触れたところから融けてしまいそうなほど。
Sweet Drug
教室から出たところでタイミングよく携帯が鳴った。
発信者名は『鳳 長太郎』。今日の夜に待ち合わせてる相手。
何だろ、この時間ならまだ部活中のはずなのに。
訝しく思いながら通話ボタンを押して。
「―――はい?」
『宍戸だけど』
「え?宍戸?」
受話器の向こうで声を発したのは、彼本人じゃなくて彼が尊敬してやまない先輩。私にとっては後輩。
何で?って聞き返す間もなく、宍戸は早口でまくし立てた。
『長太郎が倒れたんで、学校まで迎えに来てやって欲しいんだけど』
「……えぇ!?」
『あいつの家族、今日は皆揃って旅行やら何やらで家空けてて、連絡つかねーんだよ。悪ぃけど頼む』
「ちょっ、ちょっと待ってよ!倒れたって何で!」
一方的に会話を打ち切られそうになって、慌てて私は声を張り上げる。
耳元で、ヤベ忘れてたって小さな声がして、さっきよりは少し落ち着いた宍戸の声が響いた。
『ギャラリーですっ転んだマネージャー助けようとして階段転げ落ちた』
「はぁ!?」
『頭打ったりはしてねーけど、右足捻挫しちまってさ。元々風邪ひいてた所為で熱も出てきてんだよ』
「……熱まで……」
『俺に文句言われても困るんだけどな』
「別に文句なんか言ってないじゃないよ!ってそうじゃなくてさ!」
『とりあえずよろしく、それじゃ』
「ちょっ……宍戸っ!?」
耳元で空しくツーツーと鳴る携帯電話を握り締めて、私はしばしその場に立ち尽くした。
少し距離を置いて話が終わるのを待っててくれたらしい友達が近付いてきて、私の手から携帯を抜き取って代わりに通話を切ってくれる。
「例の年下の彼氏くんからでしょ?どーした、バレンタインのデートがキャンセルにでもなったか?」
「結果的にはそうなるんじゃないかと……」
「何があったの?」
「……階段落ちで捻挫&風邪で発熱」
憮然として呟いた私の横で、友達がそれはお気の毒、と苦笑する。
気を取り直してその手から携帯を取り返すと、私はその場で友達と別れてキャンパスを後にした。
タクシーかっ飛ばして行った氷帝学園の校門前で、現レギュラーが顔を揃えて出迎えてくれて。
きれいにまとめられた荷物と一緒に、樺地の肩に担がれていた長太郎とを押し付けられる。
相変わらずやたらと偉そうに跡部が笑って言った。
「じゃあな、あとは頼んだぜ」
「……それが久々に会った先輩に対する態度かコラ」
「、跡部に勝てない喧嘩売ってる暇あったらさっさと鳳連れ帰ったれや」
「アンタも相変わらずさらっと失礼なこと言うね、忍足」
「一年やそこらで人間変わるもんやないで、センパイ」
「……いいから、これ以上熱が上がる前に連れて帰ってやってくれ」
不毛な言い争いは宍戸の溜息混じりの科白で打ち切られて。
私はさっき乗ってきたタクシーに長太郎と荷物と一緒に乗り込んだ。
最後に一声かけようと窓を開けたら、妙に含みのある跡部の笑顔がそこにあった。
こんな顔してる時のこいつは絶対ロクでもないこと考えてんのよね……。
反射的に睨んだ私の視線をあっさり受け流して、跡部が口を開く。
「おい、」
「何よ」
「襲うんじゃねーぞ」
「……アンタと一緒にしないでくれる!?」
「だーっ!もう早く行けっつの!」
またもや宍戸が間に入ってくれて、私は跡部の顔を睨みつけながら窓を閉めて、運転手さんに長太郎の家の住所を言おうとした。
そこへ割って入ったのは発熱の所為か少し掠れ気味の長太郎の声。
「―――までお願いします」
「ちょっと、長太郎!?」
長太郎が口にしたのは長太郎の家じゃなくて、大学近くの私のアパート。
私が訂正するより先に運転手さんははいと答えて車を発車させてしまって。
どう反応していいかわからなくて長太郎の顔を見たら、長太郎は笑って横に首を傾げた。
「いいじゃないですか、元々今日はさんのとこに行く予定だったんだし」
「怪我して熱出したんだから予定変更でしょ!?」
「でも家に帰っても、俺んち今日誰もいないんですよ。一人でどうしろって言うんですか?」
「ご飯くらい作ってってあげるわよ」
「そのあとは?俺一人置いて帰っちゃう気でしょう?」
「それは、だって……ご家族誰もいないのに泊まる訳にはいかないじゃないの」
「だから俺がさんの家に行けば万事解決じゃないですか」
「どうしてそうなるのよ……」
無茶苦茶な言い分に呆れて呟いた私の手に長太郎の手が重なって。
そこにぎゅっと力がこもる。
もう一度顔を見たら、にこやかな表情が『帰りませんよ』って無言で語っていた。
こういう顔してる時の長太郎には何言っても無駄なんだったわ……。
「……仕方ないなぁ、もう……」
「はい」
「うちの近くになったら起こしてあげるから、少し寝てたら?」
「はい」
さっきの強引さが嘘のように素直に頷いて私の肩に寄り掛かる。
いつもよりも熱い吐息に頬をくすぐられながら私は小さく笑って窓の外に目をやった。
1DKの私のアパートに長太郎が来るのは別に初めてじゃない。
厚手のマットの上に敷いた布団の上に長太郎を寝かせて、泊まりの時用に置いてある彼のパジャマをいつものように押入れの衣装ケースから引っ張り出して。
それに着替えて寝てなさい、と言い残して近くのスーパーに買出しに出掛けて、30分ほどして戻ったら、きちんと着替えた長太郎は布団の中で上半身を起こして何かの本を読んでいた。
「ちょーうーたーろーうー!」
「おかえりなさい、さん」
「ただいま、じゃなーくーてー!寝てなさいって言ったでしょ」
「布団には入ってますよ」
「屁理屈言わない!そんなことしてたらいつまでたっても熱下がんないよ!」
「でももう大分気分いいんです、あんまり眠たくないし」
「ダメ!寝なさい!」
出来るだけ怖い顔作って強く言ったら、長太郎は仕方なさそうに本を枕元に置いた。
でもまだ布団の中には入ろうとしないで、じっと私の顔を見て。
「じゃあ俺が寝るまで傍にいて下さい」
「だって夕飯の用意しなきゃ」
「俺が寝てからでも出来るでしょう?」
「……駄々っ子」
「病気の時くらいいいじゃないですか」
「……ちょっと待ってなさい」
買って来た食材を一旦冷蔵庫にしまって、布団の横に置いてあるクッションに座る。
それでもまだ上半身を起こしたままの長太郎を睨んだら、長太郎は拗ねた子供のように軽く唇を尖らせて視線を逸らした。
普段はそうでもないくせに、時々すごく子供っぽい。
こういう時、大人っぽくってもやっぱりこの子って私より年下なんだよなぁと思う。
睨むのをやめてちょっと笑って、手を伸ばして少し癖のある前髪に触れた。
「ほら、いてあげるから寝なさい」
「あんまり眠くないんだけどな」
「少しでいいから寝なさい、夕飯が出来たら起こしてあげるから」
観念したように頷いて羽根布団の中に潜り込む。
それを見ながら、私は手近にあった雑誌を取り上げてページをめくった。
二、三ページめくったところで、不意に何かが光を遮って雑誌の上に影を落とす。
何事かと顔を上げたら、いつの間に布団を這い出したのか目の前に長太郎の顔があって。
文句を言いかけた私の唇を長太郎の唇が塞いだ。
熱の所為なのか、唇も吐息もいつもより熱い。
触れた箇所からじわじわと熱が移ってくるようなキス。
下唇を柔らかく噛まれて我に返った時には、もう唇は離れていて。
熱の所為でうっすら紅潮した顔が、悪戯に成功した子供のように楽しそうに笑った。
「ごちそうさまです」
「……このぉ!」
「じゃあおやすみなさい」
「じゃあ、じゃないっ!アンタ私に風邪移す気ー!?」
「そんなつもりはないですよ、酷いなぁ」
「なら何で大人しく寝ないの!ホントにもうっ」
「だってせっかくの誕生日なのに、何にもなしじゃつまらないですよ」
何その我儘な理屈!!
文句つけようと口を開きかけたところに、またキスで口を塞がれて。
さっきよりも深く重ねた唇をゆっくり離して、長太郎は至近距離からじっと私の目を覗き込んだ。
その顔が不意にさっきと同じ悪戯っ子めいた笑顔に変わる。
「ああそうか、いっぱい汗かけば熱なんてすぐ下がりますよね」
「……足も捻挫してるくせに何言ってんのっ」
「軽く捻っただけですよ、一週間もすれば治りますから、このくらい」
「さっき寝るって約束した!おやすみなさいって言った!」
「前言撤回します。さんも一緒に寝てくれたら寝ますよ、俺」
「何そのアンタにばっかり都合のいい展開ー!!」
「俺はさんに誕生日祝って欲しいだけです」
「祝ってあげるわよ!明日熱が下がったらね!」
「今がいいんです」
「わがままっ!」
ぎゃーぎゃー言い合ってるうちに、いつの間にか私は布団の上に押し倒されてて。
悪戯っ子みたいな笑顔のまま、長太郎は私の上に覆いかぶさってじっと私を見つめた。
横に逃げようにも両腕でがっちり囲まれてて身動きの取りようがない。
観念して溜息をついた私の額に自分の額をくっつけて、長太郎がゆっくり口を開いた。
「我儘言うのは年下の特権でしょう?」
「それ絶対違う……」
「じゃあ熱の所為で少し理性がとんでるってことで納得して下さい」
「むちゃくちゃ言ってるし……」
苦々しく呟いた私の唇を、今日三度目のキスで塞いで。
熱を帯びた声で耳元にそっと囁く。
「それに、俺にとっての一番の薬はさんだと思うんですけど」
「…………」
「さん?」
「……そういうの、殺し文句って言うのよ……」
長太郎に負けないくらい、真っ赤に染まった顔を両手で覆って呟いた私の上に。
長太郎は優しく笑ってまた熱っぽいキスを降らせた。
熱でイカレてんのはお前の頭じゃねーのかという指摘はナシの方向でひとつよろしく。
ヒロインはお題の『盗撮』と一応同じヒロインのつもり。あくまでも『つもり』。
あっちより数段性格壊れてますが、そこんとこも気にしない方向でよろしく。
05/02/11UP