唇で、指で、触れるたび生まれる熱に、ゆるゆると身体と心がほどけてゆく。
壁から天井に掛けて嵌めこまれた、大きな一枚硝子の向こうに見える漆黒の空に、鮮やかに大輪の花が咲いた。ドン、という音と同時に散らばり、ゆっくりと闇に溶けるその火花のように、の愉悦混じりの吐息も、室内にわだかまる静けさに溶けた。















ビューティフルライブ















襖を開け、室内に一歩踏み込んで、は絶句した。
エンパイアルーシュの翼の部屋、その一角にある広い和室を、溢れる色彩が埋め尽くしていた。
濃藍、紫黒、褐返。月白、白藤、薄花桜に江戸紫、蒲葡、二藍、京紫。
水浅黄に鶸萌黄、淡萌黄。朱、濃紅、銀朱、今様色に長春色。
ある色には紅白椿が咲き乱れ、またある色には紫陽花がしっとり露に濡れる。至るところで蝶が舞い、蜻蛉が横切り、手鞠が跳ねて扇がひらけ、鈴が鳴る。
市松、矢絣、格子、様々な色柄の帯があちらこちらに垂れ下がっている。
乱舞する色彩にちかちかする目を擦り、は何度も瞬いた。
誰かが背後に立つ気配に続いて、恋人の甚く満足げな声が頭上で響く。



「どうだ?全てお前のものだ、どれでも好きなものを選べ」
「…………つ〜ば〜さ〜くん〜!」
「なんだ、気に入るものがないのか?colorもdesignもこれだけ取り揃えてやったというのに」
「そうじゃないでしょ!一着あればいいものを、どうしてこんな大量に用意する必要があるの!」
「I want to choose the thing becoming you most!その為に揃えたんだ、悪いか」
「限度ってものがあるでしょう、もう……」



呆れがちに呟いて一枚を手に取る。明らかに上質の品とわかるそれに、思わず溜息が零れた。






事の発端は、先日が読んでいた雑誌。
夏のイベント特集と銘打った記事に、都内近郊の花火大会のスケジュールが記載されているのを見て、たまには庶民的なデートをしたい、という運びになったのだ。
普通のカップルのように徒歩で出掛け、浴衣姿で夜店を覗きながら花火見物。他愛のないプランだが、たまにはこういうのもいいじゃない、とが押し切った。最初こそ、わざわざ観に行かずとも花火くらい自分がいくらでも打ち上げさせる、などと言っていた翼も、最後にの熱意に負けて承諾した。
せめて浴衣くらいは自分に用意させろ、と翼に言われ、せっかくの好意だからと、も素直にそれを受けたのだが。
その結果が今、目の前に広がる光景という訳である。






数える気にもなれない程の浴衣の山を眺めて、はしみじみと呟いた。



「夏中浴衣で過ごしても、これ全部に袖を通すのは無理だわ……」
「心配しなくても、持って帰れなどと言う気はないぞ。うちできちんと保管しておいてやる」
「当たり前です!私のアパートに入りきる訳ないじゃないのよ」
「そんなことより、ドレを着るんだ?早くしないと花火が始まるぞ」
「ええっ、もうそんな時間なのっ」



驚いて腕時計に視線を落とす。予定の時間まで既に一時間を切っていた。
今日行く予定の会場は、エンパイアルーシュから歩いて20分程の河川敷。着付けに掛かる時間を考えたら、既にギリギリの時間だ。花火自体は翼の部屋からでも十分観られるが、それではいつものデートと何も変わらない。
慌てて手近な浴衣を数枚、適当に手に取る。悠長に一枚一枚あててみる時間はない。
うっすら青味がかった白地に藍色や紫色の小花が散る物に、紺色の帯を合わせて選んだ。それを見た翼がにっと笑う。



「なかなか悪くないchoiceだな。貸せよ、着付けてやる」
「いっ、いい!ちゃんと覚えたから自分で出来ます!居間で待ってて!」
「uninteresting... まあ、仕方がない。俺の為にしっかり着飾ってこいよ」
「わかった、わかりました」



襖の向こうに翼が姿を消すのを確認して、は姿見の前で慣れない着付けに取り掛かった。




















苦労の末、何とか着付けを終えて居間に戻ると、そこで待っているはずの翼の姿はなかった。
時計の針は既に打ち上げ開始の三分前。思ったよりも着付けに手間取って、時間を食ってしまった。



「翼君?どこにいるの?」



名前を呼びながら奥へ進む。絨毯張りの長い廊下の先、つきあたりの扉が細く開いているのが見えた。もう何度も出入りしている、翼の寝室。
そっと扉を押し開き、室内へ身体を滑り込ませる。素足で触れるフローリングはひんやり冷たくて、ぞくりと背中が震えた。



「翼君?用意出来たんだけど……」



暗い部屋の中、大きな一枚ガラスを嵌め込んだ天窓から差し込む月の光を頼りに、翼の姿を探す。ぐるりと室内を一望した時、横から声が聞こえてきて、次いでふわりと抱きしめられた。



「ここだ」
「ひゃっ!」
「もう少し可愛げのある声を上げられんのか?」
「悪かったわね!驚かせないで、もう」
「フフン……似合うじゃないか、マゴにもイショウだな」
「……あのね、それは褒め言葉じゃないわよ」
「う……だからつまり、よく似合ってる…… Fascinated with you... と言いたかったんだ」



久しぶりのダメ出しに、翼は気まずそうに視線を反らし、改めて英語で囁いた。
その拗ねたような横顔に懐かしさを感じて、が微笑んだ時、ドォン、という音が窓ガラスを震わせ、大きな天窓いっぱいに鮮やかな火花が散った。



「やだ、始まっちゃったわ。翼君、急い―――



呼び掛けた言葉が最後まで紡がれることはなかった。
触れるだけのキスはすぐに離れ、二つ目の花火が翼の顔を照らし出す。薄く微笑む唇に移ったの口紅が、翼の白い肌に映えて一際鮮やかに紅い。
夜空に散る花火の火を映して、翼の眸の赤も一層深みを増した。
笑い含みの声が、花火の上がる音に紛れて、かろうじての耳に届く。


「今日の外出は止める」
「え、ちょっと、翼君!?」
「花火ならここからの方がよく見えるしな。庶民デートはまた次回でいい」
「そんなぁ、せっかく浴衣着たのに」
「俺の為に着たんだろう?だったら問題ない、俺は十分タンノウしているぞ」



ククッ、と低い笑い声が響き、それを合図のように、翼の腕がの身体を軽々と抱え上げた。
抗議の声は再び重ねられた唇に吸い取られる。唇から頬、耳元へと滑っていった翼の唇が、衣紋から覗く項に到達し、生温かい舌がぺろりと首筋を舐めた。



「……っ」
「いつもよりsexyに見えるな、浴衣のおかげか?」
「すいませんねぇっ、いつもは色気がなくて!」
「安心しろ、ベッドの中のは十分色気がある。今日はそれ以上だと言ってるだけだ」
「そういう恥ずかしいことを、平然と口にしないで……っ」



三度目で、キスが少し深くなる。残りの口紅を舐め取るように、翼の舌先が唇のラインを辿り、ゆっくりと抉じ開ける。が逃れようと喉を反らせると、微かに笑った翼の吐息が、重なったままの唇を柔らかくくすぐった。
ベッドに横たえられながらのキスが、ますます深くなる。歯列をなぞり、舌を絡め取り、喉の奥からせり上がってきたの吐息を、欠片も残さず奪い取ってゆく。
の身体を支える翼の手のひらが、背中を撫でるように下へ移動していって、器用に帯をほどいた。ウエストを締め付けていた力が弱まり、はあっと大きく息をついたは、わざと怒った口調で呟く。



「せっかく、今までで一番うまく結べたのに」
「解かなければ抱けないじゃないか」
「花火を見るんでしょ?」
「花火を見ながらでも抱ける、no problemだな」
「勝手、なんだか、……」



くつろげた襟元から覗く鎖骨を強く吸われて、語尾が甘く蕩ける。
肌襦袢の襟合わせも乱れ、露わになった胸を夜の冷気がそっと撫でてゆく。がふる、と身体を震わせた瞬間、胸の先端を吸われ、柔らかく噛まれて、空を裂く稲光のように背筋に電流が走った。
ふぁ、と吐息混じりに啼いたの声に反応して、緩やかだった翼の動きが少し早まった。もう一つの先端を愛撫していた指先が、脇腹をなぞりながら下へと降りていく。
上前の合わせからするりと入り込んだ指先に、つっと大腿を撫でられて、の全身が戦慄いた。
生理的な涙が零れ落ちる。ぼやけるの視界で揺れていた翼の髪がすっと消え、一拍おいて大腿に触れた温もりに、の身体の芯がジリっと強く痺れた。膝の裏から腿ヘと滑っていった舌先が、蕩けている箇所に差し込まれる。そのまま優しく吸い上げられ、僅かに残っていた理性の箍が弾け飛んだ。
断続的に響く掠れた嬌声と、次々と夜空に散る花火の色を映す白い肌に心を掻き乱されたように、翼の表情からも余裕が失われる。



「ぁ、ぁ……あっ」
「っ……っ」



もどかしく服を脱ぎ捨てた翼に強く抱きしめられて、汗ばんだ肌に胸を押し潰される。
十分に潤っていたの中心は、僅かな圧迫感を与えただけで、柔らかく翼のものを飲み込んだ。
入り口を擦り上げる熱に、の中がますます蕩けた。きゅう、と締めつける感覚に、翼がクッと眉間にしわを寄せて唇を噛む。
身体の中心でゆるゆると翼が動くたび、止め処なく新しい熱と快感が生まれてくる。自分の中でどくどくと波打つ翼の鼓動が、の思考から羞恥心を奪い去った。不規則に響く花火の音に掻き消されないよう、甘く掠れた声で繰り返し翼を呼び、腕を伸ばす。皺を刻んだ浴衣の白い袖が頼りなく揺れた。



「つ、ばさくん、っ、んぅ…んん、んっ」
…っは、ク……」



火照った腕に指を絡め、爪を立てる。片足を肩に担がれ、より深いところを穿たれて、堪えきれずに全身をぎゅっと強張らせた後、は一気に脱力した。ぐったりとシーツに横たわるに数秒遅れて、翼も身体を強張らせ、微かに痙攣しながら静かに倒れ込んだ。
を押し潰してしまわないように、ぎりぎりのところで腕を突き、身体を支える。
うっすらと開いた瞼の下でぼんやりとけぶる視線が、野性的な光を浮かべた赤い双眸と絡み合った。
鋭く輝いていた翼の眼差しがふうっと揺らぎ、穏やかさを取り戻した。額が触れ合い、唇が重なる寸前で止まる。まだ荒い息の下から零れた掠れた呟きが、吐息と共にの唇を湿らせた。



「my dearest, ……love you...」
「……私も、愛してるわ」
「It's natural.」



当然だ、と笑った翼の鼻を軽く抓って、軽く触れるだけのキスをする。のそれよりも、幾分深いキスを返して、翼はの隣に崩れ落ちた。
連続で上がった花火が次々に花開いていくのを見ながら、二人は手を繋いで睡魔に身を委ねる。
次はちゃんと浴衣でデートしてね、と夢現に囁いたの耳元で、翼の低い笑い声が木霊する。それを最後に、の意識は、闇に溶ける花火のように静かに途切れた。










[070713]