や さ し い ひ と















唐突に鳴り響いた短いメロディに、は手元の雑誌に落としていた視線を上げた。
テーブルの上で小刻みに震えてメールの着信を知らせる銀色の携帯。数秒後にぴたりと動きを止めたそれを手に取って送信相手を確認すると、自然に溜息が零れた。
先日、人数合わせに無理やり参加させられた合コンで会っただけの、知り合いと呼ぶのも微妙な相手。電話帳登録していないから名前は出ないのに、アドレスを見ただけでその人からだとわかるのは、ここ一週間程の間に半端でない数のメールや電話を受けている所為だ。
届いたメールを読まずに消去し、携帯を元あった所に戻しては再び雑誌を開いた。

10分後。
先程と同じメロディが鳴り、テーブルの上でまたもカタカタと携帯が震えた。
送信者はまた同じ。深い皺を眉間に刻みながら、今回も読まずにメールを消去して携帯を放り出す。

そして5分後。
三度目のメール着信を知らせるメロディが鳴った瞬間、読みかけの雑誌がの手を離れて勢いよく宙を飛んだ。ガシャ、バサ、と耳障りな音を立てて、テーブルの上の携帯ごと床に落ちる。
携帯はそのまま1分程沈黙した後、雑誌の下からくぐもった音で四度目の着信を知らせてきた。
今度は普通に掛けてきたらしく、着信音は一向に鳴り止まない。相手に対する嫌悪感や苛立ちで半ばパニックになって泣き出しかけた時。
前触れなく、玄関のチャイムが鳴った。
咄嗟に見上げた壁時計は、10時をとっくに回っていることをに教えた。こんな時間に、事前に何の連絡もなく訊ねてくるような知り合いはいない。
数秒の沈黙の後、もう一度チャイムが鳴り、続いてドア越しに少しくぐもった声が聞こえた。



―――?いないの?」



その声を聞いた途端、一気に緊張が解れた。ドアノブに飛びつくように鍵を開ける。
すごい勢いで開いたドアに驚いて、外にいた真田は大きく一歩後退った。



「うわっ」
「ご、ごめんなさい!どこかぶつけた?」
「アハハ、大丈夫大丈夫、全然平気」



笑い声と共に明るい笑顔が降ってきて、つられて笑った頬を冷たい夜気が撫でた。暗い夜空をバックに寒そうに肩を竦めているのを見て、は慌てて真田を室内に招き入れる。靴を脱いで上がり込む真田と入れ替わりに玄関に下りて、ドアの施錠をしながら何気なく訊ねた。



「こんな時間にどうしたんですか?」
「あれ、俺、今日行くって言ってなかったっけ?」
「え?……あ」



真田の言葉に、昼間の会話を思い出す。夕方から二階堂と寄席に行くけれど、その後でよかったら家に行くよ、と言われて了承したのに、すっかり忘れていた。
慌てて謝って、気にしてないって、と笑う真田に微笑み返した瞬間、部屋の奥から聞こえてきたメロディが、せっかく和らぎ始めていた気分を台無しにした。
が露骨に身体を強張らせたのを見て、真田の表情がすっと変化する。




「あっ……」
「ごめん、俺が出るよ?」
「え……」
―――もしもし」



短く告げて奥に踏み込んだ真田は、床の上でしつこく鳴り続ける携帯を拾い上げた。面食らうの前で通話ボタンが押され、電話が繋がる。
普段と違う硬質な声で電話の向こうに話し掛けるのを、は呆気に取られながら聞いていた。
抑えた口調で終始冷静に応対していた真田は、最後に「今後一切彼女に連絡してくるなよな」と告げて通話を切った。吐息と共に携帯を閉じて、まだ呆けているに向かって差し出す。



「はい、携帯」
「……あ、はい……」
「多分、これでもう掛けてこないと思うけど、また掛けてくるようなら電話番号変えた方がいいよ。二階堂先輩とか九影さんなら確実に撃退出来るんだろうけど、俺だとちょっと不安だし。……って、自分でこんな風に言っちゃってんのってかなり情けないよな」



アハハ、と少し弱々しいトーンで笑って頭を掻く様子はすっかりいつもの真田に戻ったように見えたが、は携帯を受け取りながらふと引っ掛かるものを感じて口を開いた。



「正輝さん?」
「ん?」
「私、電話のこととか、話してないですよね……?」
「うん、聞いてないよ」
「じゃあ、なんで」
「毎日会ってるんだから、様子がおかしいことくらいわかるって」
「でも」



言い掛けて口篭ったの前で、真田は僅かに表情を硬くした。
怒っている訳ではなさそうだったが、一文字に引き結ばれた唇と真っ直ぐ見下ろしてくる視線は、いつになく強い意志を感じさせて直視し辛い。
何も言えずに俯いてしまったの耳に飛び込んできた声は、責める響きこそなかったけれど、を更に恐縮させるだけの力に満ちていた。



「俺、自分でも頼りないと思うけどさ、流石に何も相談してもらえないのはちょっときつかった」
「……ごめんなさい……」
がめちゃくちゃストレス溜め込んでんのわかってたのに、平気な顔作って笑ってんの見たら何も言えなくなっちゃって。黙って上手くフォローしてあげられたらよかったんだろうけど、俺ホント情けないけど、そういうの下手だからさ……ごめん」
「そんなこと」
「こういうこと言うと余計情けないかもしれないけどさ、何かあったら隠さないで、相談してほしいよ」



最後の言葉と同時に投げ掛けるように腕が回されて、そっと抱きしめられた。
耳元に零れ落ちてくる囁きは少し掠れて、泣いているように聞こえた。



「大したことは出来ないけど、何かさせてよ。俺に出来る精一杯のことするからさ」
「……はい」
「ホントごめん、頼りなくって」
「そんなことないです」
「そんなことあるって。あーホントマジで情けない、俺……が合コン連れてかれたことだって、斑目に言われて初めて知ったしさあ」
「何で瑞希君が知ってたの……」
「友達に引き摺られてくの見掛けたんだって。つーか見てたんなら助けろよって話だよな!」



抱きしめた腕はそのままで、憤慨して愚痴り始めた姿は、今度こそ本当にいつもの真田で。
安堵感に任せて真田の胸に身を預け、はゆっくり瞼を閉じた。
この優しい人が傍にいてくれて良かったと思いながら。










[080202]