たとえばあなたとすごしたひびがまぼろしだったとしても。 それでも想いつづければほんとう 人込みの中で、突然懐かしい名前を聞いた。 買ったばかりの春物が入ったショップバッグの持ち手が、するりと肩を滑って肘まで落ちてくる。 細い組紐の持ち手を肩まで引き上げてから、ゆっくりと見上げたビルの壁面。 大型スクリーンに映し出されているのは夕方のニュース番組で、最近人気の女性アナウンサーがにこやかな笑顔を振りまいている。その背後に羅列された文字列の一つがクローズアップされ、通りの良い声がそれを読み上げる。 『―――に、真壁グループ会長、吉仲氏の長男・翼氏が就任し―――』 映像が切り替わる。何かのレセプション会場だろうか、正装した男女が行きかう豪奢な室内をバックに、シックなスーツをぴしりと着こなした青年が大きな画面いっぱいに映し出された。 どことなく似た面差しの紳士に付き従うように一歩引いた位置で、話し掛けてくる人々を相手に、慇懃に微笑み言葉を交わす。話している相手は明らかに欧米人で、映像のみで声は聞こえなかったけれど、形のいい唇から零れ出る流暢な英会話が容易に想像出来た。 ――――――英語だけは最初から出来が良かったものね。 対照的に出来が悪かった国語も、気がつけばおかしな使い方はしなくなっていて。ふとそのことに気づいた瞬間、嬉しさと共に言い知れない淋しさを感じたことを思い出す。 時間にしてほんの一分足らずのニュース。 目まぐるしく画面は切り替わり、懐かしい姿の代わりに一足遅れて咲いた地方の桜が映し出された。 流れる人込みの中に立ち止まって、スクリーンを見上げていたの肩に、トンと見知らぬ誰かの身体がぶつかって、一度は引き上げたバッグの持ち手が、再び肩から滑り落ちた。 「あ、すみま……」 ぶつかった女子高生の謝罪の言葉は途中で途切れて、アイラインとマスカラで縁取られた大きな目が、じっとの顔を見つめる。そしてどこか慌てた様子でカバンのポケットから取り出した何かを、そっとの手のひらに押し付けた。 「あの」 「え?」 「これ、よかったら」 反射的に受け取ったそれは、その辺で配られているポケットティッシュ。 ぺこりと頭を下げて、再び雑踏の中に溶け込んでいく女子高生の背中をしばらく視線で追ってから、はそっと手を上げて自分の頬に触れてみた。 (……あ、れ?) 指先に温かく濡れた感触。 気づかないうちに溢れ出していた涙は、気づいた瞬間にその勢いを増して、幾筋もの透明なラインを頬の上に描き出す。 もらったポケットティッシュで目元を押さえて、ぐっと俯いたの脳裏に、懐かしい声が木魂した。 『さようなら』 それは彼の最後の言葉。 想いは通じ合っていたのに、二人が選び取ったのは終焉。 確かに二人で重ねてきたはずの日々は、まるでもう遠い夢のようで。 もう二度と逢えないけれど。 ―――流れる涙は、まだ想いが生き続けている証し。 例え二人で過ごした記憶が幻になってしまっても。 こうして泣ける限りは、きっとこの想いだけは幻にはならない。 [ 070607 ] |