彼女の瞳は何時だって真っ直ぐに。 疑う余地もない程に、ただ真っ直ぐ、僕の未来だけを見つめている。 幸福しか祈らない目 突然響いた小さな物音に、優しい闇の中を揺蕩っていた意識が、ゆっくり現実へ引き戻される。少しずつ明瞭になる話し声に誘われるように、瑞希はそっと瞼を押し上げた。 「――――――」 もうすっかり聞き慣れた、温かく優しい声が鼓膜を振るわせる。 去年の春、初めて逢った頃は、正直鬱陶しいとしか思えなかったのに、今はその声を聞くだけでほんのりと心が温かくなる。 大切なひとの、大好きな声。 自分がいるとは知らないらしい彼女に気づいてもらいたくて、横になっていた身体を起こしかけた時、続いて発せられた言葉が瑞希の動きを止めた。 「私の教師生命と瑞希君の受験を天秤に掛けろだなんて……」 (……え?) 不穏な内容の独白に、小さな親友の鳴き声が重なる。瑞希の存在には気づかないまま、はトゲー相手に淡々と語り出した。彼女の胸の内にある心配事は、誰でもない自分のこと。 ぽつりぽつりと零れる言葉に混じる、受験と言う言葉に瑞希の表情が自然と強張る。受験はしない、したくない、と意思表示し続けてきた瑞希の気持ちを、は尊重してくれると言った。けれど、自分の職や生活が関わってくるとなれば、話は違う。 人間は誰だって、自分が一番可愛い。それはきっと、も。 (でも、先生、なら) は違うかもしれない。そんなふうに考えて、瑞希は自分の思考に驚いた。昔の自分だったら、決してこんなふうには考えられなかった。人間なんて信じる価値がない、そう思っていた昔の自分なら。 (僕は、変わったのかな……?) そう自分に問い掛けた時、慌てふためくトゲーの声と扉の閉じる音が、瑞希を我に返らせた。 起き上がって、がいたはずのソファに目をやる。求める姿はそこにはなく、トゲーが黒いビーズのような瞳で瑞希を見上げて、急かすように何度も鳴いた。 小さな白い身体を手のひらに掬い上げて、一緒にバカサイユを出る。 人気のない校舎に駆け込み、最短距離で目的地である職員室前へ辿り着いた瑞希の耳に、タイミングを計ったように聞こえてきたのは、きっぱりと言い切るの言葉だった。 「―――斑目君は私が守ります!」 僅かの迷いも感じさせない、きっぱりとした言葉。 壁に阻まれて今は見えないが、どんな表情をしているかも、瑞希にはわかった。 瑞希よりもずっと小さな身体で、瑞希を守る為に、真っ直ぐに前を見据えているのだろう。 何の見返りも求めず。ただ一心に、瑞希の行く末を、幸せを、心を守ろうとして。 耳元で嬉しげに鳴いて小さな手で頬に触れたトゲーに、瑞希は静かに微笑み返して、そっとその場を後にした。 温かな感情に満たされた、温かい心に、一つの決意を抱いて。 [ 070609 ] |