「っっっだーーー!!!」
あとで聞いたところによりますと、その叫び声は階の違うひよこ仲間たちの部屋まで聞こえたとか。
Prohibition Matter
事の起こりは、廣隆の些細な一言から。
官舎の廣隆の部屋で、夕食の用意をしていた時のことだった。
「あー……苛々するのう」
「は?何、いきなり、私なんかした?」
ぼそりと呟いた声はそれほど大きくはなかったのだけど、お世辞にも広いとは言えない部屋の中。
呟いた本人に聞かせるつもりがなくても結構しっかり聞こえてしまうもので、私はオタマ片手に台所からひょっこり顔を覗かせて、畳の上でゴロゴロしている廣隆に訝しげな視線を向けた。
むくりと起き上がった廣隆は、思いっきり左に首を傾けて右の側頭部をぽんぽんと叩きながら眉間に軽くシワを寄せる。
「いや違う。今日の訓練中に耳の中に水が入って、それがまだ取れなくてな」
「なーんだ、そういうことか」
「、こないだ買うた綿棒どこに置いた?」
「押入れの中のプラケースに入れたはずだけど」
「……あ、あった」
台所に戻った私の耳にそんな声が届いて、それから少しの間、部屋の方からはTVから流れ出すクイズ番組のナレーションばかりが聞こえてきていた。
作りかけの煮物の味付けをして、洗い物を片付けて、この後使うお皿やお箸を用意して。
あとは煮物に味が染みるのを待つばかりってとこまで済ませてから、ガスコンロの火を弱めてエプロンを外して、妙に静かな部屋に戻る。
「廣隆ー?耳治った…の……」
手に持ったエプロンをざっと畳んで視線を上げると、綿棒片手に眉間のシワをいつもより更に深くして(当社比1.5倍ってとこかしら)うんうん唸ってる廣隆の姿と。
どれも見事にぐんにゃりぽっきり折れ曲がって床に散らばる、十数本の綿棒。
「……うおっ、また曲がってしもーた!」
「…………何やってんのよ、アンタ」
「仕方なかろうが!なかなか取れん上にこの綿棒、ちぃと力入れるとすぐに折れるんじゃ!」
「だからって床にポイ捨てしていい理由になるか!ちゃんとゴミ箱に入れなさいバカっ」
「バカたぁなんじゃコラ!」
「バカじゃなかったらアホ!」
「口の減らん女じゃのー!……お?」
「は?」
「……おお、とれたとれた!」
さっきまでの仏頂面はどこへやら、一転して満面の笑顔に変わる。
……あーそーですか、それはよござんしたね……。
突っ込む気力をなく、部屋の隅に置いてあったプラスチック製のゴミ箱を引き寄せて、床に散らばったままの綿棒の残骸を片付け始めた私の視界で、廣隆が何故かまたケースから新しい綿棒を引っ張り出した。
「……取れたんじゃないの、水」
「いや、ついでだから耳掃除もしようかと」
「これ以上綿棒無駄遣いしないでよ!」
「そがぁなこと言うても、安物買うて来たお前が悪いんじゃろう!」
「あーちょっと!言ってる先から握り潰してんじゃないわよ、それ!」
私の声に反応して大きな握り拳を開けば、そこにはさっき捨てたものと同じく、ぐにゃりと折れ曲がってしまった、かわいそうな綿棒が一本。
「あー……」
「もう!」
「……何もそがぁに怒らんでもえかろうが」
折れた綿棒を奪い取ってゴミ箱に投げ込んだ私の剣幕に、さすがにちょっと怯んだ様子で唇を尖らせてぼそぼそとぼやく。
ちょっときつく言い過ぎたかな、と思った瞬間、廣隆はまたしても懲りずにテーブルの上のケースに手を伸ばした。
慌てて横からそれを掻っ攫う。
「無駄遣いするなって言ってるのに!!」
「綿棒使わなけりゃあ耳掃除出来んじゃろうが」
「耳掻き使いなさいよ、あるでしょ、耳掻き!」
「……あれじゃと引っ掻くと痛いんで、使いとーない」
「はぁ!?」
何なの、その子供っぽい理由。
拗ねてそっぽを向いたその横顔は思いのほか可愛い。
思わず声を上げて笑いそうになったけど、何とかそれを堪えて立ち上がった。
まず台所でガスコンロの火を消してきてから、綿棒のケースを元の場所に戻して同じプラケースに入れてあった竹製の耳掻きを取り出す。
それを持って廣隆の傍に戻ると、そっぽを向いたままの廣隆の肩をぽんぽんと叩いた。
「廣隆、廣隆」
「あ?」
「耳掃除やってあげるから、こっち来て横になって」
「あああ!?」
―――あ、真っ赤。
瞬時に耳まで真っ赤に染め上げた廣隆の横に座って、腕を引っ張る。
「ホラここに頭乗っけてよ。ご飯前にちゃっちゃっとやっちゃおう」
「いらん!自分でやる!!」
「ダメ。これ以上綿棒無駄に消費しないで」
「こっぱずかしぃて出来るか!」
「何でよ、誰が見てる訳でもないんだからいいじゃないの、ほらっ!」
しつこく抵抗する廣隆の肩に手を掛けて力任せに引っ張ったら、畳で滑ってバランスを崩して見事に横倒しになった。
慌てて起き上がろうとするのを上から無理やり押さえ込んで。
「はーい、動かないうごかなーい」
「何すんじゃ!っ!」
「痛いの嫌なんでしょ?じっとしてないと危ないよー?」
「ぐ……!」
膝枕に精一杯の抵抗を示していたものの、脅しに屈して黙り込んで、私の膝の上に頭を乗せたままの状態で、つけっぱなしのTVに視線を転じた。
顔を真っ赤に染めて、がっちがちに肩を強張らせて緊張している姿は笑いを誘う。
慎重に耳掻きを動かしながら見下ろす廣隆の横顔は、肩以上にすごい力の入りようだった。
TVに視線を向けてはいるけど、内容はあんまり頭に入ってってない感じで、ここ笑うところ!みたいな場面でも表情は硬いまま。
……緊張する気持ちも、わからなくもないんだけどね。
私たち、こういう恋人らしい真似ってあんまり、って言うか殆どしたことないから。
デートの時に、腕を組むどころか手を繋いだこともないし、廣隆は好きとか愛してるとか、そういう台詞を軽々口に出せるような性格でもないし。
廣隆と付き合い始めて随分経つけど、廣隆よりも彼の同僚の石井君の方が遥かに多く、私に向かってその手の台詞を言っている(そして言うたびに廣隆に殴られてる)。
だからかな、たいしたことをしている訳でもないのに、何だか妙に胸がドキドキしていた。
ああ、この人私の恋人なんだよなぁって。
改めて感激するようなことでもないし、他人からしたら変な感激の仕方、なんだろうけど。
今、この場に流れている空気に感じる不思議な甘やかさは、そんなこと気にならないくらいに心地良かった。
「……なんじゃ」
「え?」
「気味の悪い笑い方すな」
「すいませーん」
無意識のうちに、顔が笑っていたらしい。
赤い顔のまま、横目でじろりとこっちを睨んだ廣隆に小さく舌を出して見せて。
ふと手を止めて、こっちを見上げる廣隆と視線を合わせた。
「……廣隆ぁ」
「ん?」
「たまにはさ、こういうのもいいよね」
「…………」
肯定する言葉も賛同する言葉も返っては来なかったけど。
強張っていた肩の力は少し抜けて、相変わらず真っ赤に染まったままこっちを見上げている顔に浮かぶ表情は、さっきよりもずっとやわらかく和んでいた。
廣隆の視線がまたTVに向いたところで、再び耳掻きを動かし始めた私は、ほこりや細かい汚れを吹き飛ばそうと思って、何気なくふっと耳に息を吹きかけた。
その、途端。
「っっっだーーー!!!」
「きゃあっ!」
びくうっと廣隆の身体が痙攣して、手に妙な感覚が伝わって。
飛び起きた廣隆の耳元から、ポロっと耳掻きが床に落ちる。
……い、今、今なんか、ガリッて、イヤな音がしなかった……!?
呆然とする私の前で、廣隆は今さっきまで掃除していた左耳を押さえて、声もなくのた打ち回っている。
我に返って、慌てて廣隆の肩を掴んで手をどけさせて耳の中を覗き込んだ。
さっきの感覚や音から想像したような怪我は見当たらず、ホッと胸を撫で下ろした私の手を振り払って、廣隆がうっすら涙の滲んだ目でこっちを睨みつける。
「……何すんじゃお前は!」
「何って、ほこり飛ばそうと思って軽く吹いただけでしょ!」
「やる前に一声掛けろー!!」
「だって、そんな過剰反応するなんて思わなかったんだもん!!」
「何事もなかったけぇいいけどな、下手したら耳掻き刺さって死んどるぞ!」
「全部私の所為みたいに言わないでよ!ちょっと息吹きかけたくらいでジタバタ暴れた廣隆が悪いんでしょー!?情けないなっ!」
「何じゃとー!?」
―――さっきまでの甘い雰囲気はどこへやら。
一気に険悪化した空気の中。
廣隆の叫び声を聞きつけてわざわざ部屋の前までやってきたひよこ隊の皆の存在にも気づかず、私たちはそれから30分近く怒鳴りあっていた。
そしてその後。
私たちの間で、耳掃除は一切禁止になりました。
トッキューイベント『tickle tickle tickle〜魁!トッキュー耳かき祭り〜』参加作品の再録。
イベント公開期間は05/05/20〜06/19でした。
05/06/23UP