待ち合わせの場所が見えるところまで来て、の足はぴたりと動きを止めた。 週末の駅前は、いい感じに人込みでごった返している。待たせている相手は、その中にあって一際目立っていた。 見上げるような長身に、本人曰く『一分刈り』の金髪坊主頭。サングラスに隠れた顔立ちは、よく見れば十分に整っているし、服やアクセサリーの趣味も決して悪くはないと思うのだが、それら全てが組み合わさると、何故だか『その筋の人』に見えてしまう。 そのいかつい風貌にはもうすっかり慣れただったが、今日に限っては少しばかり勝手が違った。 (……は、迫力……) 大きな花束を無造作に肩に担いだその姿は、普段に増して凄みが増していた。決して似合わない訳ではないけれど、かっこいい、と言うよりは迫力がある、と評した方がしっくりくる。 心なしか、周囲を通り過ぎる人々が足早になっている気がした。そのくせ、集まる視線はいつにも増して多いようにも感じられる。そんなところへ踏み出すには、流石に少々勇気がいった。 しかし、待ち合わせの時間はもう間近だし、時間を置いたところで、集中する視線がなくなる訳もない。 すうっと大きく息を吸い込み、は止まっていた足を再び動かした。 「九影先生」 「おう」 呼び掛けた声に振り返った九影が、待ち人を見つけて気さくに笑う。 色の薄いサングラスの奥の目が柔らかく和むのを見て、もつられて微笑んだ。 「お待たせしてすいません」 「大して待っちゃいねえよ。行くか」 「はい。ところでその花って、瞬君に、ですか?」 「ん?ああ……」 歩きながら問い掛けると、九影は日に焼けた顔を僅かに赤く染めた。 似合わねえのはわかってんだけどな、と呟く横顔が何だか可愛く見えて、は思わず小さく吹き出してしまった。じろりと睨みつける表情は、九影を知らない人ならば震え上がりそうな迫力だったけれど、照れ隠しとわかっていると怖くは感じない。 「何笑ってんだコラ」 「フッ…す、すいませ……」 「台詞と表情が合ってねえぞ。……来る前に実家に寄ったら、ちょうど稽古用の花が届いてたんだよ」 「ああ、それでですか」 「七瀬のこったから、花より何か食いモン寄越せとか言いそうだがな」 九影の言葉に、大学進学後も堅実な節約生活を送る教え子の顔が浮かんだ。 ついでに言うと、生菓子などより乾物やらレトルトの方が倍喜ばれる。実家から送られてきたお中元の一部をお裾分けしたら、感涙にむせばれたのはつい最近のことだ。瞬らしい反応を思い出して、は更に表情を綻ばせた。 そんなの頭の上に、ばさっと音を立てて花束が乗せられた。視界が翳り、それと同時にふわりと馨しい芳香が鼻腔をくすぐる。 薄紅の花びらが一枚、ひらりと舞い落ちるのを手のひらで受け止めて、抗議するように九影を見上げると、にやりと楽しげな笑みが返った。 「何するんですかー!」 「花粉はちゃんと取ってあっから安心しろ」 「そういうことを言いたいんじゃないです」 「わかってら。お前の百面相が面白かったんで、ついな」 「ついじゃないですよ、もう」 「あーそうだ、これな、七瀬にはお前から渡してくれや」 「えっ、わっ」 もう一度ばさりと音を立てて、今度は腕の中に花束が落ちてくる。咄嗟に抱きしめたそれから、馥郁とした花の香がさっきよりも強く薫ってきて、は思わずむせそうになった。 色とりどりの花越しに見える九影の顔が、今日見た中で一番優しくなった。 「やっぱりお前が持ってる方がいいやな」 「え?」 「俺なんかが持つより、お前が持ってる方が綺麗に見える」 「……!」 「おいおい、何赤くなってんだ?綺麗に見えるってのは花がだぞ」 「わっ、わかってますっ」 「おおそうかよ。―――ま、花なんかなくたって、お前は十分いい女だぜ」 「〜〜〜!」 「ほれ、着いたぞ」 さらりと口にした台詞に合わせて、意味ありげに笑って、でも次の瞬間にはいつもの表情に戻って、いつの間にか到着していたライブハウスの扉を開けてくれる。 短くお礼を言って扉をくぐる。みるみる火照っていく顔を花束の影に隠すと、くらりと眩暈を感じた。強い花の香りと、九影の言葉や視線に酔わされて。 九影は、ここぞと言うところで鳳や衣笠ばりの凄い台詞を吐くから、性質が悪いと思う。思えば、最初に口説かれた時もものすごい不意打ちで、は危うくふらりとよろめいてしまいそうになったのだ。 結果的には、あの時は何とか踏み止まった。 それから何だか中途半端な関係のまま、今日まで来てしまった。実を言うと、今の自分たちの関係は、にもはっきりとわからない。恋人ではない。でもただの同僚というのも、少し違う気がする。 今みたいに二人で出掛けたりもするし(ほとんど瞬のライブだけれど)、さっきみたいに意味深な台詞を言われたことも、一度や二度ではない。でもはっきりと答えを求められたことはない。 ぬるま湯みたいな、今の関係。 (……私から言い出すのを、待ってくれてる、のかな) 瞬たちの控え室に向かう廊下を、一歩先を歩く大きな背中を見つめて、はふと思った。 の迷いを、九影は感じ取っているのかもしれない。 決して嫌いではないけれど、はっきり恋愛とは断定出来ない。誰よりも特別、とは、まだ言い切れない。 曖昧で半端な今の関係は心地良くて。でも、いつかは答えを出さなければいけないとはわかっている。 だけどまだ、もう少し時間が欲しい。 多分待ってくれているのだろう、九影の優しさにもう少しだけ甘えることが許されるなら。 「―――?」 名前を呼ぶ声に鮮やかな花の色から視線を上げると、控え室の扉に手を掛けてこちらを振り向く九影と目が合った。 いつの間にかサングラスは外されていて、素通しの鋭い眼差しが、真っ直ぐに、切り込むように見つめてくる。そこに感じるのは、自分に向けて放射される確かな熱。 その熱を受けて、引いてきていた頬の火照りが再び上昇していくのを感じながら、ははい、と頷いて九影への一歩を踏み出した。 [070904] |