「―――では、失礼します」 目の前の扉があるかなしかの音を立てて閉まる。 きっちり45℃の角度に下げていた頭を上げると同時に思わず漏れた小さな溜息に、頭上から降ってきた大きな溜息が重なった。 「あー……肩凝ったー……」 「お疲れ様。と、言ってあげたいところだけど、自業自得なんだからね?」 「おいおい、実際にやらかしたのは俺じゃないだろ?」 「収集つかなくなるまでほっといたのはどこの誰?」 「いや、だから、それはだな。年長者としてあいつらの自主性とか自立心を尊重してやろうっていう俺なりのあいつらへの思いやりであってだな……」 長く真っ直ぐな廊下をすたすたと歩き出したアキラの後を、ユゥジは何やら尤もらしい言葉を並べ立てながら追いかけてくる。 早足のアキラに対してのんびりとした足取りだが、身長に比例する大きな歩幅のおかげであっという間に追いついて隣に並んだ。 かなり上の方にあるユゥジの顔を横目でちらりと見上げ、アキラは少しわざとらしいくらいにつんと澄ました声音で、くどくどと言い訳を続けているユゥジの言葉をすぱりと切り捨てた。 「自主性と自立心を重んじてあげるのもいいけど、自律性と自制心も教えてあげてほしかったなぁ、年長者として」 「……俺が悪うございました、ご迷惑をおかけしてすみませんでした、教官殿」 「はい、よろしい」 努めて無表情を装っていた顔をふわりと綻ばせて、アキラは歩調を緩める。クスクスと軽やかな笑い声に鼓膜を優しく擽られて、少し大袈裟なくらいに申し訳なさそうな表情を作っていたユゥジも笑い返した。 今二人がいるナイトフライオノート対策委員会の本部は、広さに反比例するかのように出入りする人の数が少ないようで、結構な距離を歩いているにもかかわらず、職員らしき人影とすれ違う気配はない。 「改めてお疲れ様でした。ごめんね、こんなところまで付き合ってもらっちゃって」 「ま、しょーがないだろ。お前の言ったとおり、ちょっとばかりほったらかしすぎた俺にも責任はあるしな」 「でも、ホントまさかの事態だったわ……」 「……俺もまさかシミュレーターがぶっ壊れるとは思わなかったぜ……」 対ナイトフライオノートの戦闘訓練用にLAGに設置されている戦闘シミュレーターは、サブスタンスとレゾナンスしたライダーのパワーにも十分耐え得るように設計されている。はず、なのだが。 数日前のシミュレーション訓練中、作戦遂行の手順について意見がぶつかり合った。個性豊かなりに纏まりのあるメンバーだが、その日はどうにも互いに譲り合う方向に話がいかず、更に誰とは言わないが的外れでぶっ飛んだ発言を投下して火に油を注ぎ、ヒートアップしたISメンバーたちが個々に勝手に暴走した結果、ものすごい負荷をかけられたシミュレーターはものの見事に破損した。 LAGが政府特務機関である以上、諸々の施設・設備の建造製作費や維持費は国庫から出ている。その貴重な設備を訓練の為とは言え、派手にぶっ壊してしまった以上、うっかり壊しちゃいましたスイマセンてへぺろ☆では済まされない訳で。 IS戦闘教官であるアキラは、当然ながら責任者として駆けずり回ることになった。 各所への状況説明、始末書の提出、そしてLAG直属の上部組織であるナ対策委員会のお偉方への謝罪、等々である。 上部への謝罪の為、相手方のスケジュールに合わせてリュウキュウから遠く離れたナ対策委員会本部のある関東までヴォクスで出向くことになったのだが、同行するはずの副官・甘粕はその日は別件で手が離せなかった。 それならば破壊行為に及んだ本人たち(決してわざとではないのだが)に責任の一端を取らせよう、ということになり、ユゥジがアキラに同行する役目を仰せつかった訳である。 尚、最初こそ政府関係者に謝りに行くなど面倒で嫌だと口を揃えて言っていたISメンバーだったが、『甘粕というお目付け役がいない状態でアキラと外出』という状況を把握した途端、我こそが我こそがと大騒ぎになった。 収拾がつかなくなりかけたところで、アキラが暴走行為には直接関わらなかった(が、積極的に止めようともしなかった時点で同罪とされた)ユゥジとヒロを指名し、残りの四人には訓練施設の罰掃除を命じて事態を収拾したという経緯があったりする。 更に、当日になってヒロが緊張からか体調を崩して寝込み、最終的に『アキラと二人きりでの外出』という恩恵はユゥジ一人が与ることになった。 「しっかしまあ、政治家ってのは何で揃いも揃ってああも無駄に偉そうなんだかね」 「ユゥジくん、言葉を慎んで」 露骨な物言いに、再びアキラの表情が厳しく引き締まる。 政治家という肩書きに胡坐をかいてふんぞり返っているような人間に対して好意的になれないのはアキラも同様だったが、場所的にも何の為にここに来ているかということを考えても、誰かに聞かれたら流石にまずい発言だ。 ユゥジの立場が悪いものになってはと気に掛けているが故のアキラの発言だったが、当のユゥジは平然と笑って受け流した。 「こんなにだだっ広いってのにさっきから一人もすれ違わないんだぜ?それに対してデカい声でもない、誰も聞いてやしないさ、大丈夫だって。―――あー、なんか首が苦しいと思ったら、ネクタイしっぱなしだったな、そういや」 そう言って軽く顔を顰めたユゥジは鬱陶しげに喉元に触れた。 政府関係への謝罪と言うことで、いつもどおりの格好と言う訳にはいかず、アキラもユゥジもLAGの正式制服を着ていた。アキラは上は通常と変わらぬシャツにネクタイだが、下はショートパンツではなくタイトスカートだ。靴もヒールこそ低めだが一応パンプスを履いている。 ユゥジも普段はクローゼットの奥に放り込んだままのネクタイを引っ張り出してきちんと締めていた。ボトムもいつものパンツではなく黒無地のスラックス。かっちりとした着こなしは、すらりとした長身によく似合っていた。 長い指をネクタイの結び目に引っ掛けて軽く引っ張って緩め、シャツの第一ボタンをはずす。何気ない仕草だったが、何故かそれが妙にセクシーに見えて、アキラの心臓は大きく跳ねた。 いつものユゥジも適度に崩した着こなしだが、カジュアルな装い方で元々崩し気味に着ているのと、きっちり隙なく着込んだ服を着崩すのとで、こんなにも受ける印象が変わるものなのかと思っていると、丁寧に櫛を入れて整えてあった髪も煩わしかったのか、ユゥジは手櫛でざっくりとかき上げていた。 気持ちは分からなくもないが、まだ一応アウェイだというのに崩し過ぎではなかろうか。アキラは軽く唇を尖らせて声を掛けた。 「ユゥジくん、一応まだ所用の最中なのよ?」 「んー?でもあとはエレベーターに乗って屋上に行けば、こことはおさらばだろ」 「んもう……せっかく珍しくカッコいいなって思ったのに」 「―――カッコいい?」 辿りついたエレベーターホールで昇りのボタンを押したユゥジが、軽く目を瞠ってアキラを見下ろした。 『俺はいつでもカッコいいだろ』くらいの発言が返ってくるかと思っていたアキラは、思っていたのと違うユゥジの反応にどぎまぎしながら小さく笑って頷いた。 「そういう、きちっとした格好って見たことなかったから。ユゥジくん背が高いし、すごく似合うんだなあって。なんかいつもと少し雰囲気違ってて、その、ちょっとドキドキしちゃうなあって、」 アキラの声にエレベーターの到着を知らせるブザー音が被り、磨きこまれた銀色のドアが左右に開く。 思ってたの、と続けようとしたアキラの声は、不意に掴まれた腕の感触に驚いて途切れた。 それと同時に強い力で引っ張られ、縺れるような足取りでエレベータの中へ飛び込んだ。驚いて大きく見開いた視界に、鮮やかな青い花が映る。それがユゥジの制服の模様だと理解した時には、アキラは完全にユゥジの腕の中に囲い込まれていた。 トン、と背中に何かが触れ、薄いシャツ越しに感じるひんやりとした感覚で、それがエレベーターの壁だと気づく。逞しい腕がアキラの頬を掠め、大きな音を立ててユゥジが壁に両手をついた。 視界に映るのはシャツの青い花と、緩められたネクタイの結び目と、僅かに覗く日に焼けた肌と浮き出た鎖骨、そしてかつてないほど近くにあるユゥジの顔。白いシャツの肩越しに、ゆっくりとエレベーターの扉が閉まっていくのが見えた。 真正面から食い入るように見つめてくるユゥジの眼差しは、獲物を睨めつける野生の獣の様だとアキラは思った。 猛々しく、荒々しく、煌々と輝いて、息を飲むほどに美しい。 その強過ぎる眼差しに囚われて、アキラは息をするのも忘れたようにユゥジを見つめ返した。 無言のまま、顔が近づき、唇が触れる。 ――――――首筋に。 耳の付け根から喉元へなぞるように滑った濡れた感触に、アキラははっと我に返った。 「っ、ユゥジくん、ッ……!」 「ん?」 囁くような短い返答は限りなく吐息に近かった。肌に触れたままの唇から紡ぎ出されたそれは、微細な震えでもって尚一層アキラを翻弄した。 ぞくぞくと背中を駆け上がるえもいわれぬ感覚に耐えながら、力の入らない腕を必死に持ち上げてユゥジの肩を押し返す。しかしささやかな抵抗は全くと言っていいほど意味を為さなかった。 ユゥジは真っ直ぐに伸ばしていた肘を曲げ、手のひらだけでなく肘から手首に掛けて壁につき、身体全体でアキラを抑え込んだ。肌を撫ぜる唇は喉元から顎へ、顎から頬へと移動する。 全身を駆け巡る始めての感覚に、アキラがとうとう耐えきれずにぎゅっと目を閉じた、その瞬間、 「―――き、だ」 「……っ?」 「アキラ……」 切なげに名前を呼ばれて、同時に壁についていた片腕が下ろされた。熱を持った大きな手のひらがタイトスカートの上から触れて。 ほとんど身動き取れない状態で、それでも何とか抵抗する術を模索するアキラの耳に、不意にポーンと軽い音が届いた。 場違いと言えば場違いなその軽やかな音にユゥジが一瞬動きを止める。音のした方向を振り返った二人の目の前で、銀色の扉がするすると開き――― 「あっ、教官っ、ユゥジさんっ、お疲れ様ですっ……って」 「あんまり遅いからお迎えに行こうかと思ってたんですよー。って」 「…………うわー」 明朗な声と優しげだが癖のある声と微妙に平坦なトーンの声が同時に聞こえ、そして。 「…………えっ?いやいやいやいやいや、あああああの、すっすいませんすいませんすいませんお邪魔しましたあぁぁっ!……じゃなくてっ、ユゥジさん何してるんですかっ!ちょっと待って、誰か、だだだだっ……あああああ甘粕さーーーん!!」 「もー、近江はうるさいなー」 「そもそも今ここに甘粕さんいないし」 一人テンパっている近江に異様に冷静な但馬と駿河がツッコミを入れる。但馬に至っては近江の脇腹に一発入れていた。容赦がないことこの上ない。 エレベーターの中で呆然としている二人を前に、扉が閉まらないようしっかりとボタンを押したまま、駿河がぼそりと「ケダモノ」と呟いた。続いて、常と変らぬにこやかな表情のまま、但馬が口を開く。 「うん、全くもってその一言に尽きるよね!いやーすごいもの見ちゃったなあ。あっ、甘粕さんにはしっかり報告入れときますね、ユゥジさん」 「…………って、ちょっと待て但馬ーっ!!」 「じゃあとりあえずリュウキュウに帰りましょうか。ちょっと近江、いつまでそんなとこでうずくまってるの、邪魔だよ」 「教官、行きましょう」 「えっ、あっ、う、うん?」 まだ半分頭が働いていない状態で、アキラは差し伸べられた駿河の手に自分の手を委ねた。 ユゥジはと言うと、「ソーイチロウには言うなって!マジで!頼む但馬ー!」などと叫びながら恐ろしく早足で歩いていく但馬を追いかけて先に行ってしまっていた。 何とか立ち上がった近江と駿河に左右を囲まれてゆっくりと歩き出しながら、アキラは嵐の様な先程の出来事を思い返し、なかなか熱の引きそうにない頬を押さえて、深い深い溜息をついた。 その後、ユゥジの暴走行為は瞬く間にISメンバーと甘粕の知るところとなった。 ことある毎にちくちくと攻められるユゥジは自業自得であったが、そのたびに一連の流れを鮮明に思い出してしまうアキラも、皆の気が済んでこの話が話題に上らなくなるまでのしばらくの間、居た堪れない日々を過ごす羽目になったのだった。 [120822] |