好きです。好きでした。
今まで、ずっと。これからも、きっと。















最果て私信















ノックの音に、ドアの向こうではい、とくぐもった声が響いた。
ドアノブに手を掛けて、深呼吸をひとつして、悟郎は『御新婦様控え室』と書かれた案内を横目に見ながら、室内へと踏み込んだ。
明るい部屋の真ん中で、椅子に腰を下ろしたまま、白いドレスの人影が振り向く。耳に馴染んだ声が、悟郎君、と嬉しそうに名前を呼んだ。久しぶりに聞くその声に、悟郎の顔が自然と綻んだ。



「センセーすごいすごーい!ポペラきれーい!!」
「ふふふ、ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」
「お世辞じゃないよー!ホントに、すっごい綺麗。可愛いよ、センセ」



一言一言、ゆっくりと力を篭めて告げると、は嬉しそうに微笑んで、小さな声でもう一度ありがとうと呟いた。
紗のヴェールが微かな動きに合わせてふんわりとふくらむ。その下に隠れた、無垢な少女のように瑞々しいその表情に、悟郎が目を奪われた瞬間、唐突に鳴り響いたノックの音が、穏やかだった室内の空気を震わせた。
が返事をするより早く、勢いよくドアが開いて、見慣れた青年が姿を見せる。
先に入ってきた翼が、に寄り添う悟郎の姿を見止めて、軽く目を見開いた。



「翼君、一君、いらっしゃい」
「来てやったぞ、先生。何だ悟郎、早いな」
「翼たちもね。キヨたちは?」
「瞬と瑞希はまだみたいだな。清春は車ン中で寝てる。
―――おっ先生、似合ってんじゃん、ドレス」
「フン、俺に頼めば、もっと良いものを用意してやったと言うのに」
「翼ぁ?もっと他に言うことがあるでしょ?」
「……So beautiful. 花婿は幸せ者だな」



嗜めるように言って悟郎が脇腹を突付くと、翼は決まり悪げに目を泳がせて、ぼそりと短く呟いた。
朗らかな笑い声が場の空気を一層和ませる中、次々と他のB6たちも姿を見せる。式場のスタッフが現れて、そろそろお時間です、と告げるまで、室内はどこか懐かしい賑やかさに満ちた。
式の行われるチャペルに向かう為、部屋を出て行こうとするB6たちに、女性スタッフに囲まれて最後のチェックに入ったが声を掛ける。



「それじゃみんな、また後でね」
「ああ、また後で」
「virgin roadで転ばんようにな」
「あーそれ、僕もすっごーく心配!気をつけてねセンセ!」
「そんなドジはしません!」
「ヒャハハハハッ、ンなことになったら盛大に笑ってやンぜェ!」
「……ドレスの裾、踏まないように」
「もう!」
「ハハハ、んじゃな先生」



最後に出て行こうとして、ふと悟郎は足を止め、後ろを振り向いた。
スタッフに手伝ってもらって、椅子から立ち上がったと目が合う。パールピンクに縁取られた唇が、何?と問い掛けるように微笑む。その笑みがひどく眩しくて、悟郎は唐突に泣き出したくなった。



「悟郎君?」
「……センセ」



呼び掛ける声の優しさは変わらない。それが切なさを増幅させる。
訝しんだの顔から微笑みが消えてしまわないように、悟郎は精一杯の力を振り絞って、同じように昔のように笑ってみせた。






「幸せに、なってね」






一瞬の沈黙の後、の表情が柔らかく蕩けて。
その日一番の笑顔が白い面に浮かんだ。



「……ありがとう」




















控え室を出ると、悟郎は足早に廊下を歩き出した。
仲間たちがいるはずのエレベーターホールではなく、その手前にある階段を駆け下りて、一足先に外へ出る。ガーデンパーティーの準備が始まっている庭を通り抜け、その先にあるチャペルが見えたところでひとりでに足が止まった。
悟郎の頬を撫でた風が、頭上の木の枝を揺らす。ささやかに鼓膜を振るわせる葉擦れの音に、張り詰めていた心が緩んだ。ぎゅっと目を閉じた瞬間、頬の上を熱いものが滑り落ちた。



熱を帯びた瞼の裏でが笑う。
生涯一度の真白の衣を纏って、いつもと違う化粧を施して、この上なく幸せそうに。
あんな笑顔を彼女にさせることが出来たのが、自分ではないことが淋しくて、少し悔しい。
自分ではダメだって、もうずっと前にわかってはいたけれど。それでも。



―――き、だったよ……っ」



喉の奥から絞り出したような掠れた声は、風の音に紛れて、誰の耳にも届かず消えてしまう。
でもそれでいい。それは誰にも聞かせる必要のないもの。たった一人、その言葉を届けたい相手には、一番聞かせられない言葉。形にしたら、困らせてしまうとわかっているから。
この想いにどうか気付かないで。知らないままで、幸せに笑っていて。
ずっと先の先、今はまだ見えない未来までも。
いつかこの想いが優しい想い出に変わる日が来てしまっても、ずっと。






「大好き、だよ」



―――だから、言葉にするのはこれが最後。



そう心の中で呟いた時、風が聞き慣れた仲間たちの声を運んでくる。
いつもの笑顔で振り向く為に、悟郎はスーツの袖で涙を拭った。










[071107]