いつだって幸せをくれるのは君で。
だから僕が生きていく為に必要なもの。















しあわせになるために















前触れなく意識が戻り、目を開ければそこにはいつもと違う天井があった。
前髪を掻き上げながら視線だけを動かして周囲を見渡す。照明の類は全て消えているが、カーテンを透かして窓 から差し込む白々とした光のおかげでさほど広くはない室内は仄かに明るく、そこからおそらく夜が明けたばかりだろうと当たりをつける。
眼鏡を掛けていない所為で、並んでいる家具や調度品は輪郭がぼやけてどれが何だかはっきりとわからないが、見慣れた自分の寝室ではないことくらいはわかる。だがそれだけだった。
ここはどこかという自分自身からの問い掛けに返す答えが見つからず、二階堂はその回答を求めて身体を起こそうとして、そこでやっと自分の右腕に何かが乗っていることに気づいた。



――――――



横に伸ばした二階堂の二の腕を枕にして小さな寝息を立てる人。
安らかな寝顔の上に昨晩の艶めいた表情が重なって、二階堂は今自分が寝ている部屋とベッドが恋人ののものであることを思い出す。
誕生日祝いに、いつも以上に腕によりを掛けて作りますから!と食事に招待され、毎度のことながら見事に黒い手料理の数々を御馳走になり、翌日は休みと言うことでそのまま泊まったのだ。付き合い始めてそれなりになるが、一緒の休日は大抵外出するか二階堂のマンションで過ごしていて、の部屋に泊まったのは今回が初めてだった。天井や室内の風景に違和感を感じたのはその所為だったのだと納得して枕に頭を戻す。
二階堂の動きによって生じた微かな振動に反応して、おもむろにその細い身体が身動ぎした。ミルクティーブラウンの柔らかな髪が剥き出しの肌の上をさらりと流れて、二階堂はくすぐったさに笑い声が零れそうになるのを何とか堪えた。
自由に動く左腕を伸ばして、の乱れた髪を適当に整える。起床するにはまだ大分早い時間の所為か、それとも昨晩の疲れを引き摺っているのか、目を覚ます気配はない。
瞼は閉じられたまま、桜色の唇が拗ねている時のように軽く尖った。幼い子供のようなその表情は、キスを強請る仕草にも見えて二階堂の苦笑を誘った。
この年になると可愛いよりも綺麗って言われた方が嬉しいんですけど、と本人は言うが、を形容するのに最も似つかわしいと思える言葉はやはり『可愛い』だ。起きている時のくるくるとよく動く生気に満ちた表情も、 眠っている時の子供のように全てを預けきっている表情も、生徒に対して一生懸命愛情を注ぐ姿も、の全てが可愛らしく見えてつい目が離せなくなる。
という存在からもたらされる全てが愛しい。溺れるように恋をする、などと言うが、まさに己れの今の状態はそれだろう。三十路を迎えたいい歳の男にこの表現はどうかと思わないではないが、これ以上ない程的確に今の自分を表している気がした。
そんなことを取りとめもなく考えていると、不意に昨晩、手作りのバースデーケーキ(無論炭化したように真っ黒だった)を手に、はにかんだが口にした言葉を思い出した。



『来年も、再来年も、その先もずっと、こうしてお祝いさせてほしいなあ』



本人にしてみれば何気なく口にした言葉かもしれないが、二階堂にとっては聞き逃せない一言。
来年も再来年も更にその先も、貴方の隣にいることを許してくれるのですか、と生真面目に聞き返すと、赤く染まった顔で照れくさそうに、けれどはっきりと頷いてくれた。
やはり可愛らしいと思ったその顔を思い出しながら、起こさないよう慎重にの頭の下から腕を引き抜くと、身体を起こして椅子の背に掛っていたジャケットを引き寄せる。
内ポケットを探ると、目当てのものはすぐに見つかった。



「……頃合いか」



ひとりごちて、少しの間手のひらの上で弄んだあと、それを開ける。掌に握り込めてしまうくらい小さな飾り気のないビロード張りの小箱の中で、銀色の輪とそこに嵌め込まれた石が控えめに光る。
2月のの誕生日に合わせて用意していたのだが、結局渡さなかったものだった。
当時はまだ付き合い始めて2ヶ月ほどしか経っていなかった。との付き合いは決して軽い気持ちではなかっ たし、折に触れて結婚についても話してはいたが、付き合って2ヶ月で指輪は流石に重たく思われるのではなかろうか、と直前になって怖気づいてしまった。
昨晩、今度こそ渡そうと持ってきたのだが、タイミングが掴めずにまたしても出しそびれた。
我ながら情けないことだ、と思いながら、台座から細い輪を外して小箱を枕元に置くと、まだ目覚めないの 左手をそっと取る。
白い細い手は二階堂のそれよりも一回り以上小さい。そのすべらかな肌の上にいくつかの小さな傷があるのが見えた。包丁で切ったと思わしき切り傷と火傷の痕らしい水ぶくれ。自分の誕生日を祝う為に奮闘した結果つけたものだとわかるそれに、二階堂はそっと唇を寄せる。
溢れるようにたくさんの幸せをくれる、この手の主を愛しいと改めて思った。



「……んー……衝、さん……?」



ぴくりと眉が動いて、閉じていた瞼が微かに痙攣した。うっすら開いた目は焦点が合わず、名前を呼ぶ声も小さな子供のように舌ったらずな響き。
やはりこの人は可愛いと思う。



「まだ明け方です。もう少し寝ていなさい」
「……はぁい……」



二階堂の言葉に素直に目を閉じたは、3秒後には再び軽やかな寝息を立て始めた。
取ったままの左手、その薬指に指輪を嵌めて、二度目の口付けと誓いの言葉を贈る。



―――貴方が私を幸せにしてくれるように、私もあなたを幸せに出来るように努力します」


自分に向けて囁かれたその言葉が聞こえているかのように、の寝顔がほろりと笑み崩れた。釣られて二階堂の頬にも微笑が浮かぶ。
目が覚めて指輪に気づいたら、この笑顔以上に可愛い反応を見せてくれるだろうか。
楽しみに思いながら、二階堂は再び布団に潜り込んで静かに目を閉じた。










[Happy birthday dear SHO. with love]
[080913 二階堂先生を全力で祝う会 にて初出 / 120217 一部修正・加筆の上、再公開]