白く、紅く、染めて 「……ぁ……っ!」 静謐な室内の空気を乱すように、囁きに近い声が上がった。 甘やかなその響きに誘われるように、上條は愛撫の手は止めないまま、淡い水色の襟元から覗くうなじに唇を這わせて強く吸った。白く柔い肌に鮮やか過ぎるほどの紅い色が浮かび上がる。 締め切られた厚地のカーテンが窓から差し込むはずの西日を完全に遮り、ともされた灯りは片隅のスタンドライト一つだけの薄暗い部屋で、の白い肌はひどく眩く感じられた。 まだどこか未成熟に思える細く華奢な身体をデスクにうつ伏せて身悶える様は、不思議とあまりいやらしさがない。薄桃色の唇から零れる声の甘さも、艶めかしさよりも可憐さを感じさせる。 服の上からなぞるラインはやや凹凸に乏しくはあるが、それでもその柔らかさはやはり女性ならではで、触れるたびに身体の奥が疼いた。 たくしあげたスカートの裾から忍ばせた手でさらりと肌を撫で、指先がショーツの薄い布越しに秘められた場所をなぞると、は声をあげて背中を軽く仰け反らせた。 小さな爪が、がり、と音を立ててデスクの表面を引っ掻く。その音からして結構な力で引っ掻いたように思えたが、厚くニスを塗り重ねた重厚な木目には傷ひとつ残っていない。 「爪が割れてしまいますよ」 「……っそ、んなこと、言われても……っ」 「せっかく綺麗な指をしていらっしゃるのに」 愛撫の手を止め、うつ伏せのままで弛緩しているの身体をそっと抱え起こす。身体の向きを変え、デスクの上に座らせるとその手をとって、全ての指先に口づけていく。二十代の女性にしては短い爪。マニキュアも塗られておらず、教師という職に誇りを持って日々邁進しているらしい飾り気のなさだったが、つやつやとして綺麗だった。 その指先を軽く口に含んで吸い上げると、の頬が更に上気した。薄く開いた唇から洩れる吐息が熱を帯びる。 そのまま指と指の間に舌を滑らせ、更に手のひらへ。ゆっくりと辿って到達した手首の内側に強く噛み痕を残したい衝動を堪えて、柔らかく唇を押しあてるだけに留めた。 手首を抑えたまま、ゆっくりと顔を上げると視線が交わった。吐息と同じく、その眼差しも熱を帯びているけれど、やはり可憐な雰囲気はそのままだった。 汚しても穢しても、染まらない。 ふと、天童がのことを「マリア」と呼称していたことを思い出す。 マリア―――『聖女』。 普段の彼女を見ていて、そんな事を思ったことはなかったが、今はその呼称が似つかわしいように思えた。 周囲の色に染まることなく、理想に押し潰されて歪むこともなく、理想を理想のままで終わらせず真っ直ぐに突き進んでいく強さ。 その強さが自分にもあったら、こんなふうにはなっていなかっただろうか。 そうしたら、ともきっともっと違う出会い方をして。 (考えて、どうなることでもないだろうに) 思っても詮のないことと心の中で密やかに溜息を零し、そっと顔を近づけて唇を触れ合わせると、びくりとの身体が強張った。その過剰なまでの反応に、そう言えばキスをしたのはこれが最初だったことに思い至る。 「か、みじょう、先生」 「……なんでしょう」 「どうして、こんな、こと……なさるんですか」 途切れ途切れに紡がれた言葉は今にも泣き出しそうに響いた。 潤んだ眼差しと再度視線が絡み合う。 声のまま、泣き出しそうな表情がひどく愛しくて、それに誘われるように、先程よりも深く唇を重ねた。 掴まれていない方の手が上條の肩を押し返すが、大して力もないの細い腕ではびくともしない。必死に突っ張るその手首ももう片方と同じように捕えてキスを続ける。何度も角度を変え、舌を絡め、口腔内を余すところなく蹂躙し尽くしてからやっと唇を離した。 抵抗しようにも力が入らないのか、くたりと上條の肩にの頭が凭れかかる。ふわりと頬をくすぐった柔らかな髪にそっと口づけて、上條はほとんど吐息に近い囁きで、先程の問い掛けに答えた。 「貴方が、好きだからですよ」 「……え……」 「どうしてこんなことをするのかと聞かれたからお答えしたのですが」 「…………」 「好きです」 短い告白の言葉と共に三度目のキスをする。一度目と同じくそっと触れるだけで終わらせて、今度は首筋に舌を這わせようとすると、慌てたようなの声がそれを遮った。 「ちょっ……ちょっと、待って下さい!」 「今更待ってと言われても」 「だって!……い、いきなりこんな、いろいろ過程をふっ飛ばしすぎじゃないですか……っ!」 「そう言われてしまうとその通りなんですが」 「だったらっ」 「でも、またこんな機会が得られるかわからないんですよ」 「え?」 上條の発した言葉の意味をはかりかねて、短く聞き返してくるのにはあえて答えず、上條はを捕えたままだった手を離して、きっちり絞めていたネクタイを素早く解き、するりと襟から抜き取った。 それをそのまま今度はの両手首に巻きつける。拘束された手首に驚いて声を上げようとしたの唇を、またしても上條はキスで塞いだ。 「ん……っ」 「すいません」 デスクの上に仰向けに押し倒し、一つにまとめて縛りあげた手首を片手で抑えて、先程止められたところから行為を再開する。 ボタンをはずした襟元から覗く鎖骨を唇でなぞりながら、空いている手をスカートの中に潜り込ませると、は小さく声を上げて弱々しく首を横に振った。そんなささやかな抵抗を意にも介さず、上條はショーツを引き下ろしてそこに隠れていた部分を数回撫でた後、そっと指を挿し入れた。 「やっ、……ん、ふぁ……」 「好きです」 「ン、ぁ……っ」 指を蠢かせるたびに、真っ直ぐな眼差しは潤んで徐々に焦点を失い、組み敷いた身体がびくびくと震え、の中が蕩けてゆく。その素直な反応に酔うようにゆっくりと時間をかけて愛撫を続け、がすっかり抗う力を失ったところで再びうつ伏せにさせてから、上條は十分に潤ったそこを自身で穿った。 「ッ、ひ、あ…ァっ」 「……ッ」 デスクの縁に手を付き、緩やかに抜き挿しを繰り返す。ひんやりとした室内の空気の所為で、の火照った肌の熱さがひどく心地好い。 ややしてデスクの上からの身体を抱き起こし、後ろにあったソファに腰を下ろして膝の上に引き寄せた。ネクタイで拘束したままだったの腕を自分の首に回して、昂る自身の上に腰を落とさせる。 「い、や……っ」 「……っすい、ません」 「かみ、じょうせん……せっ」 「……好きです……貴方が、……く、ぁッ」 揺さぶり、突き上げて、繋がった箇所が擦れ合うたびに熱はますます高まっていく。 一際長く掠れた声を上げて、上條の腕の中での身体が一瞬強張った後に弛緩した。意識を失ったの身体を強く抱きしめて、一拍遅れて上條も限界まで昂っていた熱を放った。 気絶するように眠りの縁へ落ちたの身体をソファに寝かせ、上條は壊れものを扱うようにその身体を拭き清め、乱れた衣服を整えてやった。 手首を拘束していたネクタイも解き、擦れてうっすら赤くなってしまった部分をいたわるようにそっと撫でる。 傍らに跪いて昏々と眠るその顔をしばし静かに見つめた後、目尻に浮かんだ涙をそっと唇で掬い取った。 額や頬にもそっと口付け、最後にうなじに唇を落とす。ひとつだけ付けた紅い痕の上に、もう一度。 「……すいません」 好きだと告げた言葉に偽りはない。 が指摘したように、『いろいろな過程』をふっ飛ばさずに、ゆっくりと想いを伝えていけたならよかった。 でも、それを叶えるには遅すぎた。への想いに気づいた時には、何もかもがもう取り返しのつかないところまで進んでしまっていた。こんな卑怯な形でしか想いを告げることが出来ないところまで。 「貴方が、好きでした」 呟くように最後の告白をして、上條はの手を取った。 愛しい人の記憶から、自分の想いを消す為に。 「……ん……あ、あれ?」 途切れていた意識がふっと戻ってきて、は慌てて身体を起こした。 人気のない職員室の、自分の机。目の前には補習用のプリントがあり、の頬が当たっていたらしい部分に僅かに皺が寄っている。 状況だけ見れば、補習プリント作成中に居眠りをしてしまった、ということなのだが、は違和感を感じて首を傾げた。 プリントを作っていたことは間違いない。が、きりのいいところで手を止め、何か別の用事に手をつけていたような気がするのだ。職員室を出て、どこかへ足を運んで。 「……あれぇ……?」 「あ?オイオイ、おっまえこんな時間まで何やってんだYO!」 先程と反対の向きに首を傾げたところで、扉が開いて本日の宿直当番である加賀美が姿を現した。 「あ、加賀美先生」 「まーだ帰ってなかったんかよ。つーかどこにいたんだ?」 「え、あの、補習プリント作成でずっと職員室に」 「はァ?俺っちが見回りに出かける時はいなかったぜ?一時間くらい前」 「あ、あれ……?」 「まーいいけどサ。つーかいい加減帰れ、明日も早いんだろーが!」 「はぁい」 言い方こそきついが体調を気遣ってくれての発言とわかって、は笑って素直にうなずくと、机の上のものを片付けると椅子から立ち上がった。 ―――と、かくりと膝が折れて大きくよろめく。 「きゃっ……」 「おわっ!」 慌てて伸ばされた加賀美の腕に間一髪のところで抱き留められる。すいませんすいませんと謝りながら、その腕を頼りに体勢を立て直しはしたものの、何故か全身が妙な気だるさに包まれていることに気づいた。 「何なの……?」 「アレだ、疲れが溜まってんだお前は!さっさと帰って飯食って寝ろ!」 「は、はい、すいません。じゃあお先に失礼します」 何故か微妙に顔が赤い加賀美に軽く会釈をして、ふらふらと危なっかしい足取りで職員室を出て廊下を歩き出す。 自分で思ってる以上に疲れてるのかなー、などとぼやきながら、何気なく首筋に手をやった時、はちりり、と微妙な熱を感じた。 「ん?」 その熱を感じたのは一瞬で、けれど先程感じた気だるさと相まって、どうしても違和感が拭い去れない。 何かを忘れているような。忘れてはいけない、何かを。 不意に頬に熱いものが流れて、足が自然に止まった。 「……え……?」 零れ落ちた涙が、頬を伝って地面に落ちる。 何故自分が泣いているのかわからないまま、は少しの間、泣き続けていた。ちりちりと疼く首筋の熱を無意識のうちに抑えたままで。 [091101 秘書補完計画 にて初出 / 120217 一部修正・加筆の上、再公開] |