可能性は0%だとわかっていて。
だけど、それでも。





終了のベルが鳴って、だだっ広い講義室は途端にざわめき出した。
隣で熱心に睡眠を取っていた友人を揺り起こして、別れを告げて席を立つ。
中央出入り口近くで、出て行く人の邪魔にならないように壁に寄りかかって立っていたら、程なくして待ち人はやってきた。



―――あ、サエちゃん」
も今日はこの講義で終わりだろ?途中まで一緒に帰ろう」
「うん、オッケー」


と一緒にいた友達は、じゃあまた明日ねとに手を振って、俺には丁寧に頭を下げて先に教室を出て行った。
肩から提げた真新しいトートバッグを揺すり上げて、が俺の横に並ぶ。
華奢な肩を人込みから庇いながら、教室移動でごった返す廊下を外に向かって歩き出した。





大学を出て、秋色に色づいた並木道を駅に向かってゆっくり歩く。
大学の敷地に繋がる広い並木道は、まだ最終の五限目が残っているからか人影もまばらで、降り積もった落ち葉を踏みしめる音がはっきりと聞き取れる、穏やかな静寂に満ちていた。
今日の講義についてや、俺もも所属しているテニスサークルの次の集まりのことなんかを話していたら、不意にのバッグの中から、微かなメロディが聞こえてきた。
は慌ててバッグから携帯を引っ張り出すと、俺にちょっとごめんねと断ってから通話をオンにした。


―――もしもし、ダビデ?」


携帯の向こうに呼び掛けるの声は甘い。
俺に話し掛ける時とは明らかに違う響きに、胸の奥に抉られるような痛みを感じた。


「……うん、うん。わかった。―――今?今ね、学校の帰り。サエちゃんと一緒」
「…………」
「うん大丈夫、気をつけて帰る。じゃあまたね」


―――ダビデ、なんだって?」


通話をオフにして携帯をバッグのポケットに戻したに問い掛ける。
さっき感じた痛みなど、綺麗に押し隠して、昔のままの『優しい兄貴分』の笑顔で。
は肩からずり落ちたバッグのストラップを引き上げながら、少し照れたように微笑んだ。


「うん、今度の休みに遊びに行くんだけど、その待ち合わせ場所の確認」
「待ち合わせか。ダビデもも変なとこそそっかしいからなぁ。二人揃って迷子になったりしないように気をつけろよ?」
「もう迷子になるような歳じゃありません!いっつもそうやって子ども扱いするんだからー」


俺の台詞に思いっきりむくれて、早足で歩き出す。
いつもが履いているものより少し高いヒールの、こげ茶色のブーツ。
細い踵が積もった落ち葉を踏んだ瞬間、ずるりと派手に横に滑った。


「きゃ……!」
!」


伸ばした腕は間一髪のところで華奢な身体を受け止めることに成功した。
うまく体勢を立て直せないの身体をそっと抱き起こしたら、ふわりと甘い香りが鼻先を掠めた。
入学三日目に構内で再会した後、入学祝いと称して俺が贈ったもの。
それに気付いた瞬間、腕の力を抜くことが出来なくなった。


「ありがと、サエちゃん」
「…………」
「サエ、ちゃん?」
―――


背中から包み込むように。
腕を回して、そっと、脆いガラス細工に触れるように、抱きしめる。
が小さく息を呑むのがわかった。


「サエちゃ……」
、俺さ」
「……」
「俺は、」





俺の言葉を遮ったのは、さっきと同じメロディ。
俺の腕の中、肘から下の腕を動かしてバッグから携帯を取り出して。
は通話をオンにした。


「……もしもし、ダビデ?」
?』


を抱きしめている所為で、ダビデの声は俺の耳にもしっかりと届いた。
の声は驚くほどしっかりしていて、でも俺の腕には微かな震えがはっきりと、伝わってきていた。


「どうしたの、何か確認し忘れ?」
『や、そういうんじゃないけど。……もう暗くなるし、のアパートの周り、あんまり人通りないだろ』
「うん、それがどうかした?」
『迷惑じゃなければ、サエさんに送ってもらえよ』
「…………」


―――を抱きしめる腕から力が抜けていくのを感じた。
それでもまだ俺の腕の中にある華奢な身体は、一瞬大きく震えて、そして。


「うん、わかった。そうするね」
『そんだけ。じゃあ、また』
「うん、ありがと。またね」


ピッと小さな音をたてて通話が途切れた。
は携帯を握り締めたまま、俺の腕の中から抜け出そうとはしなかった。
俺に背中を向けたまま、深く深く俯いて。





―――ごめんなさい」





小さな声で、囁くように。
ごめんなさいと繰り返す声。
何度も何度も。繰り返すたび、言葉は涙を含んで。不明瞭になっていく響き。


困らせたかった訳じゃない。
泣かせたかった訳じゃないんだ。
君の心が、今でもあいつを想っていることを俺は知っている。
知っているのに、それでも心は君を求めて。
どうしようもなく愛しさは募るばかりで。





まるで落ち葉のように、君への想いが降り積もる。











どうしようもない恋の御題 『01. それでも愛してると心が言う』 / K・Saeki
 050904 NS2005秋冬企画初出 / 130201 再公開