夕暮れの教室で。
西日の差し込む窓に手をついて、じっと外に視線を注ぐ後ろ姿に足を止める。
止まった拍子に入り口近くにあった椅子の足に爪先が当たって、カタンと小さな音をたてた。
伸ばしっぱなしの黒髪が揺れて、振り向いた端正な顔がふと微かに微笑んだ。


、まだ帰っとらんかったん?」
「私は委員会。忍足こそ、今日はテニス部ない日じゃなかったっけ」
「ちょっと、な」


曖昧にぼかして笑った押したりの隣まで行って、窓の向こうの景色に目をやった。
グラウンド使用の部もほとんどが練習を終えていて、無駄に広いグラウンドに見える人影はまばらだ。
その横にあるテニスコート、いつもは200人なんて非常識な人数の部員がひしめいているそこも、今日は人がいない。
その人気のないテニスコートの方から歩いてくる人影を見つけて、私は思わずそっと忍足の横顔を盗み見た。
落ち着いた表情は一見普段と変わらないように見えた、けど。


「……忍足」
「んー?」
「……や、何でもない」
「何やねん。すっきりせぇへんで、言いかけてやめんの」
「自分でも何言いたかったのかわかんなくなっちゃった」
「何やそれ、アホか」


アホか、と言いながら、私を見て笑った顔はいつもの忍足だった。
だけど窓の外に視線を戻した瞬間、その表情が微かに変化する。
さっきまでと同じ、ちょっと見いつもと変わらない落ち着いた表情。
でも、眼鏡の奥のほんの少し細められた眼差しが。
とても優しくて。
とても淋しそう。


忍足の視線の先にあるものを見て、微かに胸が痛んだ。
遠目でもはっきりとわかってしまう。彼はとても目立つ人だから。
そして彼の隣にいる人もはっきりとわかってしまう。彼女は私の親友だから。
並んでこっちへ向かって歩いてくる二人の表情が、はっきり見て取れるくらいの距離まで近付いた時、彼女の方がこっちに気付いた。
眩しい笑顔で大きく手を振る。その隣で彼も皮肉げに笑う。窓ガラスに遮られて声は聞こえなかったけれど、彼女の唇の動きは私と忍足の名前を呼んでいた。
手を振り返してから、また横目で忍足の顔を見る。
やわらかく、優しく、彼は微笑んで、小さく手を振っていた。


―――とても愛しい、大事な、大切なものを見つめる眼差しで。


ジェスチャーで今からそっちに行く、と告げて、彼の腕を引っ張って走り出した彼女の姿は、あっという間に見えなくなった。


「ほな、帰る用意しよか」
「……うん」


私の方を振り向いた忍足の表情も眼差しも、もういつもどおり。
自分の机に寄って、その横に無造作に投げ出されていたテニスバッグを手に取る。
私はもう自分のカバンは持っていたから、そのまま忍足の傍に行こうとして。
ふと足を止めた。


―――?」


ぽつりと床に落ちたのは、涙。
唐突に溢れたそれに自分でも一瞬戸惑った。
忍足はバッグを放り出して私の前まで来ると、ブレザーの袖で濡れた頬をそっと拭ってくれた。


「どうかしたんか」
「……わかんない」
―――ハンカチと胸、どっち貸して欲しい?」
「……じゃあ胸」
「鼻水つけんといてな?」


冗談混じりにそう呟いて、忍足はそっと私を自分の胸に抱き寄せた。
温かい腕の中で少しずつ近付いてくる足音を聞きながら、私は静かに目を閉じた。





―――本当はもうわかっている。
この涙は。


見えないところ、何処か心の奥深いところで、一人静かに泣いている君の涙と。
そして、君を想う私の。


涙。











どうしようもない恋の御題 『06. どこか深いところが涙するから』 / Y・Oshitari
 050901 NS2005秋冬企画初出 / 130201 再公開