容した方がいいくらいの滝のような涙に、さすがの盤くんも慌てて、シャツの袖で私の頬を拭いてくれた。
「なんもそがん泣かんでもさー!」
「……だってぇっ……」
「あーもー!オイが悪かった!もう無理強いしないけん、泣き止んでくれんね」
「……っうー……」
「ほんなごと、もうやらんばい!だから泣かんで!な?」
盤くんの腕がぎゅーっと私のことを抱きしめる。
小さい子供を宥めるみたいに、大きな手が何度も何度も髪を撫で下ろす。
さっきまではただ怖さしか感じなかった盤くんの手が、今は心地よい安心感をくれる。
シャツの胸に顔を埋めてわんわん泣きながら、いつの間にか私はそのまま眠ってしまった。
ふっつり途切れていた意識が戻った時、私は盤君に抱きしめられたまま布団の中にいた。
眼鏡をはずしたままの盤くんの寝顔はいつもよりずっと子供っぽくて可愛い。
その顔にあの意地の悪い笑みが重なって、私はぞくっとして思わず肩を竦めた。
その僅かな動きに合わせるように、小さな唸り声をあげて盤くんの目がうっすら開く。
「……お、おはよ……」
「……んー……」
「盤、くん?」
私の呼びかけに答えるように抱きしめる腕に力がこもって、盤くんの目が再び閉じた。
「まちっと寝かせて……」
「え、で、でも」
「なんもせんけん……」
「……う、ん」
「ちゃん、やわーて気持ちよかー……」
……それって誉めてるの……?
再び気持ち良さげに寝息をたて始めた盤くんの顔をじっと見ながら、つい今さっきまで彼を怖いと思っていた気持ちが嘘のように薄れてしまったことに気づいた。
だってこんな顔して抱きつかれちゃったら、さ。
もぞもぞと動いて何とか片腕の自由を確保して、緑のメッシュの前髪をそっと掻き分けて。
少しだけ迷ってから、閉じたままの瞼の上にそっとキスをした。
「盤くん、好きだからね。だけどもうちょっとだけ、待ってね」
「……ん」
寝息の合間の小さな唸り声は、まるで小さな肯定の声のようだった。
私は小さな声で笑って、もう一度、今度は盤くんの頬にキスをして、寄り添って目を閉じた。
大好きだから、だから、お願い。
もう少しだけ時間をちょうだいね。
私がその気になれるまで。
トッキュチャットタイピングミス罰ゲームの、盤でした。鬼っ子vs初めてちゃん。
……書き直してこれですよ……しかもこのメグのどの辺が鬼っ子……_| ̄|○il|||li
もーホントごめんなさいーーー!!(ダッシュで逃げ)
05/04/24UP