気がついたら、心はもう。






























語学準備室の扉を開けた瞬間、オレンジ色のジャケットの肩が跳ね上がる。
その反応に、は目の前の同僚にはわからないように苦笑した。



「お疲れ様です」
「うううううん、おっおぉ疲れ!」
「コーヒー淹れますけど、真田先生も飲みますか?」
「イタダキマス!」



デスクに腰掛けたまま、ギクシャクした動きで頷く真田に背を向け、は窓際にあるミニキッチンに足を向けた。小さいながらきちんとしたキッチンだ。やはり小さいけれど冷蔵庫もある。聖帝では各学科の準備室全てに同じものが備え付けられている。聖帝中等部に勤務し始めたばかりの頃、その話を聞いたは、流石金持ち私立は違うわ、としみじみしたものだった。
水量を確かめて電気ポットの再沸騰ボタンを押し、インスタントコーヒーの瓶を手に取る。インスタントとは言え、買えばそれなりの値がつくそれは、卒業後も頻繁に語学準備室に出入りしている斑目瑞希が差し入れてくれたもの。
先生には美味しいものを飲んで欲しいから、と折々に紅茶葉やらコーヒーやらを差し入れてくれる、その瑞希は今日はまだ姿を見せていない。
プラスチックカップにお湯を注ぎ、スティックシュガーとコーヒーミルクを添えて、真田の元へ持っていく。
デスクの上いっぱいに散らばる走り書きのメモと山積みの問題集から、テスト問題の作成中と知れた。



「真田先生、どうぞ」
「あっああ、うん、ありがとうっ」
「熱いですから、気をつけて下さいね」



デスクの上の隙間にカップを置いてから、真田のデスクと向かい合わせの位置にある自分のデスクに腰を下ろして、コーヒーに口をつけた。カップから立ち昇るいい香りのする湯気越しに、正面にいる真田の顔をちらり盗み見る。
まだ真っ赤に染まったままの顔で、何冊もの問題集と睨み合う。落ち着きなく動いていた目が、何かの弾みにパッと大きく開かれ、宝物でも見つけたかのように笑う。シャープペンを握り直してメモを取る。
くるくると良く動く表情と、目を惹かれる忙しない動作。

―――年上なのに、可愛いなんて言ったら、また泣いちゃうかしら。

ぼんやりとそんなことを思ったの脳裏に、一ヶ月ほど前の出来事が蘇った。






『つきあって下さいっ!!』



気のいい同僚としか思っていなかった真田からの、熱烈な告白を受けたのは一ヶ月ほど前。
瑞希にからかわれ、弾みで自分の気持ちを暴露してしまい、散々空回りまくった挙句、開き直っての唐突なその告白に、が返した答えは『少し考えさせて下さい』。
無難と言えば無難、性質が悪いと言われれば、確かにその通りかも、と思えてしまうものだった。
ただ、真田のあまりの必死さに、その場でごめんなさいと言うのが躊躇われたのも事実だったけれど、それまで全くそういう対象として見ていなかったから、時間をかけて考えたいと思ったのも事実だ。



告白されて、改めて思い返せば、真田の好意の示し方はいつだってとてもストレートで、わかりやすかった。何でその当時に気づかなかったのかと、自分を情けなく思いながら、真田との間の出来事や会話をひとつひとつ思い出すたび、自然と頬が綻ぶことに気づいた。
彼が注いでくれる想いは心地良かった。彼と過ごす時間も然り。
そのことに気づいた時、ちょうど傍にいた瑞希は、の顔を見て淋しそうに笑った。



『……真田先生に渡すのは、癪だけど。先生もそういう気持ちなら、仕方ない』






の淹れたコーヒーに手を伸ばし、もう片方の手で問題集のページを捲りながら、軽くカップを傾ける真田をじっと見つめて、は小さく笑みを零した。
鼓膜を振るわせた微かな笑い声に、真田がん?と俯いていた顔を上げる。そのきょとんとした表情が、胸の内に愛しさを募らせる。

やっと落ち着きかけていた真田の顔の色が、の視線を受けて、また真っ赤に逆戻りする。
あ、う、え、と挙動不審な呻き声が響く中、は笑って、用意していた言葉を唇に乗せた。










[ 070611 ]