カランと音を立てて、溶けて小さくなった氷の一欠片が僅かに沈み、また浮き上がる。
淡いグリーンに透けるグラスの向こうに見えるのは、のそれより少し濃い色の髪。くるくると表情の変わる愛嬌のある顔は、重ねた腕に突っ伏している所為で、今は全く見えない。
この店に入って早15分、は一度も彼の顔を見ていなかった。それどころか、声すら聞いていない。
だんまりを決め込んでいる彼の為に頼んだアイスコーヒーのグラスも、全く手つかずのまま。
居た堪れない空気に微かな溜息をつきつつ、身を乗り出して優しく声を掛けてみる。



「正輝さん、そろそろ飲まない?氷も大分溶けちゃってるから、ね?」
「…………」



小さな子供のように、うつ伏せたまま首を横に振る。は困り果てて天井を仰いだ。
今日は久々のデートだと言うのに何が悲しくてこんな状況に、と心の中でぼやく。こうなった原因の友人の顔を思い出して、眉間にぐっとシワが寄った。






『あれ、じゃない!』



真田と二人、映画館を出て歩いていたところに声を掛けられ、振り返った先にいたのは学生時代の友人だった。久しぶりの再会に盛り上がった後、の隣にいる真田に気づいた友人が、笑って言った言葉が、現状に至る引き金となった。



『そちらの彼は?あ、わかった!前に話してた教え子さんでしょ?聞いてた通り可愛いー!』






のバカバカバカー!どうしてくれるのよ!)



心の中でひたすら文句をぶちまける。友人に悪気がなかったのはわかっているが、如何せん間違え方が悪かった。童顔を気にしている真田には、何よりぐさりとくる一言だったに違いない。
同僚と聞いて慌てた友人に謝られ、笑顔で気にしないでと返していた真田だったが、その後二人に戻った途端に、ものすごい勢いでテンションが下がり、すっかり拗ねてしまった。
大の男が小さな子供のように拗ねる姿など、本来は鬱陶しいと思うだけだが、真田に至っては可愛いという感情が先に立つ。だがその感想を口に出せば、余計に彼の感情を逆撫でするだけだ。かと言って、下手な慰めの言葉も、今のこの状態では言うだけ無駄のような気がする。
自力で浮上してくれるまでじっくり待つしかないか……とこっそり嘆いていると、そんなの心の声が聞こえたかのように、のそりと真田が顔を上げた。が、浮かぶ表情はまだ暗く、浮上したとは言い難い。



「……あのさあ」
「な、何?」



喋る声にも覇気がない。つられて暗くならないよう、は精一杯明るい声で聞き返す。
テーブルから起き上がりはしたが、俯きがちの姿勢はそのままで、真田はぽつりと疑問符を口にした。



「……可愛いって話してた生徒って、誰?」
「はっ?」
「斑目?」



予想していたのとは違う問い掛けに、一瞬ぽかんとして、慌てて友人との過去の会話を反芻する。真田の指摘するとおり、主に話題に出ていたのは瑞希だった。すっごくカッコよくて可愛いのよ!と、普段はあまり表に出せない分、思いっきりミーハー根性丸出しであれやこれや話した覚えがある。
しかし、補習の為に一緒に過ごす時間が多かったから、必然的に話題の筆頭に上がっただけで、瑞希以外のB6メンバーやClassXの生徒のことだって話しているのだが。



「……えっと、確かに瑞希君の話もしたけど……」
「けど?」
「他のB6についても話してたし、瑞希君のことばかりって訳では」
「でも、話してたんだよな?」
「う、うん」



頷いたの前で、はあーっと大きな溜息と共に、真田は再びテーブルに伏せてしまった。
真田の言いたいことがわからず、脳裏で疑問符が点滅する。ますます対処に困り、問い掛けようとした時、ぼそぼそとした声がテーブルの上を這うように響いた。



「俺のことは話さないのに、斑目のことは話すんだ」
「…………」
「そりゃ、まだ付き合って日も浅いけどさ。一応、俺、彼氏なのに。一応だけど」
「……………………」



ライムソーダのグラスを持つの手が震え、中の氷がぶつかりあってカラカラと音を立てた。笑み崩れそうな顔面にぐっと力を篭め、吹き出したいのを必死で堪える。
生徒に間違われたことでコンプレックスを刺激され、落ち込んでいたのかと思いきや、友人との会話に出たという瑞希に嫉妬して拗ねていたとは、予想外もいいところだった。可愛いと言われても嬉しくない、という主張とは裏腹に、言動も行動も可愛くて仕方がない。
何とか気持ちを落ち着けて、伸ばした手で少し長めの髪を撫で、そっと名前を呼んだ。



「正輝さん」
「別にいいけどさ……って、何?」
「あのね、彼女と最後に話したのは二月なんだけど」
「……へ?」



お互いに仕事で忙しく、普段からなかなか会う機会がない友人。時折近況報告の電話をすると言っても、数ヶ月に一度とか、ひどい時には半年に一度がいいところだった。
今日の偶然の再会より前に彼女と話したのは二月。卒業式を間近に控えた冬の終わり、まだ瑞希たちB6が、聖帝高等部に在学していた頃のこと。



「その頃、私はまだ正輝さんとお付き合いしていないでしょ?」
「……そ、だね」
「そうよ」



あの頃の真田は、にとっては気のいい同僚で、恋人ではなかった。付き合い始めたこと自体、割と最近のことなのだから、二月以降連絡を取っていなかった友人に話している訳がない。
の言葉に反射的に相槌を打った真田が、はたと我に返って頬を赤く染めた。
頭を抱え込むようにして顔を隠し、自身の腕の陰からの顔をちらちらと見ては、ますます顔を赤らめる。そんな仕草も可愛くて、堪えきれずにクスクスと笑いが零れた。



「……ああーもう、カッコ悪い、俺……」
「情けなくなんかないわ。それにヤキモチ焼いてもらえて嬉しい」
「……ホント、ゴメン」
「いいのよ。私の方こそ、友達が失礼なこと言ってごめんなさい」
が謝ることじゃないよ。友達だってちゃんと謝ってくれたじゃん」



笑って言った真田に微笑み返して、ストローに口をつける。甘酸っぱいソーダで喉を潤し、すっきりした気分では口を開いた。



「でもよかった。生徒に間違われたことで落ち込んじゃったのかと思ってたから
―――
「ん?」
「え?」
「…………そうだった……生徒に間違われたんだ、俺……」
「……あっ!まっ、正輝さんっ!」






そして状況は、また振り出しに戻る。










[070711]